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神の最後の使徒である預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)には、2段階に渡ってクルアーンが啓示されました。神の完璧な言葉は人類を暗闇の中から光へと導くために下されました。それは導きと慈悲なのです。クルアンは被造物にする、完全な神による完全な言葉です。イスラー暦のラマダン月における「みいつの夜」として知られる夜に、クルアーンは守護された碑板1から諸天の中の最下層へと下されました。その後、天から地上へと下されたのです。





啓示は、天使ガブリエルを介して預言者ムハンマドに届けられました2。預言者ムハンマドがおよそ40歳のとき、彼は物思いにふけるようになりました。彼がこよなく愛した妻のアイシャによると、彼は鮮明な夢を見るようになり、隠遁を好むようになりました。彼はヒラの洞窟にこもり、唯一なる神を崇拝し、人生、宇宙、そして世界における自らの立ち位置について考えみました。





あるラマダンの夜、彼のもとに天使が現れ、彼に読むよう命じました。文盲だった預言者は、「私は読むことが出ません」と答えました。すると天使は彼を無理やり掴み、耐え難いほどに彼の胸を押し付けました。天使は彼を放すと、再び彼に読むよう命じました。彼はまた「しかし私はむことが出来ません」と答えました。ムハンマドが読むことが出ないと伝える度に、天使は彼を無理やり掴み、そのやりとりが3度繰り返されると、天使はクルアーンの最初の言葉をえたのです。4





 “め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることをえられた御方である。」”(クルアーン961−5)





ムハンマドが恐怖におののいたこの啓示の後、次に天使ガブリエルが現れたのは、彼が一人でいていた時でした。空からが聞こえたため、彼が上を向くと、空と地上の間の椅子に天使が座っているのが見えました。ムハンマドは怖くなってけ足で家に戻り、寝具の中に身を包みました。この時が第2の啓示でした。5





 “(大衣に)包る者よ、立ち上って警告しなさい。”(クルアー74:1−2)





その後23年間にわたり、預言者ムハンマドの死の直前まで、クルアンは段階的に啓示されました。それにはいくつかの理由があるとされています。一部では、預言者ムハンマドの手助けとなるよう、問題が発生する度にゆっくり啓示が下された、というものです。





預言者の妻アイシャは、預言者ムハンマドが神の啓示がどのように下されたのか尋ねられたときに、こう答えたと伝えています。「時に、それは鐘が鳴るようなものであり、その啓示がすべての中でも最も辛く、その状態が終わったとき、私は啓示された容を把握する。また時には、天使が人の姿をして現れ、私に語りかけ、私は彼の言う事を把握する。」6イブン・アッバースは、預言者ムハンマドが啓示の際、「多大な困難の中、唇を小刻みに動かして」7それに耐えていたと述べています。クルアーンの言葉が啓示されると、預言者ムハンマドはその暗記に取り組んだといわれています。





暗記は重要視され、イスラムの初期においても広実践されていました。預言者ムハンマドは友たちがクルアーンの暗記をするよう求め、啓示が暗記によって保持されることを確にさせるために様々な方法をとりました。預言者ムハンマドの伝記のなかでも最も初期のものの一つを編纂したイブンイスハークによると、ムハンマドの後にクルアーンを公に朗誦した最初の人物はアブドッラー・ブンマスウードで、そのために彼はひどい虐待を受けました。預言者ムハンマドに最も近い友のアブー・バクルも、マッカの自宅の外でクルアーンを朗誦したことが知られています





クルアンは預言者ムハンマドの生前に教友たちによって暗記され、その伝統はその後の世代によって受け継がれました。今日も、アラビア語を読めないムスリムたちでさえ、西7世紀にアラブ人たちが覚えていた同じ言葉を暗記しています。預言者ムハンマドを含む、アラブ人の大半は文盲でしたが、文章をむことの出来る重要性はよく理解されています。





神の啓示を保持することは、最重要の案件でした。それゆえ、信と知識のある人々がクルアーンの言葉を記憶し、筆しました。そこには、ムスリム国家の指導者としてムハンマドの後継者となった4人に加え、その後の世代におけるクルアーン保持の要となるザイド・ブンサービトが含まれました。





筆写の媒体は入手困難だったため、当初は動物の皮、薄く色あせた石、骨、樹皮などにクルアーンが断片的に記されていました。教友たちは啓示された言葉を書き記して朗誦し、預言者ムハンマドは教友たちが間違って書き写していないよう、注意深く聞き取りました。クルアーンは預言者ムハンマドによる直接の監修の元、書き写されたと言うことが出来るでしょう。クルアーンは順序を追って啓示されたのではありませんでしたが、天使ガブリエルは預言者ムハンマドに対して、どのようにまとめられるべきか正しい順番を教えています。





当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。”(クルアー15:9)





神が人類全体の導きとして、その御言葉としてクルアンを下されたとき、神はそれが保持されることを保証しました。それが保持された方法の一つとして、預言者ムハンマドの周囲の男女と子供たちが一文字一文字を重に暗記したことが挙げられます。イスラーム初期においては、暗記に重要性が置かれていましたが、み書きをマスターした者たちは、クルアーンの言葉を入手可能な様々な媒体に書き留めることを始めました。彼らは平らな石、樹皮、骨、または動物の皮を使用しました。





神の言葉が天使ガブリエルを介して啓示されると、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は筆官を呼び、その都度書き留めさせたと言われています。主要な筆写官はザイドブン・ービトという人物でした。多くの友たちは、預言者ムハンマドがこういってザイドを呼んだことを伝えています。「彼に板とインク、そして肩甲骨を持ってこさせなさい。」1預言者の生前、クルアーンは本の形を取っていたのではなく、断片的な筆写物の集まりだったのです。





時、クルアーンがまだ本の形を取っていなかった理由の一つとしては、それが順序通りに啓示されなかったから、というものがあります。各章・節は23年間に渡り、初期のムスリム共同体の出来事に即時に対応するため断続的に啓示されることが多かったのです。しかしながら、預言者ムハンマドはクルアンの各章の順番を認識していました。天使ガブリエルが神の言葉を啓示したとき、同時に各章・節がどこにするのかも伝えていたからです。





クルアンは、預言者ムハンマドによる直接の監督によって書き留められました。預言者ムハンマドに最も近かった友の一人、ウスマンはこのように述べています。「預言者ムハンマドに何かが啓示されたとき、彼は筆写官の中から誰かを呼び、こう言ったものです。『これらの節を、これこれのことが言及された章に配置させなさい。』そして1節のみが啓示されたとき、彼はこう言いました。『この節をこの章に配置させなさい。』2





それゆえ、預言者ムハンマドに死が訪れると、クルアンの断片はムスリム共同体の中の信頼が置ける者たちによって保管されるようになりました。彼らの一部は、自分たちがんでいたものの中の数ージ分しか保有していませんでしたが、筆官などの一部は複数章、またその他の一部は一節だけ記された樹皮や動物の皮を保有していました。





預言者ムハンマドの死後、ムスリム共同体の指導者として選ばれたアブー・バクルの時代、大した共同体には部紛争がくすぶるようになりました。偽預言者が現れ、預言者ムハンマドなくして信仰を保てなかった人は困惑し、背教したのです。内戦や小規模な戦闘が勃発し、クルアーンを暗記していた多くの者達が生命を落としました。





アブー・バクルはクルアーンが失われてしまうことを恐れたため、クルアーンを一冊の本としてまとめることを友たちの中の長老たちと協議しました。彼はザイドブン・ービトにこの作業を監督するよう要請しました。当初、ザイドは預言者ムハンマドが明確に承認しなかったことに取り掛かることを躊躇しました。しかし、最終的にはクルアンの断片を筆写・暗記の方から収集し、ムスハフ(写本)としてまとめることに合意しました。預言者ムハンマドにまつわる承から、ザイド・ブン・サビトによるクルアーンの編纂がどのように行われたのかが分かります。





「アル=ヤママの人々偽預言者ムサイリマとった預言者の教友たち)が殺されたとき、アブー・バクルは私を召集しました。私が彼のもとを訪れると、そこにはウマルブン・アル=ハッターブが彼と共に座っていました。アブー・バクルは、私にこう言いました。『ウマルがここに来て、クルアーンを暗記していた者たちの牲者の数が多かったことを私に告げた。そして彼は、こう言ったのだ。“私は、もし戦場でより多くの牲者が出れば、クルアーンの大部分が失われてしまうことを恐れる。したがって、私はあなたがクルアンを収集することを提案する。”





私はウマルに言った。“神の使徒が行いもしなかったことを、どうして私が出るだろうか?”ウマルは言った。“神に誓って、これは善いことなのだ。”ウマルは、私が彼の提案を受け入れることにして譲らなかった。そして、ついに神は私の心を広め、私はその提案が善いことであると認識し始めた。』そしてアブー・バクルは、(私に)言った。『あなたは賢明な若者だから、我はあなたに疑念を抱いてはいない。あなたは神の使徒のために啓示を書き留めていた。だから、クルアーンの筆物の断片を探し、それらを一冊の本としてまとめるのだ。』」





「神に誓って、もし彼らが私に山を動かせと命じたとしても、これ(クルアンの編纂作業)より困難ではなかったであろう。私はアブー・バクルに言った。『神の使徒が行いもしなかったことを、どうして出来ますでしょうか?』アブー・バクルは答えた。『神に誓って、これは善いことなのだ。』アブー・バクルは、私がその提案を受け入れることにして譲らなかった。それでついに神は、アブー・バクルとウマルの心を広げたように、私の心をもげられた。それゆえ、私はクルアンの書かれたものを探し始め、棗椰子の茎、薄く白い石、暗記している人々から、それらのすべてを集したのだ。





ザイドはクルアンを全暗記しており、預言者ムハンマドによって最も信された筆写官でした。それゆえに、彼は自らの記憶を頼りにクルアンのすべてを書き留めることも可能でしたが、彼はその方法だけには頼りませんでした。彼はクルアンの編纂において非常に理路整然とした手法を取り、かつ慎重を期して、最低でも預言者ムハンマドの教友の2人からの確認を得るまでは、一節たりとも書き留めたりはしませんでした。





こうしてクルアンは書き留められ、本の形としてまとめられました。それはアブー・バクルのもとに彼の死まで保管され、その後ウマル・ブンアル=ハッターブのもとに渡り、ウマルの死後は彼の娘であるハフサのもとに渡りました。ムスリム家の3代目指導者であるウスマンの時代になると、クルアーンの写本であるムスハフが標準化されるようになりました。クルアーンはそれまで行われていたような、アラビア語の複の方言によって記されなくなったのです。第4部では、ウスマン版のムスハフがいかにしてもたらされたかについて述べられます。





 



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