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モスクとは、ムスリムたちが神を崇拝する建物のことです。モスクはイスラームの歴史を通して、コミュニティ市街地形成の中心であり続けてきました。現在、特にムスリム諸国において、モスクはどこの街角でも見つけることが出来る程ありふれており、一日5回の礼拝への合同参加が容易になりました。欧米におけるモスクは、勉強会やコミュニティサービスを提供するイスラーム・センターの必要不可欠な部分を構成しています。





モスクにはあらゆる形と大きさがあります。それらは、特定の地域のムスリム人口の大きさに比例して異なる形となる傾向にあります。ムスリムたちは過去現在に関わらず、地域の職人や建築家に依頼し、美しく立派なモスクを造り続けてきたのです。





しかしながら、すべてのモスクに共通している部分もあります。すべてのモスクには、ムスリムが礼拝を捧げる方向であるマッカの方角を示す壁のくぼみ「ミフラーブ」が備えられています。また大半のモスクには、イスラーム学者が説教やスピーチをする説教壇「ミンバル」があります。





その他の一般的な特徴として、人々を礼拝へと呼びかける塔「ミナレット」もあります。ミナレットは非常に人目に立ち、たびたびモスクと同一視されます。また、中には通常長方形あるいは四角形の礼拝所があり、支柱に支えられた平らな天井、あるいは水平の梁に支えられたアーキトレーブが一般的です。モスクのデザインとして他にも一般的なものとしては、穹隅ドーム構造があります。また通常、男女別の入口によって分離された礼拝室があります。





モスクは過去1400年の間、顕著な発展を遂げてきました。それらの多くは、元々は礼拝前の洗浄のために備えられていたプールや噴水のある中庭によって彩られます。現代においては、個室の手洗い場やトイレ施設が備わっているのが一般的です。元来は土間の単純な構造でしたが、現在のモスクは通常はカーペットによって床が覆われています。それらは殆どの場合、ムスリムたちが一日5回の礼拝時に真っ直ぐ並列に立つことを助ける、直線的な幾何学デザインが織り込まれています。





モスクには肖像画や彫刻が見られることは一切ありません。イスラームにおいては、それらが禁じられているためです。時にモスクの内壁は、アラビア書道によるクルアーンの章句や、精密な幾何学デザインによって装飾されています。それらの様式は、モザイク模様、化粧しっくい、天然石、セラミックス、木材などの様々な材料によって造られています。より伝統的なデザインはアラベスクとして言及されるもので、それらは代表的に環状もしくは星型を形取る、放射状の格子の形式を取ります。また双方同時に使用されるもの、あるいは3次元的なデザインもあります。





大抵の場合、乾燥した砂漠の国々においても、モスクは涼しく、静かな安息の場を提供します。誰でもモスクに入ると、その人は押し合いへし合いのせわしない物質的世界の喧騒を去り、穏やかな憩いの場に避難するのです。モスクは崇拝の家でもあります。男性は合同で一日5回の礼拝を捧げることを勧められています。女性もモスクで祈ることは歓迎されますが、彼女たちは家で礼拝をすることがより好ましいとされます。どちらにせよ、ムスリムたちはトイレや墓地などの不浄と見なされる場所以外であれば、どこでも礼拝することが出来ます。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は言いました。「私には、大地の全てがマスジドとされたのだ。」 マスジドとは、アラビア語でモスクのことです。モスクという言葉は具体的に礼拝堂の建物を指す言葉になっていますが、マスジドという言葉は複数の意味を保ち続けています。





非常に逐語的な意味として、マスジドには「額ずきの場」という意味があります。アラビア語のマスジドは「額ずき」を意味する「サジャ・ダ」という語根から来ています。ムスリムの額が地面に付くと、その人物は神により近づきます。礼拝は、信仰者とその主とのつながりを確立し、額ずきは完全な服従行為を象徴します。





多くの人々は、「モスク」が「マスジド」の翻訳ではないと間違った主張をします。彼らはモスクという言葉がモスキートという、イザベラ女王とフェルナンド王の時代の15世紀スペインの単語に由来すると主張します。しかしながら、モスクとモスキートは全然関連性のないものです。





「モスク」という言葉は14世紀末または15世紀初頭に、フランス語から英語に導入されたものです。それは古フランス語の mousquaieが変化したmosquéeというフランス語に由来します。さらに、そのフランス語はイタリア語の moscheaから派生しています。そのイタリア語は直接アラビア語のマスジドから、あるいは古スペイン語のメスキータから借用した言葉です





このように、マスジドというアラビア語が、英語のモスクになったということを知ることが出来ます。 モスクとは礼拝の家、そして額ずきの場であるのです。それは、アッラーを崇拝するために特別に設計され、建築された建物です。そこでムスリムたちは肩を並べて立ち、神への愛情と、神をご満悦させようとの意思のもと、一致団結するのです。





イスラームが推奨する人間性の特質の一つとして、寛大さがあります。家族、友人、隣人、見知らぬ人、さらには敵にまで寛大に接しなければならない必要性を、クルアーン全体、及び預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)にまつわる真正の伝承は、繰り返し言及しています。寛大さについて話すタイミングとして、ラマダーン月よりも優れた時はないでしょう。





これを書いているのは、2009年のラマダーン最後の日々です。ムスリムたちは、自分たちの人生について考察し、自分たちの日々の行いが創造主のご満悦を得ているのか自問します。ラマダーンにおける熱烈な奉仕は、信仰者たちに、自らの心と精神を精査させるのです。





 ラマダーンは断食月としてよく知られていますが、イスラームの新改宗者たちは、それが喜捨と親切さの月でもあることに気付きます。日中の断食と、夜間の礼拝は心を柔らかにし、思いやりと善意の波をつくります。この奉仕の月は、素早く訪れ、優しく留まり、神の祝福と慈悲、そして赦しが下るのです。ラマダーンの祝福は、親切心の川に流れ出ます。





“預言者(神の称賛あれ)は、人々の中でも最も親切で、(天使)ガブリエルが彼を訪れたラマダーン月の最中は、更に親切でした。そしてラマダーン中、ガブリエルは一ヶ月を通して毎晩、彼を訪れていました。預言者はガブリエルにクルアーンを朗誦していましたが、ガブリエルが彼と会うと、彼は(雨やその他の祝福をもたらす)疾風よりも親切になりました。」(サヒーフ・ブハーリー)





29〜30日間の断食を通して、ムスリムは寛大に施します。彼らは懐の奥にまで手を伸ばし、慈善団体や困窮者へと公けに、または密かに施します。イスラームにおける慈善は、金銭を与えるだけのものではありません。それは神のご満悦を得るための、心からの善行なのです。施しとは、笑顔のようなごくシンプルなものから、学校や病院の設立のような大きなものまで、多種多様です。それには、あらゆる親切な行為が含まれます。





ムスリムはあらゆる時において親切であることが勧められていますが、ラマダーンはそれを思い起こさせるものとして機能します。現世の悩み事や、人生の試練が耐えがたいような時、弱い存在である人間は、神が数えきれない程の祝福を供給されていることを忘れがちになります。ラマダーンは、それらの祝福が独り占めされるべきものではないということを想起させます。神は私たちが寛容の心を持ち、神によって供給されたものを分け与えるよう求めているのです。





神は「アル=カリーム」、つまり最も寛大な御方です。すべてはかれを起源とし、やがてかれへと帰り着きます。それゆえ、私たちの所有物や富は、信託であると見なされるべきなのです。私たちへと供給されたものは、それが何であれ、保持・保護され、最終的には共有されなければならないものなのです。





 “言ってやるがいい。「本当にわたしの主は、そのしもべの中から御心に適う者に、御恵みを豊かに与えまた或る者には乏しく授けられる。かれはあなたがたが(主の道のために)施すものはすべて返される。かれは最も優れた御恵を与える方であられる。」”(クルアーン34:39





ラマダーンを通し、ムスリムは預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)と彼の教友たちの慣行を模範とし、寛大さの真の意味について熟考します。それは、自らが既に必要としなくなったものを手放すことではありません。それは自らが愛し、欲しているもの、または大半の場合、必要としているものを与えることなのです。





アーイシャ(預言者の妻)は言いました。「ある女性が、彼女の二人の娘と共に私の元を訪れて施しを乞いましたが、私には一つのナツメヤシの実しかなく、それを与えると彼女は二人の娘のために二等分しました。」(サヒーフ・ブハーリー)





預言者ムハンマドの周囲の男女は、親切さの真の価値について理解していました。彼らは親切・寛大な行為が未来への投資であることを認識していたのです。私たちの善行、思いやりの言葉、そして親切さは、来世において潤沢な報奨を受けます。神のご満悦を得るために私たちが支払う金銭は、何倍にもなって帰ってくるのです。私たちが与える所有物は、この現世で帰ってこないのであれば、来世で帰ってくるのです。





親切さは年間を通しての善行ですが、ラマダーン中の善行や親切さ、寛大さは何倍にも増加されて報奨されます。それは慈悲の月であり、神が私たちに享受させてくださる報奨は、その重さにおいて、私たちが年間を通して積み上げてきた罪をも上回るのです。ラマダーンは、神の親切さ、寛大さ、そして赦しをまんべんなく思い起こさせる月です。神は、たとえそれが海の泡沫ほど多いものであれ、人間の過失・罪をお赦しになります。かれの赦しと慈悲は、ラマダーンに限定されたものではありませんが。





この一ヶ月間は、崇拝に1,000ヶ月費やすよりも良い一日が含まれており(クルアーン971−5)、それは人類に対する神の愛情のしるしです。ラマダーンは、信仰者たちがその30日間を特別な奉仕と親切さのために取っておく期間です。ラマダーンの断食は、この世界には満足に飲食することが出来ない人々がいることを、信仰者に思い起こさせます。ラマダーンは信仰者たちにとって、自らの時間・富・所有物において寛大であれる機会です。





親切さと善行は、心を幸せにします。神をご満悦させるためだけの純粋な心によって富や所有物を差し出す者は誰であれ、それらの行為が喜びに満ちたものであることを知っています。しかし、少しも金銭を持たず、分け与えることの出来ない者についてはどうなのでしょう? 神のおやさしさは無限です。最も困窮する者でも、寛大になることが出来るのです。





人々は預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の元を訪れて尋ねました。「もし与える物が何もない人はどうすれば良いのでしょうか?」彼は言いました。「彼は自分の手で働き、自らを益した上で、(その稼ぎから)施せば良いでしょう。」人々はさらに尋ねました。「もし彼に、そうすることすら出来なければ?」彼は答えました。「彼は助けを求める困窮者を助けるべきでしょう。」人々は尋ねました。「彼にそうすることが出来なければ?」彼は答えました。「ならば、善行をし、悪行から離れるのであれば、それが施しと見なされるでしょう。」(サヒーフ・ブハーリー)





ラマダーンは断食月として知られますが、ラマダーンは神からの贈り物であり、神の慈悲の顕れであり、人類に内在する善意を思い起こさせます。ラマダーンは施しと寛大さの月なのです。





ラマダーンとはイスラームの太陰暦における9月のことで、29日間もしくは30日間の期間のことを指します。イスラームの月は、日没後すぐに西方で新月が観測されることによって開始します。ムスリムたちはシャアバーン月(イスラーム暦の8月)の29日に西の地平線で新月を観測しに行きます。もし月が観測されれば、その次の日の出から斎戒を始めますが、もし月が観測されなかったのなら、シャアバーン月(その前の月)の30日目を終え、ラマダーンはその翌日から始まります。





ラマダーンと斎戒の重要性





神はクルアーンの中でこう言っています。





 “信仰する者よ,あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。”(クルアーン2章183節)





 “ラマダーンの月こそは,人類の導きとして,また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなたがたの中,この月(家に)いる者は,この月中,斎戒しなければならない。病気にかかっている者,または旅路にある者は,後の日に,同じ日数を(斎戒する)。アッラーはあなたがたに易きを求め,困難を求めない。これはあなたがたが定められた期間を全うして,導きに対し,アッラーを讃えるためで,恐らくあなたがたは感謝するであろう。”(クルアーン2章185節)





つまり、ラマダーン月はクルアーンの月とも呼ばれます。それゆえムスリムはこの月にクルアーンを頻繁に朗誦します。





サウム(斎戒)





サウム(斎戒)は日の出に始まり、日没に終わります。ムスリムは日の出前に起き、サフール(夜明け前の食事)を食べ、斎戒に備え十分な量の飲み物を飲みます。そして日の出前には、飲食を止めます。日が出ている間は、飲食も性行為もしてはいけません。更にムスリムたちはイスラームの教えに厳しく従わなければならず、従えなければ斎戒の務めを果たしたことにはなりません。





ラマダーン月の斎戒は、思春期を過ぎた全ムスリムに課される宗教行為です。生理中、または産後の出血中の女性は、それらが終わるまで斎戒を中断します。また、病気の人や旅行中の人も斎戒を中止します。





ムスリムが斎戒をするのは、神が彼らにそう命じたからです。しかし、彼らは斎戒には、空腹や喉の乾き、性的衝動を自制し、よりモラルのある人間になり、創造主により誠実になるための訓練となるという利点もあることを実感します。斎戒中であっても、仕事をすることは許されています。





斎戒は、日没後にナツメヤシを食べるか、水やジュースを飲むことによって解かれます。しかし禁忌とされている食べ物や飲み物は斎戒を明けるために使われません。マグリブのサラー(日没時の礼拝)がその後に行われ、その後に本格的な食事があります。しばらく休んでから、ムスリムたちはイシャーのサラー(夜の礼拝)に行き、そのあと特別な夜間礼拝であるタラーウィーフがとり行われます。





タラーウィーフ





いつも通りの夜の礼拝の後には、集団礼拝が行われます。伝統的に、ハーフィズ、つまりクルアーンをアラビア語ですべて記憶した人がその礼拝を導きます。彼はクルアーンを少しずつ順番に、毎晩朗誦していき、ラマダーン中またはラマダーンの終わる頃にクルアーンを全て朗誦します。この礼拝に参加する全てのムスリムが、この月の終わりまでにクルアーンを最初から最後まで聴くことができるのです。ハーフィズがいなければ、その集団の中でクルアーンを最も記憶しているものがその能力に応じて朗誦します。多くのイスラーム学者たちはスンナ(預言者ムハンマド[彼の上に神の慈悲と祝福あれ]の言行)から、彼がラマダーン中でラマダーンではないときでも夜中に一人で礼拝していたとしています。また彼の偉大な教友たちも同じようにしていたとされています。





ラマダーン中の寛容さ





ラマダーン中は、善行を行う者にいつもより多くの祝福が与えられます。この期間中は人々はより寛容で、誠実で、優しくなり、より多くの善行を行おうとします。貧者たちは食べ物や衣服、金銭を裕福なムスリムから受け取ります。多くのムスリムは、斎戒を解き、食事をとるためにモスクに行きます。近所の人々はモスクに果物や飲食物を届け、毎晩友愛に満ちた夕食を楽しむのです。





イスラーム共同体の中で良く知られた寄付者たちは、貧者に喜捨を求められます。ザカーと呼ばれる財産を清める喜捨や寄付がこの時期に支払われますが、それはムスリムたちが神から何倍もの報酬を期待しているからなのです。



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