記事

クルアーンは人類全体に対し、自分たちの諸事について熟考し、考察するよう呼びかけます。以下は、クルアーンによって述べられているものの一部です。





·        われはこのように、熟慮する人びとのために(われの)印を解明する。(クルアーン ヨナ章24節)





·        かれらは反省しないのか。アッラーが天と地、そしてその間にある凡てのものを創造なされたのは、唯真理のため、また定めの時のためであることを。だが人びとの多くは、主との会見を否認する。(クルアーン ビザンチン章8節)





·        かれこそは、あなたがたのため夜を定め、それであなたがたを憩わせ、また昼間を明々白々にされる方である。本当にその中には聞く耳をもつ人びとに対し、印がある。(クルアーン ヨナ章67節)





·        人間は、(目的もなく)その儘で放任されると思うのか。(クルアーン 復活章36節)





·        あなたがたは、われが戯れにあなたがたを創ったとでも考えていたのか。またあなたがたは、われに帰されないと考えていたのか。(クルアーン 信仰者章115節)





·        それともかれらの多くは耳を傾け、または悟るとでも思っているのか。かれらは家畜のようなものに過ぎない。いや、それよりも道から迷っている。(クルアーン 識別章44節)





·        かれらは反省しないのか。かれらの仲間は気が狂ったのではない。かれは明らかに、一人の警告者に外ならない。(クルアーン 高壁章184節)





·        もしもわれがこのクルアーンを山に下したならば、それはきっと遜って、アッラーを恐れて粉々に砕けるのを見るであろう。こんな譬えを、われは人間に示すのは、恐らくかれらが熟考するであろうと思うからである。(クルアーン 集合章21節)





新ムスリムの改宗のケースについて多くを調べていくと、批判的思考・知的考察が、非イスラームの信仰を棄てるきっかけとなっていることが分かります。そうした信仰は、彼らにとって山をも動かさんばかりのものでしたが、イスラームの基本から見て取れる理性の声によって、打ち消されてしまうのです。ただ単に、考察と熟考を経過することにより、反イスラーム知識人らによる活動や言行などによって覆い隠されたままだったであろうものは明るみに出されるのです。物事の負の側面を見ることだけに満足する者は、真実の光を目にすることはありません。彼らは、決して終わることのない表面的な分析に携わり、不成功のうちに自分たちの誤った哲学を証明しようと試みているだけなのです。





メディアには、人々によるイスラームへの改宗率が様々な場面で引用されます。この記事においてそれらの情報源は確証されていないものの、以下のようなものが挙げられています。





·       The Almanac Book of Facts(米国で毎年発行される年鑑)によると、過去10年間に人口が137%増加している中、キリスト教徒は46%の増加、イスラーム教徒は235%の増加を見せています。





·       米国だけでも、年間10万人がイスラームに改宗しています。男性1人の割合に対し、女性は4人が改宗しています。





·       あるテレビ局の報道によると、ドイツでは毎年4千人がイスラームに改宗しています。





·       英国だけでも、毎年2万5千人がイスラームに改宗しています。





·       まだまだこのような例はたくさんあります。





ムスリムに関しては?





イスラームの教えにおける理性の声が、大勢の非ムスリムをイスラームに改宗させているのであれば、なぜムスリムとして生まれた人々は通常、この宗教の教えに完全に従っていないのでしょうか? 事実問題として、一部のムスリムたちによる批判的思考と熟考の欠如が、ムスリム世界全体における生活を基準以下のものにさせているのかも知れません。イスラームとその教えは、すべての人々が充実した平和な人生を送ることを約束します。しかし、ムスリムたちはその基本を無視し、社会的・倫理的問題に足を突っ込み、不必要な苦痛と損害を自分たちとその家族に与えてしまっています。実際に、もし彼らが自分たちの宗教の教えに耳を傾け、熟考したのなら、彼らの直面する多くの諸問題は解決されるはずなのです。





その教え





この宗教を代弁すべきでない人々による誤解、そしてメディアによる偏向報道によって注意を散漫にされてしまった、イスラームの表面をかじっただけの非ムスリムに対してのメッセージはシンプルです。イスラームの教えを批判的観点から検証してみてください。あなたは、当初そこに存在しないと思い込んでいたよりも、多くの理性を見いだすことが出来るはずです。次に、ムスリムたちに対するメッセージです。私たちは、日常生活の儀礼的実践よりもさらに先について考えないことから、自分たちの宗教の教えの価値を認めていません。学びへの集中的努力と、熟考・考察をより多く行うことにより、私たちの人生を劇的に向上させる宗教的教えに近づくことが出来るはずです。





このサイトにある多くの記事では、イスラームへの改宗がいかに容易なものであるかが説明されています。また、イスラームを受け入れることを妨げさせる要因について議論する記事や動画もあります。改宗者たちによる改宗記からは、彼らの喜びや興奮が伝わってきます。また、いかにしてムスリムになるのかを詳細に説明する記事もあります。イスラームへの改宗は、多くの異なる角度から論じられていますが、今回の連載ではイスラーム改宗における利点について述べていきます。





イスラームの改宗からは多くの利点が得られますが、その中でも最も顕著なものは、人生における最も根本的な真理を見すことから得られる心の平穏、そして幸福感でしょう。最も純粋かつシンプルな方法によって確立させる神との関係は、人生に放感や落ち着きをもたらします。イスラームへの改宗における利点はそれだけではありません。以下では代表的なものを一つずつ見ていきましょう。





1.イスラームへの改宗は、人工的なシステム・生活様式への隷属から人を解放します。





イスラームは迷信や半信半疑から心を解放します。また罪や腐敗から魂を解き放ち、抑圧や恐怖心から良心を自由にします。神の御意への帰依は自由を束縛するものではなく、心を迷信から解放し、真実と知識で満たすことによって高度な自由を与えるものなのです。





人はイスラームを受け入れると、ファッション・消費文化などの奴隷ではなくなり、人々を支配下に置くことを目的とする貨幣制度への隷属状態から解き放たれます。イスラームが、神に真の帰依をしない人々の生活を支配する迷信から解放することも特筆に値します。信仰者は、吉兆・不吉などといった迷信が存在しないことを知ります。「もし彼(信仰者)が安楽を授けられたなら、彼は感謝するのであり、それは彼にとって善いことなのである。また、もし彼が困難に苦しめられたなら、彼は忍耐するのであり、それもまた彼にとって善いことなのである」と預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)が述べたように、信仰者のあらゆる諸事は善いものであり、人生における善悪の側面はどちらも神によりもたらされたものなのです。





人が人工的なシステム・生活様式から放された後、その人物は正しい方法によって神を崇拝することができるようになります。信仰者は神を信頼し、神に希望を持ち、神の慈悲を真摯に求めるようになるのです。





2.イスラームへの改宗により、人は神の愛を真に感じることができるようになります。





イスラームに改宗することにより、人は人生の指針であるクルアーン、そして預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の真正な伝承に従うことによって神の愛情を感じ取ることができるようになります。神は世界を創造した際、それを不安定さの中に放置したりはされませんでした。神は、それにしっかりと掴むことによって、偉大さと永遠なる平和を達成することのできる縄を遣わされたのです。クルアーンの言葉によると、神はその望みを明白にされたものの、人間は自由意志によって神をご満悦させることもできれば怒らせることもできるのです。





(ムハンマドよ、人類に)言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば、わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ、あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」(クルアーン3:31





イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。(クルアーン3:85





宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神(ターグート)を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。(クルアーン2:256





3.イスラーム改宗の利点は、神が信仰者に約束する天国です。





クルアーンにおいて多くの章句で説明されているように、天国は永久の祝福の場であり、信仰者に約束された場です。神は、信仰者に天国という報奨を与えることによって彼らに慈悲を示します。誰であれ、神を否定したり、神以外のかを崇拝したり、神に子女や同位者があると主張したりする者には、火獄という来世における破滅が待ち受けます。人はイスラームに改宗することにより、墓での懲罰や審判の日の災厄、そして永久なる火獄から救われるのです。





“だが(神の唯一性を)信仰して、正しい行いに勤しむ者は、われは必ず下に川が流れている楽園の高殿に、落ち着かせよう。(永遠に)そこに住まわせる。(善)行を行う者への報奨は、何と有り難いことよ。”(クルアーン29:58





4.幸福・平穏・内なる平和は、イスラームに改宗することによって達成されるものです。





イスラームそのものは、内面的平和・平穏と切っても切り離せないものです。「イスラーム」「ムスリム」「サラーム(平和)」という単語は、それぞれ平和・安寧・安全を意味する「サ・ラ・マ」という語根を共有しています。人が神の御意に帰依する、その人物は内的な安心感と平穏を経験するのです。





完全な幸福が存在するのは天国のみです。そこにおいて私たちは人生の一部である恐怖・心配・苦痛からは無縁な真の平和・平穏・安全を見出します。しかし、イスラームによって定められた指針は、私たち不完全である人間が現世で幸せを求めることを許可します。現世と来世における幸福を成就させる鍵とは、神のご満悦を求め、同位者を配すことなく神を崇拝することなのです。





次回の記事では、赦しと慈悲、また試練と苦難に関わるイスラーム改宗の利点について考察します。





 



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