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唯一神の元における唯一の人類





彼は巡礼の最中、ニューヨーク・ハーレムに彼が設立した団体「ムスリム・モスク」の助手へ、何通かの手紙を書きました。彼はこの手紙をコピーし、報道機関に配布するよう指示しました。





"私は、アブラハム、ムハンマド、そして聖典に出て来る全ての預言者たちの家であり、またこの古代より存続する聖地において、あらゆる肌の色の人々によって実践されている歓待、そして圧倒的な同胞愛の精神をこれまで目の当たりにしたことがなかった。この一週間、私が身の回りから受けて来たあらゆる人種の人々による親切さには、すっかり言葉を失ってしまい、魅せられてしまった…





“あなたは私の口からこういった言葉が出て来ることに驚くだろう。しかしこの巡礼の中で私が見て来たこと、そして経験して来たことは、これまでの私の思考パターンを大きく変え、また以前の持論の一部を破棄させるものだった。それは私にとって難しいことではなかったのである。私自身が抱えていた確信にも関わらず、私は常に事実のみを捉え、新しい経験や知識を得ると共に、人生において現実を直視することに努めてきた。私はいかなる形の真実の知的探求においても求められる柔軟さ、つまり常に心を開いていることを心がけて来たのである。





“ムスリム世界でのこの11日間、私はムスリム同胞たちと共に同じ神に祈りつつ、同じ皿から食べ、同じ器から飲み、同じ寝床で寝た。ある者たちの目の色は真っ青であり、髪の色は金髪であり、肌の色は白のなかの真っ白であった。そして彼ら“白人”ムスリムたちの言葉、ふるまい、行為からは、ナイジェリアやスーダン、ガーナなどからのアフリカ黒人ムスリムと同じ真摯さが感じられたのだ。





“我々は本当に同一(の兄弟)なのだ — なぜなら彼らの唯一神への信仰は、彼らの心から、行動から、そして態度から、いわゆる“白人性”が取り除かれていたからである。





“こうして私は、もしアメリカ白人が神の唯一性を認めるのであれば、人類の唯一性も認めることが出来るのではないか、と考えた。そして彼らの肌の色における“相違”による他者の評価や妨害、危害などもなくなるのではないか、と。





“人種差別はまるで末期癌の症状のようにアメリカを蝕んでいる。いわゆる白人“キリスト教徒”アメリカ人の心は、そういった致命的問題に対して有効であると証明された解決策を受け入れるべきである。もしかしたら、それは差し迫った惨事から間一髪でアメリカを救うかもしれない。人種差別による惨事はドイツにおいて、ドイツ人自身を破壊しているではないか。





“私はハッジにおいて、何に最も感動したかを聞かれた…私はそれにこう答えた:“それは同胞愛である!世界中から全ての人種、あらゆる肌の色をした人々が集い、一つになることである!それは私に唯一神の力を証明した…皆は一つになって食べ、一つになって寝た。巡礼の空気はその全てにおいて、唯一神の元の唯一の人類を強調したのだ。”





こうしてマルコムはアル=ハッジ・マーリク・アル=シャバーズと改名し、巡礼から帰国しました。彼は新たな精神的洞察力を携え、心燃やしていました。彼の中で民族主義の公民権運動家による闘争が、国際主義、そして人道主義の闘争に進化したのです。





巡礼後





白人記者たちは、アル=ハッジ・マーリクが彼らに関してどう思っているのか知るために取材を熱望しました。彼らにとっては、長い年月に渡って彼らに敵対していた人物が、突然身を翻して彼らを兄弟と呼ぶことは信じ難いことだったのです。これらの人々にアル=ハッジ・マーリクはこう言いました:





“あなたは私に‘あなたは白人を兄弟と認めるのか?’と聞いているのですか?私はムスリム世界で何を見、何を感じ、いかに私の思考が拡げられたかを書きました。私が書いた通り、私はそこで白い肌のムスリムと真の同胞愛を分かち合い、彼らは一瞬たりとも私に別のムスリムに対する人種や肌の色に関する意識を持たせなかったのです。





“巡礼は私の視野を拡げました。それは私に新しい思考という祝福を与えたのです。聖地での2週間において、私はここアメリカでの39年間で一度も見ることの出来なかったものを見ました。私は全ての人種、肌の色 — 青い目をした金髪から黒い肌のアフリカ人まで — が真の同胞愛を持っていると感じました。彼らは統一されていたのです!一つとして生きていたのです!一つになって崇拝していたのです!そこには「人種的分離主義者」や「自由主義者」はいませんでした;それどころか彼らはそのような言葉の意味すら知らないでしょう。





“その通り、私は過去に全ての白人をまとめて非難しました。しかし私はもう二度とそのような罪を犯さないでしょう。というのも私は今、一部の白人たちは真に誠実であり、黒人の同胞となる能力があることを知っているからです。全ての白人を一括した非難は、全ての黒人を一括した白人の非難と等しく間違っていることを、真のイスラームは私に教えてくれたのです。”





彼を指導者とした多くの黒人たちに対し、アル=ハッジ・マーリクは新しいメッセージを説きました。それは彼がネーション・オブ・イスラーム教団で説いていたものとは正反対のものでした:





“真のイスラームは、人の家族、そして人間社会が完全であるには、の宗教的、政治的、経済的、精神的、そして人種的といった全ての要素、または性質が必要であることを教えてくれました。”





“私はハーレム通りの聴衆者たちに、こう言いました。全ての創造主である唯一の神の前に人類が従う時こそ、人類は初めて"平安"に近づくことが出来るのだと…これまでに、そのようなことに関する話はあちこちで聞かれましたが、それに関する実行はほんの少ししか見られませんでした。”





危険な存在





アル=ハッジ・マーリクの新しい普遍的メッセージはアメリカの支配階級にとって、受け入れ難い悪夢でした。彼は黒人大衆だけでなく、あらゆる人種と肌の色をした知的階層にも受け入れられたのです。彼はプレスにより、常々“暴力を主張する者”、“闘争主義者”として悪魔のごとく扱われていましたが、現実にはその見地においてマーティン・ルーサー・キング博士との歩み寄りを見せていたのです:





“目的は常に一緒でした。それに対するアプローチの仕方においては、マーティン・ルーサー・キング博士による、白人の残忍性と悪に対する無防備な黒人を劇的に表現する非暴力行進と私のそれとに違いはありました。そしてこの国の今日の人種問題情勢を考慮すると、黒人問題の取り組みにおける両極端、つまり‘非暴力’のキング博士、または‘暴力的’な私のどちらが致命的な惨事をもたらすか、はっきりしたことは誰にも分からないのです。”





アル=ハッジ・マーリクは、自身が様々な組織の標的であったことを熟知していました。それにも関わらず、彼は自分が発言しなければならないと感じたことの発言を恐れませんでした。彼の伝記の最後において、まるで自らの碑文を残すかのようにこう述べています:





“社会を変革しようとした人々を、社会が抹殺していったことを私は知っている。そしてもし私がアメリカの体に極めて有害な人種差別という癌の破壊を押し留めることの出来る、意義ある真実を少しでも暴き、そこに光をもたらして死ぬことが出来たのであれば、それらは全て神のお陰である。その過程における過ちは私自身によるものなのだ。”





マルコム・Xの遺産





アル=ハッジ・マーリクは暗殺の標的になっていることを知っていましたが、彼は警察の保護を求めることなくその事実を受け止めていました。1965年2月21日、ニューヨークのとあるホテルでの講義の準備中、彼は3人の黒人によって銃撃されました。40歳になる3ヶ月前のことでした。この暗殺にネーション・オブ・イスラーム教団が何らかの形で関わっていたのは明白ですが、多くの人々は複数の組織の関連を疑っており、反黒人運動の傾向があることで知られるFBIも暗殺に関わっていることが示唆されています。私たちがアル=ハッジ・マーリク、そして1960年代初頭の他の指導者たちの暗殺の背後関係を知ることは永遠に出来ないかもしれません。





マルコム・Xの人生は、多くのアメリカ人に多くの重要な影響を及ぼしました。アル=ハッジ・マーリクの死により、アフリカ系アメリカ人の自らのイスラーム的原点に対する関心は非常に高まりました。マルコムの伝記の著者であるアレックス・ヘイリーはその後、アフリカ人ムスリム家族の奴隷経験を描いた小説「ルーツ」を著しました。アフリカ系アメリカ人はますますイスラームに改宗し、ムスリムの名前を取り入れ、アフリカ文化を探求しています。そしてマルコム・Xへの関心は、スパイク・リーの映画「X」により頂点に達しました。アル=ハッジ・マーリクは、アフリカ系アメリカ人、ムスリム、そして一般的アメリカ人の誇りの源泉です。彼のメッセージは、以下のようにごくシンプルで明確です。





“私はいかなる形の差別、分離も信じない。私はイスラームを信じている。私はムスリムなのだ。”



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