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家庭における使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の一日:


アブドゥル=マーリク・アル=カーシム


はじめに


導きと真実な教えをもって,その使徒を遺わされた御方にすべての称賛あれ。


使徒たちの中の長であり、人類に慈悲として使わされた私たちの預言者と彼の教友たちすべてに平安がありますよ


うに。さて:


現在、大多数の人々は(預言者に対する敬慕について)誇張、あるいは怠慢な姿勢を取るかのどちらかにあります。


彼らの中には、祈願を使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対して行い、また彼に加護を求めるなど、シルク


の段階に到達するまで誇張して敬うことがあります-アッラーに御加護を求めます-。


また一方で、ある人びとは彼(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の導きに従うことに対して不注意であったり、彼


を模範や理想の姿としては捉えなかったりすることもあります。


この文書では一般者向けに、彼に関する伝記と日常生活について、簡易的に紹介するものであり、すべての事柄に


ついて陳述するものではありません。しかしながら、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安がありますように)に関


する性質と徳について述べたいと思います。


またこの中では、人々の生活に欠けている側面にも焦点を当てて、


各項目ごとに2、3のハディースを紹介したいと思います。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の生活はダ


アワー(布教)や生き方においてウンマ全体に対する模範でした。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は至高なるアッラーに対しての服従や崇拝行為において、また寛容な


品性と善き対人関係など広範囲に及ぶ最善の模範でした。


至高で偉大なるアッラーが彼(預言者)を称賛していることがその裏付けとしても十分と言えます:


本当にあなたは,崇高な徳性を備えている。


スンナに従う者たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の地位についてアッラーが彼等に命じられた規


定通りの理解で受けとめて敬意を示します。彼(預言者)はアッラーの僕でありまたアッラーのみ使いでありアッラー


の親友でもあります。そしてスンナに従う者たちは自分たちの子供や両親、または自分自身以上に預言者(彼にアッ


ラーからの祝福と平安あれ)のことを愛しますが、決してその度合いを誇張したり過小したりせずに正しい理解で受


け止めるのです。


それゆえに、私たちは誕生祭などのように新しいことを導入したりするのではなく、むしろ彼(預言者)が命じられたよ


うに預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を愛し、また彼(預言者)の命に従い、禁じられたことを避け防ぐの


です。


その伝えられた知識の中には、彼(預言者)は一人の人間であること


また彼(預言者)は全人類におけるアッラーの最良の被造物であること


最後の預言者であり最も高貴であること


人々の間に光として現れること


シャハーダの中に至高なるアッラーと預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対する証言が含まれているこ





ムアッズィン(礼拝の呼びかけ人)が一日五回アザーンをする際、証言の文言として含まれること


至高なるアッラーの名から預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に名が与えられ高貴な存在とされたこと


アッラーは称賛されるべき存在であり、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は称賛する者として(د(ح)


われていること


私たちがこの現世において愛する預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を見る機会を失った時、私たちは至


高で偉大なるアッラーに預言者が以前、語られた者たちの一人となれるように祈願します:


本当に私は、私の同胞たちと会えることを願っています」 人々は言いました:「み使い様、私たちはあなたの同胞で


はありませんか?」預言者は言いました:「あなたたちは、私の友人です。私の同胞とは、まだこの世に生まれてない


人たちのことです」人々は言いました:「み使い様、まだ生まれてもないあなたのウンマの人々を、どうやって識別な


さるのですか?」するとみ使いは言われました:「ある人が、全身真黒の馬群の中に額と両足が白い何頭かの馬を


所有している場合を想像してみなさい。 その人には、自分の馬たちを識別できないだろうか?」 人々は言いました:


「確かにできます」 み使いは続けてこう言われた: 「彼らはウドゥーを行ったため、顔、両手、両足を白く輝かせなが


らやって来るのです。 私は彼らより先に私の水場に到着しています。」


私は至高で偉大なるアッラーに私たちを預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に正しく従った者として、また


彼(預言者)のスンナに倣った者としてもらえるようにドゥアー(祈願)します。


また至高で偉大なるアッラーに私たちを預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と共に天国に入れるように、そ


して彼(預言者)に最善の報奨が授けられるようにドゥアー(祈願)します。


私たちの預言者ムハンマドとその系譜、その教友全てにアッラーの祝福と平安がありますように。


アブドゥル=マリク・ブン・ムハンマド・ブン・アブドゥル=ラフマーン・アル=カーシム


訪問


私たちは文字や単語を通して何世紀も前にページをめくり、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家を訪


問して観察してみたいと思います。


彼(預言者)の家に入り彼(預言者)がどのように振る舞い、そして話すのかを見てみましょう。


私たちは僅か一日の時間を預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家で過ごすことで彼(預言者)の言動を


通して数え切れない程の教訓を見出すはずです。


また最近では情報の入手手段の発展に伴い人々が得る知識の量は増加しました。書籍や研究資料、映像や文書


などを通して東西に及ぶ情報を入手することができます。


その中でも、シャリーア(イスラーム法)に則って預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を観察し、見聞から得


た知識を純粋に取り入れ活かそうとしている点に於いて私たちにはよりその資格が備わっていると言えるでしょう。


またここでは簡潔に紹介することを目的とする為に預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家に於ける特定


の状況について焦点を当てるつもりです。それらの観察した内容が私たち自身を育成し、私たちの家に於いて実践


に活かせるように願います。


親愛なるムスリムの兄弟姉妹の皆さん:


私たちは自分たちが見たことのないものを単に楽しむ為だけに何世紀も前に遡るわけではありません。


むしろ、私たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の伝記を読むことによって、彼(預言者)のスンナに


従い、彼(預言者)が実践した方法でアッラーに対する崇拝行為に活かしたいと考えるのです。


至高で偉大なるアッラーは私たちにアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を愛するように御命じに


なられました。


そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対する愛を示す最も重要な印は、彼(預言者)の命令に従い、


彼(預言者)が禁じたことを避け、守ることなのです。


至高で偉大なるアッラーは私たちに預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の命令に従い、彼(預言者)をウン


マの長としてまた最善の模範とするように命じられました。


言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば,わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを


愛でられ,あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」


そして、至高なるアッラーは仰せられました:


本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であっ


た。


至高で偉大なるアッラーはクルアーンの中で40箇所以上において預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の


命令に従うように言及されました。そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に従うこと以外には来世での


幸福と救済は実現しないことを示されたのです。


アッラーとその使徒に服従する者は,川が下を流れる楽園に入り,永遠にその中に住むであろう。それは至上の幸


福の成就である。


だがアッラーとその使徒に従わず,かれの定めに背く者は,業火に入り,永遠にその中に住む。かれは恥ずべき懲


罰を受けるであろう。


またアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を愛することは信仰の素晴らしさを見出す原因の一つ


に数えられます。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言われました:


「誰でも信仰の素晴らしさを見出した者は三つの特長をもっています。一つ目に、彼にとってアッラーとそのみ使いは


他のいかなるものより尊いこと‥」


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


“私があなた方の父や子、はたまた(その他)全ての者よりも愛しい者とならなければ、真に信仰したことにはならな


い。」


アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の伝記はよい香りを放つ純真なものであり、私たちはそれ


を学びその導きに従わなければなりません。


旅行


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家に旅をすることは彼(預言者)の生活の詳細や家族に対する振る


舞い方など、特に私たちが至高なるアッラーからの善き報奨を求める上で学べるとても興味深い事です。


この旅行では、私たちの最善の模範(預言者)からの偉大な教訓を学ぶことができます。


しかしながら、この旅は書籍や教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)の伝承を通じての旅を請け負うものです。な


ぜならば、実際に預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の墓や家、または他の場所を目的とした旅行は許可


されていません。ただし、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)か言及された3つのマスジドだけは例外で


す。彼(預言者)は言われました:


「ハラーム・モスク、預言者モスク、アクサー・モスクの3つのモスク以外の場所を目的として旅立ってはならない 。」


その為、私たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の命令に従い、この3つのマスジド以外を宗教的な


崇拝目的の為に旅行してはいけません。


至高で偉大なるアッラーは仰せられました:


また使徒があなたがたに与える物はこれを受け、あなたがたに禁じる物は、避けなさい。


同様に私たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の痕跡を求めることも避けなければなりません。


イブン・ワッダーフは言いました:


かつて人々は樹の下で預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に忠誠を誓いました。ウマル・ブン・アル=ハッ


タ―ブ(彼にアッラーのご満悦あれ)はその(忠誠が誓われた場所である)樹を切り倒すように命じました。なぜなら


ば人たちがその樹の下へ赴き礼拝を捧げるようになり、この樹自体が人々の間で特別視されることを恐れた為で


す。


またイブン・タイミーヤはヒラーの洞窟について言いました:


「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は預言者性を授かる以前にヒラーの洞窟の中でアッラーに対する崇


拝行為に勤しんでいました。そしてその場所において最初の啓示が下りましたが、啓示が下り始めてからのそれ以


後、彼(預言者)も教友たちもその場所に登ることも近づくこともしなかったのです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は預言者性を授かった後に10年以上をマッカで過ごしましたが、マッ


カの信仰者達と同様にヒラーの洞窟を訪れることも登ることもありませんでした。またマディーナにヒジュラ(遷移)し


た後、アル=フダイビーヤのウムラ(小巡礼)やマッカ勝利の年に20日間近く滞在した時、またアル=ジゥラーナの


ウムラなど幾度となくマッカを訪れた際もヒラーの洞窟に行くことも訪れることもなかったのです。」


私たちが預言者の街マディーナに近づくと最も卓越した目印が眼前に現れます。


それこそがウフド山であり、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


この山は私たちを愛し、私たちもこの山を愛しています。


そして私たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家に入る前にその建物と外観を目にしますが、その


住まいの小ささと簡素な家具類を目撃しても驚くことはありません。


なぜならば、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人々の中でも最も禁欲であり、現世の楽し


みや財産に目を向けることはなかったからです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言われました:「礼拝は私の目を喜ばせてくれる」


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は現世について次のように言われました:


「私は現世について関心を向けることはない。現世を例えてみるならば、一人の乗り手が夏の暑い日に移動している


ようなものであり、彼は木陰で暫しの休息をとりその後立ち去っていくようなものである。」


アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家へと近づき、私たちはマディーナの道を足早に進みま


す。


そして今、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻たちの部屋を目の前にすることが出来まし


た。いくつかの部屋はナツメヤシの茎に泥を混ぜたもので建てられており、また他の部屋は石を重ね、そして全ての


部屋の屋根はナツメヤシの茎で覆われていました。


ハサン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「ウスマーン・ブン・アッファーン(彼にアッラーのご満悦あれ)がカリフを務めていた時に預言者(彼にアッラーからの


祝福と平安あれ)の妻たちの家に入るとその屋根に私の手が届きました。」


実際にそれはとても質素な家であり、小さな部屋から成り立っていました。しかしながらその部屋は信仰心と至高な


るアッラーに対する服従、そして啓示と教訓に満たされていました。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の特徴:


今、私たちは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家に近づき、許可を求めて扉をノックします。彼(預言


者)のハンサムな顔立ちや微笑まれている様子など彼(預言者)の特徴を知る上で、実際に預言者(彼にアッラーか


らの祝福と平安あれ)を見ている者と共にいるかのように私たちの想像を膨らませてみましょう。


アル=バラーゥ・ブン・アーズィブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最も顔立ちが立派で、かつ最も容姿の優れたお方でした。


彼の上背はとても高くはありませ んでしたが、低くもありませんでした。」


また彼(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の身長は適度にあり肩幅が広く、髪の毛は耳たぶまでに達するほど


長くありました。また私は彼(預言者)が赤いマントを着ているのを見たことがあり、彼以上にハンサムな人物を見た


ことがありません。」


またアブー・イスハーク・アッ=サビ―イー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「ある男がアル=バラーゥ・ブン・アーズィブ(彼にアッラーのご満悦あれ)に尋ねました:“預言者(彼にアッラーから


の祝福と平安あれ)の顔は剣のよう(な輝き)でしたか?”すると彼は言いました:“いいえ、月のよう(な輝き)でし


た。”」


アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「私は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の掌よりもなめらかな錦や絹に触ったことがないし、預言者(彼


にアッラーからの祝福と平安あれ)の体から漂う芳香よりもよい香りをかいだことがありません。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の特徴:羞恥心について


アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)も彼(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)について


述べています:


「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は寝室の乙女よりも羞恥心の強いお方でした。そして彼が何かを


嫌っている時には、私たちはその表情からそのことを察することが出来たものです。」


これは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の美しい外見と彼(預言者)の品性についての特徴を簡易的に


紹介したものです。至高で偉大なるアッラーは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を最も完全な人物とさ


れました。


使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の話し方:


以前、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はどのように話されていたのか、その話し方といくつかの特徴に


ついて見てみましょう。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はあなた方が今話しているように、急いで話されることはありません


でした。むしろ彼(預言者)は簡潔で明白に話され、聴衆が彼(預言者)から聞いたことを記憶できるほどでした。」


彼(預言者)は思いやりのある寛大な方であり、人々が彼(預言者)の言葉を理解することを好まれました。


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は個人差や理解の程度の違い、また相手の能力なども考慮に入


れて話し、それは時に忍耐を求められるものでもありました。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉は、それを聞いたいかなる者も理解することが出来る


ような、(明瞭に)区切られたものでした。」


またアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の優しさについて目を向けると、彼(預言者)の心はと


ても広大で、人々が彼(預言者)の言葉を理解できるように繰り返し話されていました。


アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言葉を3度繰り返されその為、聴衆は正しくそれらを理


解することができました。」


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人々に親切に接し、彼(預言者)に対する恐れを取り除かれま


した。


イブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「一人の男が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに来て話しました。すると彼は畏れから震えはじ


め、その様子を見て預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に言いました。“落ち着きなさい。私は王では


ありません。私は干し肉を食べていた女性の息子に過ぎないのです。”」


家の中


許可を得てこのウンマの預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家の中心に入ることが出来ました。


ベッドや家具、道具類と同じように、内側からこの(預言者の)家のことについて語ってくれる教友たち(彼等にアッ


ラーのご満悦あれ)の話に耳を傾けてみましょう。


通常、他人の部屋や家全体を見回すことは禁止されることを知っています。しかしながら、預言者(彼にアッラーから


の祝福と平安あれ)は私たちの模範であり、この家を観察することによって、彼(預言者)に従うことに役立てればと


思います。


実際、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家の家具は質素であり、その中心を占めるのは信仰心です。


今日、多くの家々に於いて壁に生物画が飾られているのとは対照的にこの家でそれを見ることはありません。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「天使は犬がいる家には入らないし、画のある家にも入らない」


それからアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が日常で使用していたものを見てみたいと思いま


す。


サービト(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)が鉄の線の入った厚みのある木製の容器を私たちの所に持ち


出してきました。そして彼は言いました:“サービトよ!これはアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あ


れ)の容器ですよ。”」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこの容器で水やナビィーズ、蜂蜜やミルクを飲まれていました。


アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


アッラーのみ使いはお飲みになる際は三呼吸で飲まれるのが常であった。


この意味は:器の外で呼吸するということ


また預言者は容器の内側で呼吸すること、もしくは息を吹きかけることを禁じられました。


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が戦いの時に装備していた鉄の鎧については、おそらく今は家の


中にないでしょう。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)がアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が亡くなり彼


(預言者)が使用していた鉄の鎧はユダヤ人のもとにあると言われたように、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの


祝福と平安あれ)は30サーアの大麦を受け取る担保としてそれをユダヤ人に渡しました。


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は妻たち(彼女たちにアッラーのご満悦あれ)のもとを突然訪れて


彼女たちに不信感を抱かせるようなことはありませんでした。むしろ彼(預言者)は自身が訪れることを彼女たちが周


知しているときに訪れ、また訪問時には彼女たちに挨拶をされました。


また以下にあるアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のハディースを注意深く考えてみて下さい。


「幸福とはイスラームに導かれた者であり、また彼(もしくは彼女)が生活に必要な糧を与えられて満足していること


である。」


また他のハディースの例にも耳を傾けてみて下さい。


「誰であれ家族が平穏無事であると感じ、健康な状態で朝を迎え、その日に必要な糧を授かっている者は、あたかも


全世界を手に入れたようなものである。」


親戚


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人々の中でも最も親戚関係の繋がりを良く保たれる方でした。


信仰者ではないクライシュ族の人々でさえ、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が啓示を受ける以前から


彼(預言者)の正直で誠実な性質を称賛するほどでした。


ハディージャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)について次のように言


及しています:


「あなたは親戚関係の繋がりを良く保ち、真実を話される方です…」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が最も重要な責務の一つとして果たすべく、7歳の時に亡くした母親の


墓を訪れた時の事を見てみましょう。


「アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)はこう言いました:


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はその御方の母の墓をお訪ねになった。そしてその御方は泣かれた。


周囲にいた人達も泣いた。その時「私は、わが主に母のためにお許しを懇願したがお聞き入れにはならなかった。ま


た私は主に、わが母の墓を訪れることを願った。それはお聞き入れ下さった。それであなた方も墓地を訪れよ。実に


それは亡き人々のことを思い出させる」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の親戚に対する愛情、そして苦痛や困難に見舞われても彼等に呼び


かけ、導き、業火からの救済のために奮闘されたことについて考えてみて下さい。


アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「次の聖句が啓示された折:


「あなたの近親者に警告しなさい」(クルアーン第26章214節)


アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はクライシュ族の者らを呼ばれた。それで彼らが集まった


時、彼はイスラームに関する基本的な事柄と或る部族を例にした特別な話をなさった。彼は言われた:


『アブド・シャムスの子孫よ、地獄から自らを救いなさい、カアブ・ビン・ルワィーの子孫たちよ、業火から自らを救いな


さい、ムッラ・ビン・カアブの子孫よ、業火から自らを救いなさい、アブド・マナーフの子孫よ、地獄から自らを救いなさ


い、ハーシム家の子孫たちよ、業火から自らを救いなさい、アブドル・ムッタリブの子孫よ、業火から自らを救いなさ


い、ファーティマよ、業火から自らを救いなさい。 私はあなたたちの親族であるが、アッラーの定めに抗してまで、あ


なたたちを守る力は私にはありませんから』」


親愛なる預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼(預言者)の叔父であるアブー・ターリブに対して諦めた


り疲弊することなく、何度も繰り返し彼が死を迎えるその日までイスラームを受け入れるように呼びかけました。


アブー・ターリブの臨終に近い頃、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼を見舞いにおいでに


なった。そこには、アブー・ジャフル・アムル・ビン・ヒシャームとアブドッラー・ビン・アブー・ウマイヤ・ビン・ムギーラが


いた。預言者はこう言われた:


「伯父上よ、『アッラー以外に神はない』と告白して下さい。そうすればあなたが信者であることをアッラーの前で私が


証言します」


これに対しアブー・ジャフルとアブドッラー・ビン・アブー・ウマイヤは言った:「アブー・ターリブよ、あなたは父アブド


ル・ムッタリブから受け継いだ先祖伝来の信仰を棄てるのですか」


彼ら(アブー・ジャフルとアブドッラー・ビン・アブー・ウマイヤ)はアブー・ターリブが最後にアブドル・ムッタリブの信仰


を守ることを決断するまで、彼らの言葉を繰り返した。


これに対しみ使い(彼の上に平安がありますように)は言われた:


「アッラーよ、私はあなたが止めるよう命ずるまで、あなたに伯父のための許しを乞い続けるでしょう」その後間もな


く、アッラーは次の聖句を啓示された:


多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかに


なった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。


次の聖句もアッラーのみ使いに啓示された:


本当にあなたは,自分の好む者(の凡て)を導くことは出来ない。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は叔父の生前に何度も繰り返しイスラームを受け入れるように呼びか


けました。それは死の床に至り啓示が下るまで彼に対する赦しと慈悲を乞い求めたのです。


そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は啓示を受けるとそれに従い、親戚の中で偶像を崇拝する者た


ちの為にドゥアー(祈願)することをやめました。


この内容は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のウンマに対する慈悲と配慮を表しており、また最終的に


はたとえ親戚や血縁関係の間柄であったとしても信仰しない者や多神崇拝をする者とは無縁であることを示してい


ます。


私たちの預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は絶望の後に現れ


一人の使徒として、偶像が崇拝されている地上に遣わされました


彼(預言者)は眩い光を放って人々を導き


磨き上げられた剣の光沢のように現れました


私たちに地獄の業火について警告し、天国の吉報を伝え


そして私たちにイスラームを教えたのです。アッラーにこそ称賛あれ。


家庭におけるアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)


家庭での様子は人間のよき品性や道徳心など本来の姿を真に現すものです。また彼のよき交際関係や純真な性格


が現れたりします。家庭での様子は部屋や壁に遮られ、誰も見ることが出来ません。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼(預言者)の僕や給仕、また妻たちに対して尊大に振る舞うことな


く謙虚さと寛容さをもって接していました。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこのウンマの指揮官であり指導者でした。彼(預言者)がどのように


家庭で振る舞っていたのかを見てみたいと思います。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は尋ねられました:「アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あ


れ)は家の中で何をなされていたのですか?」


すると彼女は言いました:「彼(預言者)は他の人と同じように振る舞っていました:彼(預言者)は衣類から虫を取り


除き、羊のミルクを搾り、そして彼(預言者)自身の仕事を行っていました。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は謙虚な姿勢で振る舞い、高慢さや他に負担を課すことをされない一


つのお手本でした。彼(預言者)は人類の中で最善であり率先して手を差しのべ、全てのことにおいて献身的に振る


舞いました。そして彼(預言者)はこの祝福に溢れた家の中に居りましたが、度々預言者(彼にアッラーからの祝福と


平安あれ)自身の空腹を満たすものを見つけることはできませんでした。


アン=ヌウマーン・ビン・バシール(彼にアッラーのご満悦あれ)は次のように言いました:


私は、かつて、あなたたちの預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が、腹を満たすために食べるべき、なつ


めやしの質の悪い実すらも入手できなかったのを見たことがあります」


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「私たち家族は1ヵ月間(料理の為に)火をつけることなく過ごしました。そして私たちの食べ物はナツメヤシと水以外


にはありませんでした。」


それにもかかわらず、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はイバーダ(崇拝行為)とアッラーの命令に服従


することにおいて気持ちを取り乱すことはありませんでした。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアザーン(礼拝の呼びかけ)を耳にした時には敏速に反応し、現世


的な事柄から身を退きました。


アル=アスワド・ブン・ヤズィード(彼にアッラーからのご満悦あれ)は言いました:「私はアーイシャ(彼女にアッラー


からのご満悦あれ)に尋ねました:“預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は家の中で何をなされていました


か?”」


彼女は言いました:「彼(預言者)は家族の為に手伝い、アザーン(礼拝の呼びかけ)が聞こえると(礼拝の為に)出て


行かれました。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が自宅で義務の礼拝を行ったという伝承は、死が訪れる前に病気が


激しく熱病にかかり、外出が困難であった時以外には伝えられていません。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はウンマの人々に対して慈しまれますが、集団での義務の礼拝を行


わない者に対しては厳しい態度を取られました。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「私は誰かにまきの束を準備するよう命じそれから誰かに人々を導いて礼拝するように命じておいて、その後礼拝に


加わらない人々の家をその中に居る人間も含めて全て焼き払ってしまおうかと考えた程でした」


これは集団での礼拝の重要性を示すものです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「誰であれアザーン(礼拝の呼びかけ)を耳にして応えない(集団礼拝の為にマスジドに行かない)者は理由がない


限り礼拝をしたことにはならない。」


理由には恐れや病気などがあります。


今日、礼拝する者たちはどこにいるのでしょう?妻たちの隣に座りマスジドに行くことはしません。病気や恐怖に関す


る理由はどこにあるのでしょう?


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の導きと振る舞い


人の動静は彼の知性と彼の本質を知るための鍵です。


信仰者たちの母であるアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に


近しい存在であり、彼(預言者)の品性や就寝時の様子、起床時、病床時、健康時、怒りや満足などあらゆる状況で


の預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)について最もご存知の御方です。


信仰者達の母であるアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は決して市場で無作法で劣悪で騒々しい振る舞いをされる


方ではありませんでした。また決して悪事に対して悪事で報復されることはなく、預言者(彼にアッラーからの祝福と


平安あれ)は人を赦し寛容に振る舞われていました。


これはアッラーがこのウンマに対し慈悲と恩恵として遣わされた預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の性


質です。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の孫であるアル=フセイン(彼にアッラーのご満悦あれ)は彼(預言


者)について言及しています:


「私は私の父に人々が彼と集まっていた時に預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の品行について尋ねまし


た。すると彼は言いました:


“預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は常に快活で落ち着いており、人に寛大な方でした。彼(預言者)は


決して無作法で厳しく、また騒々しく話されることはなく、他人の不正をあら捜しされることもありませんでした。彼(預


言者)は過度に称賛されることを嫌い、過度におどけたりすることもなく吝嗇な性質でもありませんでした。彼(預言


者)は自ら好まないものを大目に見、期待した人物に失望することも彼を非難することもなく、誰に対しても見下げた


り非難したり、また彼等の失敗を追跡したりすることもありませんでした。彼(預言者)は彼等にとって善き報奨になる


ことを望まれて話されました。彼(預言者)が話をされる時には頭上に鳥が止まっているかのように聴衆は頭を下げ


て聞いていました。そして彼(預言者)が話されている時に聴衆は静かに耳を傾け、彼(預言者)の話しが終われば


人々は話をするのでした。人々は彼(預言者)の前で口論をしたりはしませんでした。人々が笑っている事柄に彼(預


言者)は共に笑い、人々が驚く事柄に対して共に驚いたりするのでした。”」


彼(預言者)は見知らぬ不作法な者に対してもよく辛抱し、教友たちに言いました:


「助けを必要としている者を見た時には援助してあげなさい。」


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人から過度に称賛されることをひどく嫌われました。そして人が


話すのを妨げたり、話の途中で彼(預言者)が話し始めたりすることはありませんでした。ただし、人が過度に話し続


けた時だけは止めに入るか、もしくは諦めて立ち去ったのです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の性質や彼(預言者)の振る舞いの一つ一つを注意深く観察してみて


下さい。なぜならば、それらの一端でも取り入れその行いに努めることは、よき行いの具現化であるからです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼(預言者)と共にあった者たちに宗教に関する事柄について教え


られていました。


その中には、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように言われたものがあります:


死ぬまでアッラー以外の何かにドゥアー(祈願)していた者は、地獄の業火に入るだろう。


また、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は次のように言いました:


言葉によってでも、手によってでも他人を平安にする人がよいムスリムです


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「暗闇の中、マスジドに赴く者たちに良い知らせを伝えなさい。彼らは審判の日に完全な光を与えられるだろう。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「あなた方の財産、身体、言葉を用いて多神教徒に対し奮闘しなさい。」


また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「しもべは、その話す言葉によっては、たとえそれがどんな影響をもつか知らなかったとしても、東西間よりももっと遠


い距離にある地獄におちることになる。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


“私は呪う者として遣わされたのではない。慈悲として遣わされたのだ。”」


ウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「キリスト教徒がマルヤムの息子を誇張して称賛したように私を称賛してはならない。」


。は:一定の程度を越えた称賛のことを指しとا إاطرا ُء


ジュンダブ・ブン・アブドッラーは言いました:


私は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が死の五日前に次のように言ったことを聞きました:


「私があなた達の中からハリール(親友)を選んだとしてもアッラーの前で潔白です。なぜならアッラーはイブラヒーム


をハリールにしたと同じように私をハリールにしました。もし私が私の信徒たちの中からハリールを選ぶとしたら、


きっとアブー・バクルを選ぶでしょう。かつてあなた達以前の人々は彼等の預言者の墓を礼拝所にしましたがあなた


達は決して墓を礼拝所にしてはならない。私はそのことをあなた達にしかと禁じます。」


このようにマスジドの中に墓が一つもしくは複数あった場合、そこでの礼拝は禁じられます。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の娘たち


イスラーム以前の無明時代に女児が産まれることは両親の人生にとって災難でした。それは家族や部族全体にま


で影響を及ぼし、醜聞や恥となることを恐れ、その解決策としてこの社会の人々は女児たちを生き埋めにしたので


す。


彼等はこの恐ろしく残酷な行為を慣行しました。そこには慈悲や愛情の影すらなく娘たちは様々な手法で生き埋め


にされたのです。


その例として、もし誰かが女児を出産した場合に6歳になるまでそのままにしておきます。そしてその年齢を迎えた時


に男が彼女の母親に言います:


「彼女を親族のもとに連れて行く。彼女を飾り付けなさい。」しかし彼女の父親は彼が砂漠に掘った穴の墓場へと連


れて行きます。そして幼い女児に言います:「穴の中を見てごらん。」


女児がそのようにすると、彼は女児を墓の中へと押しやり、残酷にも女児を砂で覆うのでした。


この無知な社会の慣習をアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこの偉大な教えによって断ち切


りました。そこでは女性が母親として、妻として、娘や姉妹、または叔母としての名誉ある地位を得たのです。


アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の娘たちは彼(預言者)にとても愛されていました。預言者


の娘であるファーティマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)が彼のもとを訪れた時には、彼は彼女の為に起き上がって


歓迎し、彼女の手に接吻しました。そして彼が座っていた場所に彼女を座らせたのです。また同様に預言者が彼女


のもとを訪れた時には、彼女が彼の手に接吻し、彼女が座っていた場所に彼(預言者)を座らせました。


このように預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は娘たちのことをとても愛していましたが、以下の啓示が


アッラーから齎され二人の娘であるウンム・クルス―ムとルカイヤがアブー・ラハブの息子であるウトバとウタイバか


ら離婚されることになった時には預言者は辛抱強く、アッラーの為にその状況を受け入れました。


アブー・ラハブの両手は滅び,かれも滅びてしまえ。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はダァワーを断念すること、撤回することを拒みました。クライシュ族の


者たちが脅迫し、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の娘二人を離婚するに至っても堅固に忍


耐し続けました。この教えを伝えることにおいて揺らぐことはなかったのです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の娘たちへの真心を込めた歓迎について、アーイシャ(彼女にアッ


ラーのご満悦あれ)は伝えています:


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻達が(彼の最後の病気のときに)彼のもとに(集って)いたが彼女


達の誰もその場を離れようとしなかった。そこヘファーティマが歩いてやって来た。そして彼女の歩く姿はアッラーの


使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が歩く姿と全く変わらなかった。そして彼が彼女を見たとき彼は彼女を歓


迎して「良く来た、我が娘よ」と言った。それから彼は彼女を彼の右側もしくは左側に座らせた。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の娘たちへの優しさと愛情について:預言者(彼にアッラーからの祝福


と平安あれ)は彼女たちを訪問して、彼女たちの様子を知り、そして彼女たちの抱える問題を解決しました。


ファーティマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにひきうすから落


ちた穀物を手にしなから仕事が多いことを訴え、召使いを探してくれるよう頼むために訪れました。しかしながら預言


者は不在だった為、彼女は、アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)に会い、生活の困難さについて話しました。


そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が帰った時、アーイシャはファーティマが訪ねてきたことを話しま


した。


アリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は付け加えてこう言いました:


預言者は、私たち(ファーティマとその家族)の家においでになりました。私たちはベッドで横になっていましたが、預


言者がおいでになったので起きようとしました。 すると預言者は言いました:「そのままベッドにいなさい。」そして私


たちの間にお座りになりましたが、私の腹にさわった預言者の足は冷えきっていました。そしてその折、預言者は次


のように言われました:


「私があなたたちに召使いよりも、よいことを教えてあげよう。ベッドに臥した時、アッラーは偉大なり!(タクビール)


を34回、アッラーを讃美します!(タスビーフ)を33回、そして、アッラーを讃え、感謝します!(タフミード)を33回唱え


なさい。その方が召使いをもつより、あなた方にとってずっとよいことである。」


私たちは、アッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の忍耐の中によき模範を見出すことが出来ま


す。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の子供たちはファーティマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)を除い


て、預言者の存命中にすべて亡くなりました。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はその人生の中において自身の顔を打つことも、服を裂くことも、また


子供が亡くなった際にその死を悲しみ、集まりの場を設けて哀悼の言葉を受けたりすることもありませんでした。むし


ろ、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は忍耐して、アッラーの定命を満足して受け止めたのです。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私たちに素晴らしい助言と真正なハディースを残してくれました。そ


れは悲しみや苦痛を和らげてくれます。


預言者ムハンマド(彼の上に平安がありますように)は次のように述べています:


災難に遭うと,「本当にわたしたちは,アッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。」(クルアーン第2章


156節)アッラーよ、どうか私の災難に償いを、そして(失ったものの)代りにより良き物をお与え下さいと祈願すれ


ば、アッラーはその者の災難を償われ、(前のもの)より良きものをお与え下さるであろう。


至高で偉大なるアッラーは災難に見舞われた者たちがこれらの言葉によって立ち直り、また忍耐する者たちがアッ


ラーの御許で偉大な報奨を授かることの吉報を伝えたのでした。至高なるアッラーは仰せられました:


よく耐え忍ぶ者は本当に限りない報酬を受ける。


妻への接し方


家庭の中での妻の存在はとても重要な位置づけにあります。それはまるで大きな樹にある木陰のようにそこに住む


者たちに平安をもたらすのです。


使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「現世は享楽であるが、現世の享楽の内でも最たるものは敬虔な女性である。」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は妻たちに対してとても親切に振る舞いました。その例として、彼(預


言者)は信仰者達の母である妻のアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)に対して親しみを込めて呼びかけ、彼


女に知らせを伝える時には心が舞い上がるよに伝えたのでした。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は伝えています:


「ある日、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:


「アーイシャよ、ここでジブリールがあなたに挨拶しています」


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最良で最も高貴な人物であり、また寛大で親切な方でした。彼(預


言者)は妻たちの心理を理解したうえで思いやりをもって彼女たちと接していました。全ての女性が夫のもとでは他


の女性以上に愛されていることを求めるように預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼女たちに敬意を


もって振る舞われていたのです。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は伝えています:


月経中、水を飲むために私が使っていた容器を預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にお渡しすると、預言


者は、私が口を触れたところに御自分の口を当てて水をお飲みになった。私が月経の折、骨つき肉を食べ、残りを


預言者にお渡しすると、預言者は、私の口が触れたところに御自分の口を当ててその残りをお食べになった。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は偽信者や東洋学者たちの誤った主張に反し、妻たちに対してはとて


も親切で思いやり深かったのです。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「ある日、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は妻たちの中の一人に接吻し、ウドゥー(小浄)をやり直すこ


となくサラ―(礼拝)に出かけられました。」


またアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は多くの場面の中で、彼(預言者)の人生における女性


の地位の高さについて明らかにされていました。


預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアムル・ビン・アース(彼にアッラーのご満悦あれ)から質問を受けた


際、妻に対する愛情を明確に伝えました。これは恥じる必要のない正しいことです。


アムル・ビン・アースはアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように言ったと伝えています:


「あなたにとって誰が最愛なる人ですか?」(と尋ねられ)彼は「アーイシャだ」と言いました。


また誰であれ夫婦の幸せを求める人たちは、信仰者達の母であるアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)がどの


ように預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と共に過ごしたかを注意して見るべきでしょう。


アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:


「以前、私はアッラーのみ使い(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と共に一つの容器を使ってグスルをしていまし


た。」



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