彼は、新婦ザイナブの部屋に行く前に、もう一人の妻アーイシャのもとへ行き、招待客が察してくれることを期待しました。しかし、彼らはまだ同じ場所に居残っていたので、また後見人とともにアーイシャの部屋へと行きました。
次に戻ったときには、人々は去っていたので、預言者は部屋の中に入りました。イブン・アッバースは彼に従おうとしましたが、預言者ムハンマドはカーテンを閉め、出口を閉めたのです。2
この物語から得られる教訓は、他人の家は私的なものであり、招待されたからといって居残ることは恥じるべき行動だということです。さらには、預言者ムハンマドの優しさから、彼は人々に去るように言えなかったという点で、どのようにして傷つけることなく教訓を学ばせることが出来るかという例も得られます。彼は言葉ではない手段を使って、招待客が去るべきだということを示し、彼の私的な場所を取り戻したあと、また別の言葉ではない手段を使って、宴は終わったのだということを示したのです。
モーゼとザフォーラ
男性たちの中でたった2人だけが女性という状態で、彼女たちは長い間列に並んでいました。しかし、ついにある男性が、彼女たちを助けてくれました。彼のおかげで、彼女たちは羊とやぎの群れを家に連れて帰ることができたのです。彼女たちの父親は年老いており、彼女たちには外の仕事をする兄弟がいませんでした。最も負担のかかる仕事である、家畜のための井戸の水汲みは男性によってなされますが、その日は運良く助けを得て、新鮮な水と共に家路につくことができました。彼女たちの早い帰宅に驚いた父親は、彼女たちに理由を聞き、彼女たちは旅人風の男性から助けてもらったのだ、と伝えました。
父親は一人の娘に、その男性を招待するようにと言いつけました。娘は井戸に戻り、恥ずかしげに彼のもとへと近づきました。彼女が声の届くところに着いたときに、彼女は彼に、助けてくれた感謝のしるしとして、父親が彼を招待することを願っている、と伝えました。彼は、その視線を地面に下げたまま、あなた方を助けたのは神のご満悦を望んでしたことであり、感謝は必要ありません、と答えました。しかし、これが神からの助けだと気付いた彼は、その招待を受け入れました。彼女が彼の前を歩き出したときに、風で彼女のドレスがうきあがってしまい、彼女のくるぶしの辺が露わになりました。そこで彼は、彼女が後ろに来るように頼み、道筋で分岐点に着いた際に、方角を示してくれるように頼みました。
彼らが家に着くと、父親は食事を用意し、彼がどこから来たのかを尋ねました。彼は自らがエジプトからの亡命者であることを伝えました。彼を家に連れて来た方の娘が、父親にこう囁きました。「お父さん、彼を雇ってください。最善の働き手とは強くて信頼のおける者です。」
父親は彼女に尋ねました。「どうやって彼が強いと分かるのか?」
彼女は言いました。「彼は、沢山の男性たちでしか持ち上げられない井戸の石蓋を、一人で持ち上げました。」
父親は彼女に尋ねました。「どうやって彼に信頼がおけると分かるのか?」
彼女は言いました。「彼は、私の姿を見ずに済むように、私に彼の後ろを歩くように頼み、私が後ろにまわってからも、恥じらいと敬意から視線を下げたままだったからです。」
これが預言者モーゼ(彼に神の慈悲と祝福あれ)です。彼は、誤って殺人を犯した後にエジプトから逃避しました。娘たちの父親はミディアン部族の敬虔な男で、息子はいませんでしたが、この二人の娘を授かったのでした。
このクルアーンの節では、預言者モーゼに近づいた娘の振る舞いが強調されています。
「二人の娘のうちの一人が慎み深く彼のもとに近づき…(クルアーン28章25節)」
ザフォーラが預言者モーゼに近づいたときと、預言者モーゼが必要以上に彼女を見なかったときの振る舞いは、正しい礼儀作法を示しています。彼女には付き添いがいたわけでも、他の人が見ていたわけでもありませんが、両者ともお互いに対して最高の礼儀作法で振る舞いました。これらの行動は、全てを見ている主への畏れから出たものです。その結果として、父親は彼に、娘たちのうちの一人と結婚するように申し出、預言者モーゼ自身も彼女たちを妻として適した女性だと見なしました。父親と娘たちも、預言者モーゼを導きと守りを生涯通して与えてくれる夫として必要な性質をとりそろえた男性だと見なしました。預言者モーゼは婚姻を受け入れ、また10年間羊飼いとして雇われることも受け入れたのです。
預言者ムハンマド(彼の上に慈悲と祝福あれ)の慎み深さは、彼の性格の中で最も顕著なものでした。幼いときから、イスラーム以前のアラビアの開放された社会の中でも、彼の羞恥心は特筆するべきものでした。その一つの例として、カアバ神殿から財宝が盗まれたときに、盗人が室内に入れないようにと、カアバ神殿に屋根をつけて再建設した際のエピソードがあります。預言者ムハンマドはまだ若かった頃に、その再建に参加しました。彼は彼の叔父であるアッバースとともに石を運ぶために出かけていきました。彼の伯父は、彼に腰巻きを首に巻き重い石の鋭い部分から身を守るように言いました。
彼がその懸命な助言に従おうとしたときに、彼は目眩を覚え倒れてしまいました。彼の視線は空で泳ぎ、彼の背中が地面についたときに、彼の腰巻きが、陰部は隠していたものの、はだけてしまいました。そのあとすぐに、体を起こし、「腰巻きを!腰巻きを!」と叫んだと言われています。
彼は急いで、腰巻きをしっかりと巻き付けました。それ以降、彼の家族以外で、彼の腰部を目にした人は一人もいません。
上記の物語は、預言者の教友であるアブドゥッラーの息子ジャービルによって伝えられたもので、啓示が下る前でさえも存在していた、預言者ムハンマドの体が露出されることに対する恥じらいの精神と作法を示しています。彼は、神から啓示が下る前も下った後も、身を隠す処女よりも慎み深かったと伝えられています。
モーゼと中傷者
預言者モーゼ(彼の上に神の慈悲と祝福あれ)に関して、彼が若き預言者ムハンマドと同じくらい、体の露出に対して羞恥心を持っていたことを示す、もう一つの物語があります。彼は常に、人前では体を覆った状態で現れていたので、イスラエルの子孫たちから冷笑されていました。彼らは「モーゼはハンセン病か血膿といった皮膚病があるから、いつも体を覆っているのだ。」と言いました。
神は、預言者モーゼについてのこの中傷を明らかにしようとしました。ある日、預言者モーゼが人目のない場所で体を洗うために服を脱ぎ、その服を石の上に置きました。体を洗い終えたあと、服を着るために石に手を伸ばしましたが、その石が預言者モーゼの服を持って逃げてしまったのです。彼は裸であったにも関わらず、杖をとり「石よ!服を返せ!」と言いながら石を追いかけていったのです。
しかしその石は、イスラエル人たちがいる場所まで行き、そこで止まりました。イスラエル人たちは預言者モーゼの、覆われていない状態を見て、彼が神の創造した中でも最も美しい姿形を恵まれた者だいうことを知ったのです。
神は彼を、彼に対する中傷から救ったのでした。しかしモーゼはとても怒っていました。彼は服をとり、急いで身につけました。そして杖で石を叩きつけたのです。この物語を伝えているイスラームの預言者ムハンマドは、その石には今日に至っても、まだ叩き付けられた痕が3、4カ所残っていると伝えました。神はこのように語っています。
“信仰する者よ、ムーサーを悩ました者のようであってはならない。だが神はかれらの言った中傷から、かれを清められた。神の御許で、かれは栄誉を与えられていた。”(クルアーン33章69節)
この物語から預言者モーゼが、公の場で体を露出することに対し、どれだけ恥じらいを感じたかが分かります。事実、彼の体を覆うものが手元にないという焦りが彼の体を公に露出させたのですが、それは神の意志によるもので、神は中傷者から預言者モーゼを守ったのです。もちろん、彼は神の意思に背く露出には耐えられず、服を石からとりあげました。その石により彼の体は露呈され、彼の中傷者によって作り上げられた話を否定することができたのです。
預言者ムハンマドと庭の井戸
どこまで見てよいか、というのはもちろん人によって異なります。女性の体をどこまで夫に見せてよいかは、どこまで兄弟に見せてよいか、そしてまったくの他人にどこまで見せてよいかということとも異なりますし、逆も然りです。また、同性同士でどこまで見せてよいか、ということも同様です。父親、兄弟、息子がどこまで見てよいかというのも、他人の体のどこまで見てよいかということとは異なりますし、母親が、娘や姉妹のどこまで見てよいかは、他人の女性の体をどこまで見てよいか、ということとも異なります。
ある日、預言者はある庭園に行き、教友アブー・ムーサー・アル=アシュアリーにその門を見張らせることにしました。庭園には井戸があり、預言者はその中に足を投げ出した状態で座りました。しばらくするとアブー・バクルがやって来て、その庭に入りたいと請いました。アブー・ムーサーは預言者に、彼の義父が一緒に庭で休みたいと願っている、と伝えました。預言者は「彼に、楽園の庭園が用意されているという知らせを届け、中に入れなさい。」と言いました。
アーイシャの父親であるアブー・バクルは庭に入り、預言者の隣に座りました。預言者は彼の膝より少し上まで腰巻きをまくしあげていました。アブー・バクルは預言者のように、足を井戸の中に投げ出しました。そしてすぐに、ウマル・ブン・アル=ハッターブがやってきました。彼も庭園に入りたいと願いました。アブー・ムーサーが預言者の許可を得るために、預言者にもう一人の義父が訪ねてきたことを伝えました。預言者は「彼に楽園の庭園が待っているという知らせを伝え、中にいれなさい。」と言いました。
ハフサの父親であるウマルは預言者の隣に座り、同じように井戸の中に足を投げ出しました。
両者とも賢明なことに、預言者の隣に座ったので、預言者はひざにあった腰巻きを下げる必要なしに礼儀を守ることができたのです。
そのあとに、彼の娘ルカイヤと結婚した義理の息子であるウスマーン・ブン・アル=アッファーンが庭園に入りたいと願いました。アブー・ムーサーが許可を得に来たときに、預言者はこう言いました。「いくつかの試練のあとに楽園の庭園が待っていると彼に伝え、中に入れなさい。」彼が中に入ったときには、井戸の三面が開いておらず、預言者の向かい側、つまりは預言者の足が、他の二人よりもよく見える場所しか開いていませんでした。ウスマーンがためらったので、預言者は彼の腰巻きを膝下までおろし、ウスマーンを向かい側に座らせました。
イスラームでは、体の部分で公に見せてはいけない部分があります。その部分が陰部に近づくほど、露出されるのが厳しく禁止されています。三人とも預言者が膝を見せるほど近しい家族関係にあったにも関わらず、彼の太ももが見えそうになったときには、彼はそれを隠そうとしたのでした。