____________________________________________________________________
80
復活の後に起こること
復活の後、人は永遠の天国か、あるいは永遠の地獄かのいずれかへと向かいます。そしてその住民はその住まいで、永遠に過ごすことになるのです。公正なるアッラー()が、人間をお裁きになられます。アッラー()はこう仰っています:
そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。(クルアーン21:47)
全ての民は、彼らに遣わされた使徒が伝えた宗教に応じて、裁かれます。アッラー()は仰っています:
その日、われら(アッラーのこと)は全人を、彼らの指導者(預言者たち)と共に招集する。それで(現世での行いが記録された)帳簿が右手に渡された者は、その帳簿(に記録された善行)を読み上げる。そして彼らは、種子の割れ目ほど(の些細なことにおいて)も不正を被ることがない。しかし現世において盲目であった者(つまり導かれなかった者)は、来世においても盲目であり、それ以上に迷い去っているのである。(クルアーン17:71-72)
信仰し、善行に励んでいたムスリムは、永遠の享楽が待ち受けている天国に入ります。彼らはアッラーとその使徒のご命令を遵守し、彼らが禁じたことを回避していたからです。天国では死が訪れることはありません。アッラー()はこう仰っています:
主を畏れる者たちはその日、安全な立ち所にある。(彼らは)園々といくつもの泉の中に、薄地と厚地の絹の衣服をまといつつ互いに向かい合っている。またわれら(アッラーのこと)は彼らに、色白で大きな眼の美女たちをめとわせる。(彼らは)そこで何の悪や害も被ることなく、ありとあらゆる果実を運んで来させるのだ。(彼らは現世で味わった)1度目の死後、そこで死を味わうことはない。そしてわれらは彼
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
81
らを地獄の懲罰から守ったのである。(これこそ)あなたの主からのお恵み。そしてこれこそは、この上ない勝利なのだ。(クルアーン44:51-57)
天国の民が享受する祝福について、預言者ムハンマド()はアッラーが次のように仰られたと伝えています:
「われはわが正しいしもべに、いかなる目も見たことがなく、またいかなる耳も聞いたこともなく、そしていかなる心も想像だにしたことがなかったようなものを用意しておいたのだ。」それから(伝承者である)教友アブー・フライラ()は、こう言っています:「望むなら、このアッラーの御言葉を読むがよい:
誰一人として(来世において)彼らのために隠された享楽の数々を知ることはない。(それは)彼らが行っていたことに対する報いなのである。(クルアーン32: 17)」(アル=ブハーリーの伝承)
また、預言者ムハンマド()はこう言っています:
「天国に入る最初の集団は、あたかも満月のようである。そしてその次の集団は、天に輝く明るい星のようである。彼らはそこで排尿や排便をしたり、また唾を吐いたり鼻をかんだりする必要もない。また彼らのくしは金製で、汗は麝香の香りである。そして彼らの香水はインディアン伽羅であり、彼らの妻は白い肌の大きな眼の乙女である。彼らは(互いに憎しみ合ったりすることもなく)一心同体のようであり、六十腕尺もある彼らの父祖(アーダムのこと)に姿形が似ている。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また、教友ジャービル()は預言者ムハンマド()が次のように語った、と伝えています:
「“天国の住民は飲食するが、唾を吐いたり、排便したり、痰を吐いたりすることがない。”彼らは尋ねました:“では彼らの食べ物はどうなる(つまり排泄される)のですか?”彼は答えました:“それらはげっぷと発汗として出るが、それらは麝香の香りである。また彼らはちょうど呼吸をするよ
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
82
うに無意識に、アッラーを讃美している。”」(ムスリムの伝承)
また教友ザイド・ブン・アルカム()は、こう言っています:
「あるユダヤ教徒の男が、預言者ムハンマド()のもとにやって来て、こう言いました:“アブー・アル=カースィム(預言者ムハンマドのこと)よ、天国の住民は飲食しないとでもお思いか?”預言者ムハンマド()は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。(天国に入る)全ての者は飲食や性行為において、百人分もの力を与えられよう。”するとそのユダヤ教徒は言いました:“飲食する者は排泄もするものだぞ。”預言者ムハンマド()は答えました:“彼らは肌からの発汗により、排泄する。そしてその香りは麝香のそれであり、胃は痩せ細ってしまうであろう。”」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また教友アブー・フライラ()は、預言者ムハンマド()がこのように言ったと伝えています:
「(来世において)召集する者は(天国の民に)呼びかけ、こう言うであろう:“あなた方は永遠に健康であり、二度と病に冒されることはない。またあなた方は永遠に生き、二度と死ぬことはない。またあなた方は永遠に若く、二度と年老いることはない。そしてあなた方は永遠に楽しみ、二度と悲しんだり後悔したりすることはない。アッラーはこう仰られているのだ:
…そして、彼らにはこう呼びかけられる:「これこそは、あなた方が(現世で善行を)行っていたことによって引き継いだ、天国なのである。」(クルアーン7:43)”」(ムスリムの伝承)
また預言者ムハンマド()は、天国における最下層の住民が堪能する享楽に関して、次のように教示しています:
「最後に地獄から出され、そして最後に天国へ入れられる者のことを教えてやろうか?その者が地獄から這い出てくると、ア
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
83
ッラーはこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼には天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、またこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼にはまだ天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、再三こう仰られる:“行き、天国に入るがよい。それはあなたにとって、現世の十倍にも値するものなのであるから。”すると彼は言う:“あなたは私をからかっておられるに違いありません。あなたは唯一の主権者であられますのに(、私などにそのようなものをお恵みになられるのですか)!”」
そして伝承者は、こう続けます:
「その時、預言者ムハンマド()は、彼の奥歯が見えるほどに笑いました。それが天国の最下層の者について言われたことです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
一方使徒と、彼らが携えて来たメッセージを拒絶した不信仰者たちの行き先は、地獄の業火です。そして彼らはその中に、永遠に留まるのです。アッラー()は仰いました:
そして不信仰者たちには地獄の業火があり、彼らはそこで殺され、死ぬことによって楽をすることも出来ない。また彼らは懲罰を軽減されることもないのだ。このようにわれら(アッラーのこと)は全ての不信仰者に(罰でもって)報いるのである。そして彼らは(地獄の懲罰の中で)叫び、言う:「われらが主よ、ここから出して下さい。きっと以前の私たちが行っていた悪行とは違う、正しい行いをしますから。」(アッラーは仰る:)「われらは熟慮する者が熟慮するに足るだけの年月を、あなた方に与えてやったではないか。そしてあなた方の下には警告者が到来したのだ。(懲罰を)味わうがいい。(真理に対する)罪悪人たちにはいかなる援助者もないのだ。」(クルアーン35:36-37)
預言者ムハンマド()は地獄における、最も軽い懲罰を次のように描写しています:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
84
「審判の日、地獄で執行される最も軽い懲罰は、足の裏に燃えた炭を当てられるものである。そしてそれによって、その者の脳味噌は煮立った鍋のように煮え立つのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマド()が言及している次の言葉は、天国の住民の歓喜と祝福を更に増大させ、地獄の住民の悲嘆を更に大きなものにする一つの要素となります:
「死は、白と黒が混じった色をした雄羊の形で訪れる。そして呼ぶ者の声がする:“天国の住民よ!”すると人々は皆、群集を見渡そうとする。呼ぶ者は、続けてこう言う:“あなた方はこれを知っているか?”彼らは答える:“はい、それは死です。”彼らは全員、それを眼にすることになる。そしてその雄羊は屠られ、呼ぶ者はこう言う:“天国の住民よ、死を眼にすることなく(天国で快楽を享受しながら)永遠に生きよ。そして地獄の住民よ、あなた方もまた、死を目にすることなく(地獄の中で苦しみながら)永遠に生きるのだ。”それから預言者ムハンマド()は、こう朗誦しました:
そして彼らに、悔恨の日(審判の日)のことを警告せよ。その日全ては決定するが、彼らは無頓着であり、信仰してはいないのである。(クルアーン19:39)」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマドは、こうも言っています:
「人は、もし(現世で)悪行を働いていたならばそこに居座ることになっていた、地獄における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、天国に入ることがない。そしてそれは、その者が(それによって更なる歓喜を得、)より一層の感謝の念を抱くためなのである。また人は、もし(現世で)善行に励んでいたならばそこに居住することになっていた、天国における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、地獄に入ることがない。そしてそれは、その
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
85
者がより一層の苦悩を味わうためなのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
真の、そして永劫の生活が始まるのはここからなのです。そして来世のために善行でもって準備しておく者こそは、真の喜びを得ることになるのです。
クルアーンにおける復活の証明
クルアーンの中には、人間に自分自身の創造における性質に関して熟考することへといざなう章句が、沢山あります。そして人間を無からお創りになられる存在こそは、そこに再び生を与えることも可能なのです。アッラー()は仰っています:
(信仰しない)人間は言う:「私が死んだ後、生きて(呼び)出されるだって?」人間は覚えていないのか?彼が以前存在していなかったにも関わらず、われら(アッラーのこと)は彼を創ったということを?(クルアーン19:66-67)
またアッラーは人間に対し、一度枯れ果てて死んでしまった大地が、いかにして新鮮な作物を実らせるかについて熟慮することをお勧めになります。アッラー()は仰りました:
そしてかれ(アッラーのこと)のみしるしの一つとして、あなたは大地が荒廃するのを見るであろう。そしてわれら(アッラーのこと)がそこに(雨)水を降らせれば、それ(大地)は振動し、隆起する。実にそれに生を与えられるお方こそは、死者にも生を与えられるお方である。かれには全てのことがお出来になるのだ。(クルアーン41:39)
またアッラー()は、人間の創造よりも偉大である天地の創造について、人間が想念することを奨励されます。アッラー()はこう仰りました:
彼らは天地を創造され、それらの創造で疲弊されることなどなかったアッラーが、死人に生を授けることがお出来にな
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
86
るとは考えないのか?いや、かれこそは全てのことがお出来になるお方なのである。(クルアーン46:33)
また死からの復活の疑似体験であるかのような、睡眠からの目覚めについても思念することを勧めています。アッラー()はこう仰っています:
アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。(クルアーン39:42)
アル=アース・ブン・ワーイルはある時、朽ちた骨を手にして預言者ムハンマド()のもとにやって来ました。そしてそれを粉々に砕いて見せると、こう言いました:
「ムハンマドよ!アッラーはこの骨が粉々になった後に、それを蘇らされるというのか?」彼は答えました:「ああ、アッラーはそれを元にお戻しになられる。アッラーこそはあなたに死を与え、その後に生を与え、それからあなたを地獄にお入れになるお方なのである。」
この伝承の伝承者は、ここでこう言っています:
「この出来事に関して、クルアーンの次の句が下されました:
人間は、われら(アッラーのこと)が彼を一滴の精液から創ったということを考えないのか?それなのに彼は、(われらに対して)高らかに反駁する。そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われらに向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を、一体誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。かれこそはあなた方のために、緑樹から(採れるものから)火を生じしめられるお方である。ゆえにあなた方は、それによって火をおこすで
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
87
はないか。一体天地をお創りになられたお方が、彼ら(人間)のようなものを(その死後に再び)お創りになることが出来ないなどということがあろうか?いや、(出来るのである。)かれこそは創造者であり、全知なるお方なのだ。実にかれのご命令というものは、ただかれが何かをお望みになられた時に “あれ。”と仰られるだけで、それが実現するのである。その御手に全ての権威が属するお方の崇高さに、讃えあれ。そしてあなた方は、かれの御許へと還り行くのである。」(クルアーン36:77-83)」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
88
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
89
いかにして自分自身を救うか?
審判の日に受け入れられる宗教とは、人を永遠の幸福の中での生活とアッラーのご慈悲へと導き、かつ永劫の悲惨さから救ってくれるものとなるでしょう。そしてそれこそは預言者ムハンマド()に下された、イスラームという宗教なのです。
イスラームとは何か?
イスラームとは、預言者ムハンマド()に啓示された宗教です。他の全ての宗教は、それでもって取って代わられたのです。アッラー()はこう仰りました:
かれ(アッラーのこと)こそは、導きと真理の宗教をもってその使徒(ムハンマド)を遣わせられたお方。そしてそれはたとえシルク12の徒が厭おうとも、全ての宗教の上に君臨するのだ。(クルアーン61:9)
そしてイスラームこそは、アッラーから受け入れられる唯一の宗教です。かれは、イスラーム以外の宗教をお受け入れにはなられません。アッラー()はこう仰ります:
…そして件の派閥(不信仰者たち)の内で、それ(クルアーン)を信じない者たちの約束された場所は、(地獄の)業火なのである。(クルアーン11:17)
イスラームとはアッラーへの服従と、その唯一性への信仰、かれのご命令に進んで従順に従うことであり、そしてシルクを否定することです。イスラームは数億もの信徒を擁する宗教です。果たしてこれだけ多くの信徒が間違った道を歩んでおり、そうではない人々が正しい道にある、などとどうして言えるでしょうか?
またイスラームは現在、決して適切な形で布教されているわけではないにも関わらず、人々が挙って改宗している宗教でもあります。また一度イスラームに改宗した後、棄教するのは非常に稀
12「シルク」とは、アッラーのみが有する権利や性質において、アッラー以 外の何かを共有させる信仰や行為のことを指します。
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
90
なケースです。預言者ムハンマド()が遣わされた後、イスラーム以外のいかなる宗教もアッラーによって受け入れられることはありません。アッラー()はこう仰っています:
そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決してそれを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者の類いなのである。(クルアーン3:85)
また預言者ムハンマドは、こう言っています:
「ムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方(アッラーのこと)にかけて。ユダヤ教徒であろうとキリスト教徒であろうと、私のことを耳にした者で、私が伝達するものを信じなかった者は、地獄の民となるであろう。」(ムスリムの伝承)
イスラームの主要な基幹(いわゆる五行)
イスラームは言葉や行動、信仰などからなる様々な種類の崇拝行為を義務付けています。そしてその内の、言葉と行動に関するものが一般に「イスラームの基幹」と呼ばれるものです。これらの要素いかんで、その者がムスリムかそうでないかが決定されるといってよいでしょう。
イスラームはその信徒が、単にそれらの崇拝行為を遂行することを勧めているわけではありません。それらの行為は人の魂を清め、正しい状態に保つものなのです。崇拝行為を行うことの裏に秘められた目的は、自らを矯正し、真っ直ぐな正しい道を固守することです。アッラー()は、サラー(礼拝)に関してこう仰っています:
実にサラー(礼拝)は醜行(非合法な性交渉など、あらゆる種類の大罪)と悪事(不信仰やシルクなど、あらゆる悪行)を妨げる。(クルアーン29:45)
またザカー(義務の浄財)については、こう仰っています:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
91
彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。(クルアーン9:103)
またサウム(斎戒、いわゆる断食)については、こう仰られます:
信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。(クルアーン2:183)
そしてハッジ(大巡礼)については、こう仰ります:
ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月である。それでその間にハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い争いをしてはならない。(クルアーン2:197)
崇拝行為はイスラームにおいて、ムスリム社会における結束と団結を維持するだけでなく、個人の人格とその向上における中心的な役割を担っているのです。
二つの信仰証言
これは「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)」という証言のことです。そしてこの証言こそが、イスラーム改宗の鍵となります。
この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと証言する)」は、以下のような意味を含みます:
1) アッラーが全ての存在の唯一の創造主であること。
2) アッラーが存在する全ての存在の真の所有者であり、かつその諸事を司る存在であること
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
92
3) アッラーのみが崇拝されるに値するということ
二番目の信仰証言「アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ」の意味は、彼がアッラーのしもべで、その啓示を授かった使徒であり、また彼が全人類に対してそれを伝達することを命じられた最後の使徒である、というものです。彼の後には、文字通りいかなる使徒や預言者も到来しません。またこの証言には、ムスリムが彼の命令に従い、彼の言葉を信じ、彼が禁じたものを回避するということも含まれてきます。
サラー(礼拝)
ムスリムはサラーという手段を通して、その主との関係を維持します。そして現世的享楽に埋没したり信仰心が弱くなったりした時に、サラーを思い起こさせるアザーン(サラーへの呼びかけ)が聞こえてくるのです。サラーは信仰心を高めます。そしてサラーを通して、人はその創造主との間の継続的関係を保つのです。
ムスリムは昼夜に五回の義務の礼拝をします。男性は何らかの正当な理由がない限り、モスクで集団礼拝に参加します。ムスリムはサラーの場を通して互いに知り合い、相互の愛情と結束心を高めるのです。彼らはこうして日常的に、同胞の状況を知ることが出来ます。誰か姿の見えない者がいれば、病気になったのではと考え、彼の家を訪問することもあり得ます。また誰かが何らかの義務行為において怠っているような部分が認められるのであれば、周りの者が何らかのアドバイスを贈ったりすることも出来ます。サラーにおいてムスリムは、社会階層などの社会的差異や人種、血統など関係なく、真っ直ぐな列を作って1つの方向(マッカのカアバ神殿)に向かい、隣り合って立ちます。アッラーの御前で、彼らは皆一様に平等に服従するのです。
ザカー(義務の浄財)
ザカーとは、比較的豊かなムスリムが貧しい者に物乞いの辱めを味わわせないようにするべく拠出する、ある一定額の財産のこ
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
93
とです。これはある一定額の財産を有する全てのムスリムにとっての義務です。アッラー()はこう仰いました:
そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカーを施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。(クルアーン98:5)
尚、ザカーが義務付けられる条件には以下のようなものがあります:
1). 最低限の財産を所有していること:つまりその財産が、イスラーム法によって定められたある一定の額や量に達していなければなりません。
2). その財産を一年間通して所有すること:もしこの期間内にその財産が所有下から外れた場合、ザカーはかかりません。
またアッラーは、ザカーを受給する資格のある者たちについても明確にしています。アッラー()はこう仰いました:
ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。(クルアーン9:60)
一定の規準額に達した財産で連続一年間所有下にあったものは、その年にその額の2.5%を支払わなくてはなりません。イスラームはこれによってムスリム社会からの貧困の根絶を狙っているのであり、また窃盗や殺人や他人の名誉の侵害など、貧困に伴う様々な危険を防止するのです。またザカーは貧者のニーズを満たすことにより、ムスリム社会における相互扶助や同胞愛の精神をも育むのです。またザカーはある程度裕福な者の心から吝嗇や自己中心性、貪欲さやこの刹那的な現世への固執、欲望の耽溺など、窮状にある同胞を忘れ去らせるような全ての要素を取り除いてくれるのです。
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
94
そしてまたザカーは貧者の心も、富者に向けられる憎悪や嫉妬などの感情から浄化してくれます。彼らは豊かな者たちがアッラーの命に従って財産を施し、喜捨や善行などによって継続的に彼らに配慮を払うのを目にするのです。
ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)
ムスリムは一年に一度のラマダーン月(ヒジュラ暦9月)に、一ヶ月間のサウムをします。そしてその間は最初の夜明けから日没まで、飲食や性交渉などのサウムを無効にする行動を慎むのです。実のところサウムはイスラームによって初めて紹介されたものではなく、それ以前の宗教においても定められていました。アッラー()はこう仰っています:
信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウムが課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。(クルアーン2:183)
サウムの目的は、単にサウムを無効にする物質的・精神的物事を回避するだけではありません。実際のところムスリムはサウムしている間、嘘や陰口、噂話の触れ回りや詐欺、下品な言行やその他諸々の有害な振る舞いなど、その報奨を減じるような目に見えないあらゆる物事を放棄しなければならないのです。そしてサウムする者は、これらの有害な行為がラマダーン月以外の時期にも放棄すべきことを肝に念じ、特にラマダーン月においてそう努めなければならないことを念頭に置かなければなりません。預言者ムハンマド()はこう言っています:
「アッラーは虚言とそれによる行いを放棄しない者が飲食を断つことなど、お求めにもならない。」(アル=ブハーリーの伝承)
またサウムは、魂と欲望の間の戦いでもあります。そしてアッラーの使徒()が次のように言っている通り、そこには多くの社会的利益も含まれています:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
95
「アッラーは仰られた:“アーダムの子ら(人間)の全行動は、彼ら自身のものである。但しサウムだけは別で、それはわれゆえのものであり、われはそれに報奨を使わすのだ。そしてサウムとは、盾である。あなた方がサウムする際には、悪い言葉を口にしたり、大声を上げたり、声を荒げたりしてはならない。そしてもし喧嘩を売られたりしたら、こう言うのだ:「私はサウムをしている。」ムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方にかけて。サウムしている者の口臭は、アッラーの御許において麝香の香りよりもよいのである。サウムする者は、倍の喜びを得よう。一つはサウムを解く時の喜び、そしてもう一つはその主と謁見した時の喜びである。”」(アル=ブハーリーの伝承)
またサウムを通して、人は十分な食事や衣服や住居を所有しない貧しい同胞の気持ちを理解します。そしてこのことが人を、彼らへの義務を果たし、彼らのニーズや状況に常に注意を払うことへと促すのです。
ハッジ(マッカへの大巡礼)
ハッジとは、ある特定の時期と場所において特定の儀式を行うために、聖なるアッラーの館(マッカのカアバ神殿)へと巡礼することです。この基幹は正常な理性を備えた全ムスリム成年男女に課されますが、身体的・経済的にそれを遂行するに十分な能力を有していることが条件になります。
それでもし十分な経済的能力があっても回復の見込みが薄い病気を患っているような場合は、誰か他の者にハッジの代理を依頼しなければなりません。そしてもし自分自身、あるいは自分が扶養する者たちを毎日賄う以上の経済的余裕がないような者には、そもそもハッジの義務は課されません。アッラー()はこう仰いました:
そしてそうすることが出来る人々には、その館(マッカのカアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。(クルアーン3: 97)
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
96
ハッジは、イスラームにおける最大の会合です。世界中のムスリムが同時期に一つの場所に集結し、同じ主を呼び、同じ衣服をまとい、同じ儀式を行い、以下のような同じ賛美の言葉を唱えて声を上げるのです。
「ラッバイカッラーフンマ・ラッバイカ、ラッバイカ・ラー・シャリーカ・ラカ・ラッバイカ、インナル・ハムダ・ワン・ニゥマタ・ラカ・ワル・ムルク、ラー・シャリーカ・ラカ」
この意味は以下の通りです:
「アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あなたに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属します。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
ここに貧富や貴賎、肌の色の差やアラブ人であるかそうでないかなどの差はありません。皆アッラーの御前に等しいのです。人には敬虔さ以外に何の格差もありません。ハッジは全ムスリムの同胞愛と、その希望と感情の結束が強調される、一大イベントなのです。
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
97
イーマーン(信仰)の基幹(いわゆる六信)
アッラーへの信仰
これは、アッラーの他には真に崇拝すべきものなど存在せず、かれにはいかなる共同者や対抗者、仲間なども存在しないことを信じることです。またかれこそがこの全宇宙の創造主であり、そこにおいてあらゆる物事を司られるお方はかれ以外には存在しない、ということを信じることです。そして、いかなる存在もかれのお許しなくして存在したものなどはなく、かれの御意志なしには何事も発生しません。アッラー()はこう仰いました:
かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。(クルアーン7:54)
アッラーはその主性において、いかなる共同者も有しません。つまりアッラーこそは唯一の創造主・供給者であり、宇宙の諸事をお望みのままに司られるお方なのです。アッラー()は仰っています:
言え(ムハンマドよ)、「私のサラー(礼拝)も献身も、生も死も、ひとえに万有の主アッラーゆえである。かれにはいかなる共同者もない。私はこのように命じられたのだ。そして私はムスリム(アッラーの教えに従って受け入れた者)の先駆けである。」(クルアーン6:162-163)
アッラーはかれのみが独占する権威において、いかなる共同者も有しません。ゆえに全ての崇拝行為は、かれに向かって捧げなければならないのです。アッラー()はこう仰りました:
あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。(クルアーン21:25)
またアッラーはその御名と属性において唯一であり、いかなるものもそこにおいてかれ独特の特質を共有することはありません。アッラー()はこう仰りました:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
98
そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。(クルアーン7:180)
またこの信仰は、アッラーのみが崇拝に値する唯一の存在であるということを意味します。ゆえにムスリムは、かれを差し置いてかれ以外の何かに全面的に依拠したり、または祈願したり、あるいは災厄の除去や願い事の成就にあたって、かれ以外の何かに祈願したりすることを禁じられます。全ての崇拝行為に値するのは誰でもなく、アッラーのみなのです。
またこの信仰は、アッラーにのみ最善かつ最高の名称と属性が帰せられる、ということをも意味します。ムスリムはそれらの具体的意味を必要以上に模索したり、または歪めたり否定したりすることなく信仰することを要求されています。かれこそは、あらゆる欠陥から遠く無縁な存在なのです。アッラー()はこう仰りました:
かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。(クルアーン42:11)
諸天使への信仰
これはアッラーの被造物の一つである、天使の存在を信仰することを意味します。アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はありません。かれらは幽玄界に属しており、アッラーを崇拝し、そしてかれに服従するために創造されました。アッラー()はこう仰っています:
メシア(イエス)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。…(クルアーン4:172)
アッラーは各天使に、特有の任務を課されました。かれらはただ、自分たちに命じられたことを遂行するのみなのです。アッラー()は仰りました:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
99
…その(地獄の業火の)上には厳しく荒々しい天使たちがいる。彼らはアッラーが命じられたことに逆らうこともなく、そのご命令を遂行するだけなのである。(クルアーン66:6)
天使たちはアッラーの共同者でも、仲間でも、対抗者でもありません。またアッラーの子供などでもありません。しかしムスリムは、かれらを敬愛しなければなりません。アッラー()は仰っています:
そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこととは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。(クルアーン21:26-27)
またその内のある者はクルアーンとハディース(預言者ムハンマドの伝承)の中で言及されており、またある者は言及されてはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなければならないとされています。
諸啓典への信仰
アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰することです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何ものをも含んではいませんでした。それらはアッラーが唯一であり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属している、などといったメッセージが示されています。以下に挙げるのは、代表的な啓典の数々です:
1)イブラーヒーム(アブラハム)とムーサー(モーゼ)の書:クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な形で提示しています。アッラー()は仰りました:
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
100
それともムーサーの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したイブラーヒームのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。(クルアーン53:36-42)
2)タウラート(トーラー):タウラートはムーサー()に下された、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました:
実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したタウラートを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(タウラート)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。(クルアーン5:44)
3)ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダーウード(ダビデ)に下された書です。アッラー()は仰いました:
…そしてわれら(アッラーのこと)はダーウードに、詩篇を下した。(クルアーン4:163)
4)福音書:福音書はイーサー(イエス)に啓示された聖典です。アッラー()はこう仰りました:
そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたタウラートの中にあるものを確証するため、マルヤム(マリヤ)の子イーサーに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたタウラートの中にあるものを確証し、アッラーを
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
101
畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。(クルアーン5:46)
ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがこれらの法を堅持することは許されません。福音書の中には、イーサー自身がこう言ったと記されています:
「私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされたのである。」(マタイ伝15:24)
またクルアーンは預言者ムハンマド()が将来遣わされることなど、タウラートと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています:
(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」タウラートと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。(クルアーン7:156-157)
5)聖クルアーン:ムスリムは、クルアーンが天使ジブリール(ガブリエル)を通して預言者ムハンマド()に下された、アッラーの御言葉であるということを信仰しなければなりません。またムスリムの信仰において、クルアーンこそはそれ以前の全ての啓典に取って代わる最後の啓典です。ゆえにムスリムは、人類がクルアーンとそれが下された者(預言者ムハンマド)、そしてそれがもたらした宗教(イスラーム)を信じなければならない、と信じています。
イスラームにおける世界の開端と終焉
______________________________________________________________________________________________
102
諸使徒への信仰
アッラーが人類の中で最も優れた者を使徒としてお選びになり、そしてその使徒たちがアッラーへの崇拝と服従、及びアッラーの宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて被造物に遣わされた、ということを信じることは、ムスリムにとっての基本的信仰です。アッラーはその使徒たちに、人々に対してメッセージを伝達するよう命じ、彼らがその後アッラーに対して「私たちには何のメッセージも届いていない」というような弁解が出来ないようにされました。
またアッラーは、使徒という任務を課されるにあたり、敢えて人間をお選びになりました。使徒たちはそれ以前の使徒が携えて来た法規定と宗教を確証し、そこへと民をいざなったのです。歴史上遣わされた使徒と預言者は数多く、その正確な数はアッラー以外誰も知りません。アッラー()はこう仰っています:
そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒たちを遣わした。彼らの内のある者はあなた(ムハンマド)に語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。(クルアーン40:78)
そしてムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。アッラー()は仰りました:
そしてわれら(アッラーのこと)があなた(ムハンマド)以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかった。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーのこと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉体にはしなかったし、不死者ともしなかった。(クルアーン21:7-8)
アッラーはイーサー(イエス)に関して、クルアーンの中でこう仰っています:
マルヤム(マリヤ)の子メシア(イエス)は、それ以前にも数々の使徒が過ぎ去ったところの、一人の使徒に過ぎない。
イスラームにおける世界の開端と終焉