イスラーム法は、その上にイスラーム国家が成立する基礎として作用するところの、政治的諸事における基本原理と一般法を提示しています。そしてイスラーム国家の統治者は、アッラーの命を遂行し、実践するのです。至高のアッラーはこう仰いました:
-一体彼らは、ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)の裁決を望むというのか?(アッラーを)確信する者にとっては、裁決においてかれに優るものなどいないというのに。,(クルアーン5:50)
イスラーム国家の統治者は事実上、イスラーム共同体の代表者です。彼には以下に挙げるような物事が義務付けられます:
[1]アッラーの法を実践するためにあらゆる能力を駆使し、宗教と平和、生命と富を護るべく、その共同体に立派で高貴な生活を提供すること。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「アッラーがある者の後見を命じられたにも関わらず、その者に十分な忠言を施さなかったしもべは、アッラーによって天国の芳香を禁じられよう。」(アル=ブハーリーの伝承)
またイスラーム国家の統治者は、ある種の資質を備えていなければなりません。それは第二代カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブがその同志たちに言った、以下の言葉の中に描写されているようなものです:
「私が従事するムスリムの諸事の特定の仕事に関する世話をさせるにあたって、私が任命すべき者の名を挙げよ。」彼らはこう応えました:「アブドゥッラフマーン・ブン・アウフがよいのでは?」ウマルは言いました:「彼は弱い。」彼らは別の者の名を挙げましたが、ウマルは彼に関してはこう言いました:「彼は私に必要ない。」それで彼らは尋ねました:「どのようなタイプの者がよいのですか?」ウマルは答えました:「リーダーになったら人々と同じように振る舞い、リーダーでなかったとしても以前と同様のままであるような者がよいのだ。」すると彼らは言いました:「アッ=ラビーウ・ブン・アル=ハーリス以外にそれに相応しい者はいません。」ウマルは言いました:「その通りだ。」そしてウマルは彼を任命しました。
[2]統治者はムスリムの諸事において、その地位や仕事に相応しくないような者を任命すべきではありません。また彼はある特定の地位に、真に相応しい候補者を差し置いて自分の友人や親戚などを就かせてもなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:
「アッラーが人々の後見を命じられたにも関わらず、その者たちを欺いたまま他界したしもべは、アッラーによって天国を禁じられよう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
上記の法や原理には、以下のような特徴があります:
l アッラーによって定められた神聖なるものであり、そこにおいては統治者も臣民も、富者も貧者も、高貴な者もそうでない者も、肌の白い者も黒い者も平等であるということ。いかなる高い地位にある者といえども、アッラーの法を犯すことは許されないのです。至高のアッラーはこう仰いました:
-そしてアッラーとその使徒が何らかの裁断を下したならば、それが男女の信仰者にとって彼らの諸事における最良のものとならないことはない。そしてアッラーとその使徒に逆らう者は、明白に道を踏み誤っているのである。,(クルアーン33:36)
l 統治者も臣民も全ての者が、これらの法と原則を遵守し、尊重し、履行しなければならないこと。至高のアッラーはこう仰いました:
-実に信仰者というものは、彼らの間に裁決を下すためにアッラーとその使徒から召喚されたならば、「かしこまりました。従います。」と言うべきなのだ。そして彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン24:51)
イスラームにおいては、絶対権力者というものは存在しません。統治者もまたイスラーム法によって定められた制限によって、その権力を限定されています。もし彼がイスラーム法に反するような場合、臣民は彼に服従せず、真理に服従しなければなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「ムスリムは好むことであろうと厭うことであろうと、(統治者の言うことを)よく聞き入れ、服従しなければならない。但し彼からアッラーの命に背くことを命じられた場合は、その限りではない。ゆえにアッラーの命に背くことを命じられたら、それを聞き入れ、服従することはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
l イスラームの政治システムは、協議の上に成立しています。至高のアッラーはこう仰いました:
-そして彼らの主(の呼びかけ)に応じ、サラー(礼拝)を行い、彼らの間の諸事を協議でもって取り決め、またわれら(アッラーのこと)が授けたものから施す者たち。,(クルアーン42:38)
またアッラーはこのようにも仰っています:
-そしてあなたが彼らに対して優しくしたのは、まさにアッラーからのご慈悲ゆえであった。もしあなたがぞんざいで頑なであったなら、彼らはあなたのもとから離散してしまったことであろう。ゆえに彼らを赦し、彼らのために罪の赦しを乞え。そして諸事において彼らに相談するのだ。,(クルアーン3:159)
上記の最初のクルアーンの節では、アッラーは協議をイスラームの背骨とも言えるサラーに併置させて言及しています。これは、共同体における全ての諸事において協議することの重要性を示していると言えるでしょう。それらの諸事においては、知識を備えた人々との協議によって決定を下さなければなりません。また節の最後の部分でアッラーは信仰者を称えていますが、これは信仰者があらゆる物事において互いに相談し合うからなのです。
また二番目の節でアッラーは、共同体の長であるその使徒に、共同体の共益に関わる物事においてその教友たちと協議することを命じています。但しそれはそのことに関しての明白な法規定が存在しない限りにおいてであり、もしイスラーム法によって既に定められていることであれば、そのことに関しての協議はあり得ません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「相談し合う民が、最良の道に導かれないということはないのだ。」そして彼は次のクルアーンの句を唱えました:-彼らの間の諸事を協議でもって取り決め…,(アル=ブハーリーの伝承)
あるイスラーム学者たちは、人々の利益に関連する物事に関し、統治者は彼らと相談しなければならない、と言明しています。もし統治者がそれを怠った場合、人々は彼らの意見を表明する機会を要求することが出来ます。これは既述のクルアーンの節に基づいた理解であり、またイスラームという教えが統治者を、彼に委ねられた諸事を遂行する責任を負う代理人と見なしているからです。こうして臣民は、統治者がイスラーム法を忠実に履行しているかどうかを監視することを求められます。またイスラームはその原則に沿った形であることを条件に、全人がその意見を述べ、適切な手法において批判する自由を与えています。しかしそのことが混乱や分裂の原因となるようであってはなりません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:
「実に最善のジハードは不正を行う権力者への正義の言葉である。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)
また初代カリフのアブー・バクルはその地位に任命された時、人々にこう語りかけました:
「人々よ!私はあなた方の内最善の者ではないにも関わらず、あなた方の統治者に任命された。それで私が真理と共にあるのなら、私を援助して欲しい。しかし私が誤っているのを見出したら、私を正してくれ。あなた方の諸事に携わるにあたり、私がアッラーに従っている限りにおいて、私に従うのだ。そしてもし私がアッラーに従ってはいないのなら、私はあなた方に私への服従を求めない。」
また二代目カリフのウマルはある日説教壇の上に立ち、人々に向かってこう言いました:
「人々よ、もし私が腐敗するようなことがあったら、私を正してくれ。」するとあるベドウィンの男が立ち上がって、こう言いました:「アッラーにかけて!あなたが道を誤ったら、我々は剣をもってあなたを正そう。」しかしウマルは立腹もしなければ、彼に対して敵意を抱きもしませんでした。彼はただ両手を中空に上げて、こう言ったのです:「ウマルの誤りを正すことの出来る者をこの共同体の中に授けて下さったアッラーに、全ての賞賛あれ!」
また統治者が釈明の場に召喚され、尋問を受ける場合さえもあります。ある日ウマルは衣服を二枚まといつつ、人々に語りかけていました。しかし、彼が「人々よ!私の言うことを聞き、従うのだ」といった時、一人の男が立ち上がってこう言いました:「私たちはあなたの言うことを聞きもしなければ、従いもしない。」ウマルは言いました:「何故だ?」男は答えました:「あなたは私たちに衣服を一枚しか配給しないのに、自分は二枚着ているではないか?」ウマルは即座に(息子アブドゥッラーに)大声でこう呼びかけました:「アブドゥッラー・ブン・ウマルよ、言ってやれ!」それでアブドゥッラーは言いました:「私は自分の分を父親にくれたのです。」すると男は言いました:「それでは私たちはあなたの言うことを聞き、従いましょう。」
このようにイスラームは、社会と個人の諸権利と自由を保護しています。また法源を個人的・地理的・環境的要因などから変更しようとする、統治者の出来心や私欲から守るのです。イスラーム法は政体の仔細については、議論していません。これはムスリムがある特定の状況下において最も相応しい法や規則を適用し、また特定の時期と場所において最大限の福利を達成することが出来る余裕を設けておくためなのです。但しいかなる場合においても、法や規則がイスラームの原理や基礎と矛盾してはなりません。