記事




このスンナの利点:預言者伝にあるようにアッラーはあ


なたの罪を許して下さるでしょう。


ムアッジンがアザーン(礼拝の呼びかけ)を終えた後、


あなたは預言者(彼に平安あれ)を通してアッラーの祝


福を祈るべきです。これに関して最も良い祈りは、下記


に述べた「サラートイブラーヒーミーヤ」です。預言者―


彼に平安あれーは申されました。「ムアッジンの礼拝の呼


びかけを聞いたなら、彼の後に復唱して預言者様への祝福


を祈りなさい。何故なら、私(預言者)へのアッラーの祝福を


祈る者には10の報酬がアッラーから与えられるからです。」と


いうムスリムの伝承があります。このスンナの利点:アッ


ラーは信仰者に10の報酬を与えるでしょう。例:アッラ


ーはそのような者を天国で賛美するでしょう。


サラートイブラーヒーミーヤとは「アッラーフンマ サッリ アラー ムハ


ンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、 カマー サッライタ


 アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ インナ


カ ハミードゥン マジード、アッラーフンマ バーリク アラー ムハン


マディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、カマー バーラクタ ア


ラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ、 インナカ


 ハミードゥン マジード(アッラーよ。あなたがイブラヒームとイブラヒ


ームの家族にあなたの好意を授けたようにムハンマドとムハンマド


の家族にもあなたの好意を授けたまえ。あなたは称賛に値する最


も輝かしい御方です。アッラーよ。あなたがイブラヒームとイブラーヒ


ムの家族を祝福しているように、ムハンマドとムハンマドの家族にも


祝福を与えたまえ。あなたは称賛に値する最も輝かしい御方です


。)アル ブハーリの伝承。


預言者(彼に平安あれ)へのアッラーの祝福を祈った後、「アッラーフンマ


 ラッバ ハーズィヒッダアワティッターンマ、ワッサラーティルカーイマ、アー


ティ ムハンマダニルワスィーラタ ワルファディーラ、ワブアスフ マカーマン


 マハムーダニッラズィー ワアッタフ 訳:「おお、アッラー、この完成され


た呼びかけ(アザーンのこと)と行われる礼拝の主よ、ムハンマドにアルワ


スィーラ(神の座に最も近い楽園最高の座)と徳を与え、彼に約束した


讃美される場所に彼を送りたまえ」アル ブハーリの伝承。





􀊢イカーマとは礼拝を行う為に直立に立ち並ぶた


めの第二の礼拝の呼びかけです)


上記に述べられた最初の四つのスンナの行いはイ


カーマ(礼拝の創設)において、科学研究、ファト


ワの常任委員会のファトワ(法的見解)として適


用可能です。


それに応じて、それぞれの礼拝の中のイカーマ時


に適用する事ができるスンナの行いの総数は20


スンナです。





41 


(壁やスティックや柱などの遮蔽物の後部で礼拝すること)


預言者(彼に平安あれ)は言いました。「あなたがたは


礼拝する際、ストラの後ろに立ちなさい。そしてあなたと


ストラの間を通る者ががないようにしなさい。」アブダウー


ドとイブン マジャとイブン フザイマの伝承)


この預言者の伝統は、性別関係なく、モスクでも家庭


であっても礼拝時にストラを置くことが規定しています。


一部のムスリムはストラの後部で礼拝しない為、このス


ンナを適用する報酬から自らを遠ざけています。


このスンナはムスリムによって毎日朝から晩まで繰り替え


され、定期の預言者の祈り、ドーハの礼拝(朝の祈り)


、モスクに入った際の礼拝、ウィトルの礼拝や義務の礼


拝などの女性が家庭で一人で礼拝する時に適用され


ます。しかしながら、モスクで礼拝する場合は、イマーム


のストラがその後ろで礼拝する者にとっては充分です。





ストラとは礼拝者が眼前の地面に置くスティックや、柱や


壁などの目印となる物。ストラの幅は関係ない


ストラの高さは約1スパンです。


脚とストラの間の距離は約 三エル(約120インチ)です


。スジュード(跪拝)するのに充分な距離を置く


ストラはイマームや個人にも使用されます。(義務の礼


拝やその他の礼拝)


イマームのストラは彼の後ろで礼拝する全ての者に充


分です。それゆえ、必要があれば礼拝者の前を通ること


が許可されます。


このスンナを適用する利点:


通行者によって礼拝を中断させる事を防ぎます。


ストラを使用する事で、礼拝中にあちこち見回すこと


を回避し、自身のスペースに集中し 礼拝の意味を


よく考えるでしょう。


礼拝者の前を通る必要がないよう、通行者の手助


けになります。





43 


随意の礼拝(ナフル)、み使い(彼に平安あれ)は申されました。「


アッラーの下僕たるムスリムは毎日十二ラカートを捧げれば、アッラ


ーは彼の為に天国に家をお建て下さるであろう。または、彼の為


に天国に家が建てられるであろう」ムスリムの伝承。


―その礼拝とは:ズフール(昼)の礼拝前の四ラカートとその


後の二ラカート、マグリーブ(日没)後の礼拝の後の二ラカ


ート、イシャー(夜)の礼拝後の二ラカートとファジャ―ル(


日の出)前の礼拝の二ラカート です。


―愛する兄弟へ:楽園の家に憧れはありませんか?こ


の預言者の助言を守り、義務の礼拝以外の十二ラカ


ートの礼拝を行いましょう􀉻


ドゥーハ(朝)の礼拝


この礼拝は三百六十のサダカ(慈善行為)に等しくなります。また


、人間の身体は三百六十の骨で構成されており、したがってそれ


らの部分は毎日一つのサダカを通して、この恵みに感謝する事を


必要としています。これが全てではなく、午前中に二ラカートの礼


拝で十分です。


その二つの成果:ムスリムの伝承で、アブーザッルによると預言者(彼


に平安あれ)はこう申されました。「毎朝、あなたの全ての関節の一


つ一つがサダカになります。全ての賛美はサダカです。善行を指揮す


ることはサダカです。違法行為を禁止することはサダカです。及びこれ


に代わって、午前中に行われる二ラカートの礼拝で十分です」」








44 


アブーフライラ(アッラーが彼に悦んで下さいますように)は


次のように発言したと引用されています。「私の友人(彼


に平安あれ)は毎月の三日間の斎戒と二ラカートのドゥ


ーハの礼拝と就寝前のウィトルの礼拝について奨励され


ました。」(全て合意)


その時間帯:日の出の十五分後に始まり、アスル(昼)の


礼拝の十五分前まで。礼拝の一番良い時間:太陽の日


が一番強く照る時。その回数:その最小数は二ラカートで


す。その最大数:八ラカート、もしくは制限数はないと言わ


れています。


アスル(午後)の礼拝のスンナ:


彼(彼に平安あれ)は申されました。「アッラーよ。アスル(午後


)の義務の礼拝の前に四ラカートの礼拝を行う者に御慈


悲をお与え下さい」アブーダウードとアッティルミズィの伝承。


マグリブ(日没)の礼拝のスンナ:


彼(彼に平安あれ)は申されました:「マグリブの前に礼拝を行い


なさい。三度目に彼は申されました:これを望む者は」アル ブ


ハーリの伝承。


イシャー(夜)の礼拝のスンナ:


彼(彼に平安あれ)は申されました:「二度のアザーン(礼拝の呼びかけ)の間にも礼


拝がある、二度のアザーン(礼拝の呼びかけ)の間にも礼拝がある、二度のアザーン(礼拝の呼びか


け)の間にも礼拝がある、三度目に彼は;これを望むものはと申されました」(全て合意)








46 


イスティフターフ(礼拝開始)のドウアー:初めのタクビール


(アッラーフ アクバル「アッラーは偉大なり」と唱えた後:「


アッラーよ。あなたに賞賛と賛美あれ。あなたの御名は祝


福され、あなたの貴さは至高です。あなたの他に神はお


りません。」(四代学者による伝承)


そしてもう一つのドウアーは「アッラーよ。私と私の過ちの


間を東西の間を遠ざけたように遠ざけて下さい。アッラー


よ、白い服が汚れから清められるように私を私の過ちから


清めて下さい。アッラーよ、雪と水と雷で私を私の過ちか


ら清めて下さい。」アル ブハーリとムスリムの伝承。礼拝


開始のドウアーとして上記にあるドウアーの一つを選び唱


えましょう。


読誦前に「私はアッラーに呪われるべきシャイターンからの


御加護を求めます。」と唱えます。


アッラーの名前を唱えます。例えば「慈悲あまねく慈愛深


きアッラーの御名におい


アル ファーティハ(開端)章を読誦し、アーミンと言います。





47 


ファジャール(日の出前)、マグリッブ(日没)イシ


ャー(夜)と単独で行うその他のスンナの礼拝の


最初の二ラカートでアルファーティハ章読誦の後


、他の章(クルアーンの章)を読誦します。(イマ


ームの後方で礼拝するものは、単独の礼拝で


読誦し、合同の礼拝ではしません。)


05


48 


初めのタクビールで両手をあげる


ルクー(お辞儀)をする前に両手をあげる


ルクーの後立ち上がる際に両手をあげる


そして四ラカートの礼拝中の第三ラカートから立


ちあがった後


スンナで言及されるように人差し指を平行に立て


る (タシャフッド)


人差し指をキブラの方向へ向ける(礼拝の方向、


カーバ神殿へ向ける)


肩の高さ、両耳の高さに両手を上げる


右手を左手の上に、もしくは右手で左手を掴ん


で読誦する


視線をスジュッド(伏せ)の方向へ向ける


両足を開いて立つ(肩の幅)


読誦の際、言葉の意味に集中する








49 


両肘を両手で掴み、指と指の間を開く


背中を平行に伸ばす


頭を背中と同じ高さに保つ 例:背中より高か


ったり低かったりしないように


両腕を腰から離す








50 


預言者の伏せ(スジュッド)においての行動(スンナ)


腰から両腕を離す


太ももから腹部を離す


太ももから脚を離す


伏せる際、両膝を離す


脚を直立にして立つ


地面に指の平の一部を下にして置く


サジダ(伏せ)する間は足を一緒に合わせる


両手を両耳の横に上げる


両手は開いた状態


指と指を合わせる(間を開かない)


指をキブラの方向へ向ける








51 


二度の伏せの間に座る際、二つの形態があります:


イクアー:足を立てた状態にして、かかとの上に座る


イフティラッシュ:右足を立てた状態にして、左足の方に広が


るように重心を置く。初めのタシャフッド(第二ラカートの際に


座る時)で、左足を曲げその上に座り右足を立てる。


第二回目のタシャフッドには三形体があります:


右足を立てて、左足を右足の下に置いて床にサジダする 初


めと同じように、しかし右足は立てずに左足と同じ方向にサ


ジダする 右足を立てて、左足を右脚の太ももと脚の間に入


れる


両手を太ももの上に置く「右手を右の太ももの上へ、左手


を左の太ももの上へ、手と指の間は合わせる


タシャフッドの初めから最後まで人差し指を立てて「上か


ら下」へ動かす


タスリームで礼拝を終える際、右と左へ顔を向ける


しばらくの間座る(イステラハ 例:第一度目と三度目の


ラカートの伏せ(サジダ)の   後、何のドウアーと言う事


なくしばらくの間座ること)


― 毎回のラカートには二十五に及ぶスンナがあります。例:


義務の礼拝におけるスンナの総数は四百二十五です。


―義務以外の礼拝のそれぞれのラカートのスンナの総数は


二十五です。例:もし毎回のラカートで預言者の行動を行っ


たとしたら、朝から夜における一日の義務以外の礼拝のスン


ナの総数は六百二十五です。


―ムスリムはドウーハの礼拝のラカート総数を増やすことでき


、スンナの総数も増加します。





タクビラトウル イフラムを唱える間に両手を上げる(初めの礼


拝開始の「アッラーフ アクバル」)


初めと二度目にかかわらず、タシャフッドの初めから最後まで


人差し指を(上下へ)動かす


礼拝の終了時に顔を右と左へ向ける


座ること(イステラハ):義務か義務以上の礼拝にかかわらず、


四ラカートの礼拝で二度、その他の礼拝で一度行われる


タワロック:(右足を立てること、左足を右脚の下に置き床に


伏せること)二度座ってタシャフッドを行う礼拝の二度目のタシ


ャフッドにおいて行う。





これらのスンナはタシャフッドの際座ったときに人差


し指を動かす事を除いて、一度繰り替えされます


。ファジャール(日の出前)の礼拝以外の義務の礼


拝で二度繰り替えされます。そして四ラカートの礼


拝において二度イステラハは繰り替えされます。ゆ


えにスンナの総量は三十四になります。


義務以外のそれぞれの礼拝において最後と二度


目以外の二度を除いてこのスンナの行いは繰り替


えされます。ゆえに、総量は四十八のスンナになり





アッラーの許しを請う。三度こう唱えましょう:「アッラーよ、


あなたこそが平安の主で、平安はあなたからのものです。


崇高さと栄誉の主に称えあれ。」ムスリムの伝承


「唯一で並ぶ者無きアッラー以外に崇拝されるべきもの


はありません。主権と讃美はかれにこそ属し、かれは全て


において全能です。アッラーよ。あなたが与えたものに対


し抑止力はありませんし、富と力はあなたからその所有


者を保護する事もできません。(アル ブハーリとムスリム


の伝承)


「唯一で並ぶ者無きアッラー以外に崇拝されるべきもの


はありません。主権と讃美はかれにこそ属し、かれは全て


において全能です。アッラーの力以外の力はなく、彼以


外に崇拝する神はなく、彼に全ての恵みあれ、彼に全て


の好意あれ、アッラー以外の神はなく、不信仰者は嫌う


ものの、忠実に自分の宗教(道)を作ります。(ムスリムに


よる伝承)


「スブハーヌ アッラー (アッラーに栄光あれ)、アル ハンド


ゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)、アッラーフ アクバル


 (アッラーは偉大なり)と33度唱えて、ラーイラハ イッラッラ


ー(アッラー以外に神はなく、彼に並ぶものはおらず、





54 


全ての王国は彼のもの、全ての称賛はアッラーへ、そして


彼は全てのものにおいての永遠の決定者です。)(ムスリ


ムによる伝承)


「アッラーよ、どうか貴方を思い出し、感謝し、良く崇拝で


きるようにお助け下さい。」(アブ ダウードとアン ナサーイの伝承)


「アッラーよ、私はあなたに臆病からのご加護を求めます。


臆病と吝嗇、そして老衰と墓の中の懲罰からのご加護を


願います。」(アル ブハーリの伝承)


おお神よ。あなたの奴隷を呼び起こす日に、あなたの懲


罰からお守り下さい。これはアル バラーの伝承によるもの


で、:「私達が預言者様(彼に平安あれ)の後ろで礼拝を


行った時、私達は彼の右側にいる事を好みました。そうす


ると彼と私達が向き合う事になるからです。私は彼がその


時こう申されるのを聞きました。「おお神よ、あなたの全て


の奴隷を再び呼び起こす時に、あなたの懲罰から御守り


下さい。(ムスリムによる伝承)


読誦(言え。「彼はアッラー、唯一なる御方」)、(言え,「


梨明の主にご加護を乞い願う。」そして(言え,「ご加護を


乞い願う,人間の主」)アブ ダウード、アッティルミズィーと


アン ナサーイによる伝承。 


アル ファジャール(日の出)とアル マグリーブ(日没)の礼拝


時に、3度繰り返す。


王座の節(アーヤト アル クルスィー)を読誦する。「アッラ


ー,かれの外に神はなく,永生に自存される御方」アンナサー


イの伝承


「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝


すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛


美は属します。」とファジャール(日の出)とマグリブ(日没)の礼拝後、10回繰り返し唱えます。アッティルミズィーの伝承





これらのスンナを義務の礼拝後に実践し、維持することの得:


日中夜の毎回の礼拝後に賛美(タスビーフ)を行うムスリムに500のサダ


カ(施し)が記されます。なぜなら彼(彼に平安あれ)は「すべての賛美は


サダカです。アッラーは偉大なりと誰かが言う度にサダカとなり、アッラーに


栄光あれという度にサダカとなり、アッラー以外に崇拝に値する神はない


という度にサダカとなります」と申されました。ムスリムによる伝承。


:アン ナワウィは上記は12と同じ報酬があると言いました。


ムスリムはこの賛美を日中夜の毎回の礼拝後に維持すると、500の木


が彼の為に楽園に植えられるでしょう。アッラーのみ使い(彼に平安あれ)


はアブー フライラが木を植えている前を通りかかった時、彼はこう申され


ました。「アブー フライラよ。私はあなたの為にもっと良い植物について話


をしませんでしたか?」彼は言いました。「はい。アッラーのみ使いよ!」彼


(彼に平安あれ)は申されました。「スブハーヌ アッラー (アッラーに栄光


あれ)、アル ハンドゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)、ラーイラハ イ


ッラッラー(アッラー以外に神はない)、アッラーフ アクバル (アッラーは偉


大なり)と言いなさい。そうすると毎回楽園にあなたの為に木が植えられ


るでしょう。」(イブン マジャの伝承で、アル アルバニによって認証)


彼は楽園に入る為に死ぬ以外に、彼を楽園から遠ざけるものは何もあ


りません。これは毎回の義務の礼拝後に王座の節(アーヤト アル クル


スィー)を読誦した者についてです。


これらの賛美を唱えたものの罪は償われるでしょう。例えそれが海に浮か


ぶ泡のようであったとしても。(サヒーフ ムスリム)


欠陥を修正し、義務の祈りに欠けているところを完全にします。





56 


􀑫􀡰: 預言者(彼に平安あれ)は尋ねられました。「どの種のイス


ラームが最良ですか?」そして彼(彼に平安あれ)は答えら


れました。「人々に食事を与えることと知っている人と知ら


ない人にも挨拶をすることです。」(アル ブハーリとイマーム ムスリム


の伝承)


一人の男が預言者(彼に平安あれ)に近づき、彼に「アッ


サラーム アライクム(あなたに平安がありますように)」と言


って挨拶したところ、預言者(彼に平安あれ)は挨拶を返


してその男が腰を下ろした後、預言者は申されました。「そ


れは10でした。」その後別の男がやって来て、「アッサラー


ム アライクム ワラフマトウッラ(あなたに平安とアッラーの


御慈悲がありますように)」と言いました。預言者(彼に平


安あれ)は「それは20でした」と申されました。最後に三人


目の男がやって来て言いました。「アッサラーム アライクム


 ワラフマトウッラーヒ ワ バラカートウ(あなたに平安とアッ


ラーの御慈悲と祝福がありますように)」すると預言者は「


それは30でした」と申されました。(アブ ダウードの伝承でアッティルミズィー


の推奨)





57 


0の報酬と見なされ、総計は300もしくはそれ以上の善行と


見なされるかもしれません。挨拶は一日に何度も行われる行


為なので、最大の報酬を得る為に完全なイスラムの挨拶を


言うように自分自身を訓練するべきでしょう。


「どん


な善行も軽んじてはならない。例えそれがあなたの兄弟


姉妹に笑顔出会うことさえも」


􀍨􀉻「二人のムスリムが出会い握手をする度に、彼らが分


かれる前にアッラーは彼らを許してくださるでしょう。」





アン ナワウィは言いました。:あなたはムスリムが会う度に握手


をすることが奨励されていると知るべきです。ですから、親愛なる


あなた方、笑顔で挨拶をし、握手をするように心がけなさい;し


たがって一度に三のスンナを実践していることになります。


アッラーはこう申されました。「われのしもべに告げなさい。「


かれら(ムスリム)は何事でも最も丁重に物を言いなさい


。」悪魔は,かれら(不信者)との間に(紛争の)種を蒔く。本


当に悪魔は人間の公然の敵である。」(夜の旅章53節)





- 親切な言葉とは:ズィクル(アッラーへの唱念)、ドウアー


、挨拶、然るべき熟考、良い行儀、長所と善行と含みま


す。


- 他人の心を掴む優しい言葉は魔法のようです。


- 親切・優しい言葉は信者の心を啓発する証拠です。


ですので、あなたの人生を全て親切な言葉で満たすべき


です。あなたの夫や妻、子供達、近所の住人、友達、


召使い、また親愛し親切な言葉を必要とする全ての人


々へ。





「親切な言葉は施しである」





59 


食事前後のスンナ


アッラーの御名を唱える。(例:アッラーの御名において)


右手を使う


食事をする人の目の前(配置)にあるものから食


べる。


これらのスンナは次のハディースで集められていま


す。:「少年よ。アッラーの御名を唱えなさい。右手を使


って、あなたの目の前にあるものから食べなさい。」(ムスリム


の伝承) 食べ物の欠片が落ちた場合、それをこすっ


て食べる。そのハディース:「もしあなたの誰かが食べ


物の欠片を落とした場合、その汚れをこすって取ってから


食べなさい。」(ムスリムの伝承)


三本の指を使って食事する。「彼(彼に平安あれ)は


三本の指を使って食事をしていました。」(ムスリムの伝


承)預言者(彼に平安あれ)はしばしばこうしていて、


必要な場合を除いてはこうする事がより良いです。





60 


食後の後のスンナ:


指と皿を舐める:預言者(彼に平安あれ)は私達


に指と皿を舐めるように命じられ、申されました。「


あなたはそれらのどこに祝福があるかわからない」


食後にアッラーを賛美する:「アッラーは食事後にアッ


ラーを賛美する者(奴隷)に満足されます。」(ムスリム


の伝承)預言者(彼に平安あれ)の食後のドウアーの


一つ:「「私の力が少しも介在することのないところにお


いて、これを私に食べさせ、お恵みになったアッラーに称


えあれ。」


これらのドウアーの得:「すべての彼の過去の罪は


赦されます」アブ ダウードとアッティルミズィーとイブ


ン マージャとアル ハフィーズの伝承でアル アル


バーニはそれは良いと言いました。


Ø スンナの総量は、ムスリムが食事をする時、大多数の


人々がそうであるように、一日に三度の食事をするとして


、少なくとも十五のスンナに保持すべきです。この三度の


食事の間に軽食を取るとすると、これらのスンナを増加す


ることができます。


01


02


61 


バスマラ:アッラーの御名を唱えること(アッラーの御名に


おいて)


右手で飲み物を扱うこと:預言者(彼に平安あれ)はあ


る子供に申されました。「バスマラを唱えてから、右手で


食べなさい」


三度飲み物の入れ物の外側で呼吸する(息を吐くことと


吸い込むこと);これは預言者(彼に平安あれ)が行って


いたように、一口飲んだ後、入れ物の外側で呼吸すると


いう意味で、このプロセスを三度繰り返す。(イマーム ム


スリムの伝承)


座って飲む:預言者(彼に平安あれ)は申されました:「


あなたがたの誰でも立ったまま飲んではいけません」(イマ


ーム ムスリムの伝承)


飲んだ後、アッラーに感謝する:預言者(彼に平安あれ)


は申されました:「飲食後にアッラーに感謝した崇拝者に


アッラーは満足されるでしょう。」(イマーム ムスリムの伝


承)








62 


彼(彼に平安あれ)は申されました:「義務の礼拝以外で、


最良の礼拝とは自宅で実行されるものです。」(全員合意)


.


彼(彼に平安あれ)は申されました:「人々が見ていない所


で行う義務以上の礼拝は、公に行われる礼拝より25倍


の価値があります。」(アブーヤラの伝承でアル アルバニの認証)


彼(彼に平安あれ)は申されました:「自宅での礼拝は、義


務の礼拝がナフルの礼拝を上回るのと同じように、公の(


人々が見ている場合)の礼拝に勝ります。」アッタバラニの伝承


でアル アルバニは良いと認証)


これを基本として、このスンナ(預言者の伝統)を繰り替えすべきです。ナフ


ルの礼拝*において、またアッドウーハ(日中)の礼拝とアル ワティール*の


一昼夜の数回の礼拝において、礼拝の度に、スンナを維持し報酬を増加


させる為に、自宅でこれらの礼拝を行う事に熱心であるべきです。








63 


私達は一日に何度もの集会に参加しています、例えば:


毎日の食事の際には、主にあなたが一緒に食事を


している人と話をした時


例えば立っている際に友達や近所の住人に出会っ


た時


クラスメートや仕事仲間と一緒に座っている時


あなたの配偶者や子供たちと一緒に座って話をした





配偶者や友達と一緒に車で出かけた時


フォーラムやセミナーや講義に参加した時





64 


これらのスンナを保ち適応することによって何をして


いるのでしょうか。


アッラーを数度称賛することで、アッラーに常に近ず


くことができます


これらの集会で起こったことに対して、懺悔しアッラ


ーの許しを請います


アッラー以外に神はないと証言します


日常的にこれらのスンナを適用するメリットは他の


人とそれらの集会で起こった事に対する許しを得る


事です。


65 


親愛なる皆さん、例えば、食事、就寝、仕事などのあなた方


が一日中行っている許された全ての行為は、あなたがこれら


の行動を通じてアッラーに近づこうという意志があるのならば、


これらの行動を、何千という「ハサナ」、善行を得る為の崇拝


行為に変えることができます。 ムハンマド(彼に平安あれ)は


申されました:


「行為は意志によるもので、全ての人は意図としたことだけを


持つでしょう」


(アル ブハーリとムスリムの伝承)


例えば:ムスリムは夜間の礼拝や夜明けの礼拝を行う為に早


期に眠るとすると、彼の睡眠は崇拝行為となり、日常生活の中


のほかの全ての許された行為に関しても同じです。








66 


同時に複数の崇拝行為を行うチャンスを失っていませ


んか? どのように行うのでしょうか?


モスクに向かう際、車や徒歩で向かっているかもしれませ


ん。この行為はもちろん報われるでしょう、しかしもしムスク


に向かう途中に他の事、例えばアッラーを称賛したり、クル


アーンを読んだり、聞いたりしてはどうでしょうか。こうするこ


とが、一度に多数の崇拝行為を適用する方法です。


もし結婚式(もちろんイスラムの教えに則ったもの)


に出席したとしたら、座席でアッラーを称賛したり、


人々とイスラムや宗教に関する役立つ事柄につい


て話をする事ができます。





人は全ての時間と条件の中に置いて、創造主と奴隷


という関係を前提に、アッラーを常に覚えている事は、


彼への服従の基礎です。アーイシャ(アッラーが彼女に


悦んで下さいますように)はこう言ったと報告されていま


す。:「アッラーの預言者(彼に平安あれ)はどんな時もア


ッラーを覚えていました。」(ムスリムの伝承)


アッラーと常に繋がっていることが人生です。彼に加護を求める事は救いで


す。彼の近くにあることは成功と満足で、彼から離れていることは損失と偏


差です。


偽善者の属性として、彼らはアッラーを少ししか覚えて


いないとあるので、アッラーを常に覚えている事は、信


者と偽善者の間を区別するものです。


アッラーを常に覚えていることは、シャイターン(悪魔)の


犯行に対して人を保護し、免疫の砦であるとして、アッ


ラーを覚えている事を見下す者を除いて、シャイターン


を人を事前に支配する事はありません。シャイターン(悪魔)


は人間がアッラーを忘れる事を望んでいます。





68 


唄念(ズィクル)こそが幸せへの道です。彼(彼に称えあれ)


は申されました:「これらの信仰した者たちは,アッラーを唱


念し,心の安らぎを得る。アッラーを唱念することにより,心


の安らぎが得られないはずがないのである」(雷電章28節)


楽園の人々は現世でアッラーを覚えておらず過ぎ去っ


た一時間を除いては後悔する事はないので、私達は


常にアッラーを覚えているべきです。「本当に永久的な


唄念は、アッラーとの永続的な関係を意味します。」


アン ナワウィは言いました:心と舌による唄念は、ウドゥーが亡くなった


者、清められていない者、月経中や産後の女性にも許可されています


。これは称賛(スブハーヌアッラーという事)、賛美(アルハンドゥリッラーと


いう事)、アッラーフアクバル(アッラーは偉大です)という事、ラーイラーハ


 イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはありません)という事


、アッラーの使途(彼に平安あれ)への平安と祝福とドゥアーをアッラーに


求める事も含まれます。これはクルアーンの読誦の場合とは異なります





.主(栄光ある崇高な御方)を覚えている者を、主は覚えて


いるでしょう。彼は申されました。「だからわれを念じなさい。


そうすればわれもあなたがたに就いて考慮するであろう。わ


れに感謝し,恩を忘れてはならない。」(雄牛章152節)


王の一人が会議である男を賞賛し、その男は王が彼につ


いて言及した事を知らされてとても喜んだとしたら、では全


ての王の中の王であるアッラーが、群集に向かって彼に言


及したとしたらどのように感じるでしょうか。どちらによって言


及されるほうが良いでしょうか?


アッラーを唄念するとは、心が集中することなく、アッラーに


従う事なく、彼への賛美を見下しながら、言葉や単語をつ


ぶやくことではありません。舌を用いた唄念は、その言葉の


意味に影響を受け、論理も連れそっていなければいけませ


ん。彼(彼に栄光あれ)は申されました。:「またあなたがは


朝夕,魂を込めて謙虚に,恐れ謹んで,言葉は大声で


なく,あなたの主を唱念しなさい。おろそかな者の仲間と


なってはならない。」(高壁章205節)





預言者(彼に平安あれ)は申されました。:「アッラーに対し


て瞑想するのではなく、アッラーの恩恵に対して瞑想しなさ


い。」(「アル アウサットとアル バイハキでのアッタバラニの伝承、アル アルバニが良


いと認証」


ムスリムの一昼夜の暮らしの中で数度繰り替えされる事の一つに、


私達へのアッラーの好意に関する感覚が挙げられます。一昼夜の間


にムスリムは多くの場面や状況で、見たり聞いたりすることがあります


。そして、アッラーによって恵まれ、彼の好意に対して考え、瞑想し、


アッラーを称賛する必要があります。


モスクに行く際に、あなたはアッラーの好意を感じますか?


そして特にファジャール(日の出前)の礼拝時にムスリムの


家庭に注目した時、まるで死んだかのように深い眠りにあ


る、あなたの周りにいる人々がどのようにアッラーの好意を


奪われてきたのか?


あなたが道を歩いていて、いろいろな場面に出会う時、例


えばここで事故がってこれは、、と言う悪魔の声(歌)が彼


の車から大音声で聞こえてきたとして、あなたはあなたに対


するアッラーの好意を感じますか?


飢餓、洪水、病気の蔓延、事故、地震、戦争やホームレ


スなどを含む世界のニュースを聞いたり、読んだりした時、


あなたはアッラーの好意を感じますか?.成功した奴隷とは、どの


ような状況や場面でも彼の心、感情、感覚からアッラーの恩恵が消えない


者だと私は思います。彼は常にアッラーを称賛し、宗教や健康、悪からの


安全と繁栄という与えられた恩恵に感謝します。








70 


預言者(彼に平安あれ)は申されました。;「毎月ク


ルアーンを読みなさい」アブ ダウードの伝承





毎回の礼拝の10分前にモスクに着くようにすると、


2ページ;礼拝前後にそれぞれ4章を読み終えるこ


とができるでしょう。そうすると、一日に10ページ:1


ジュズを読み終える事になります。こうして、毎月ク


ルアーンの全章を完全に読み終えるでしょう。





71 


ここで私達は最愛の預言者ムハンマド(彼に平安あ


れ)の日常のスンナを集めることができました。私達の


息がある最後まで、これらを日常生活の中で適用で


きるようにアッラーに求め願います。


全ての恵みをアッラーに感謝します。


カリード アル フサイバン



最近の投稿

イスラム教の説教者からキリスト教徒へのメッ ...

イスラム教の説教者からキリスト教徒へのメッセージ

預言者ムハンマドに会う 預言者ムハンマド ...

預言者ムハンマドに会う 預言者ムハンマド 聖書におけるムハンマドの予示:学者たちによる証言 クルアーンの著者はムハンマド?