イスラームにおいて、イエスは神によって遣わされた最も偉大な5大預言者の1人として見なされています。イエスに関するムスリムの知識は、クルアーンとハディース(預言者にまつわる言行集)の主要典拠から来ています。クルアーンにおいて、イエスはイーサー・ブン・マルヤム(マリアの子イエス)として言及されます。マリアとイエスの逸話は、クルアーンの第3章と第19章において詳しく語られます。
マリアの非凡な幼少期
逸話は、神の庇護を祝福された幼少期のマリアから始まります。マリアは敬虔な一族、アール・イムラーン(イムラーン家)に生を受けました。人々は彼女を育てるという栄誉にあずかるための口論を繰り広げましたが、子どもを持たない老人ザカリアにその責任が与えられました。彼はその女児が特別な存在であることに直ちに気付きました。ある日、ザカリアは彼女の元に心当たりのない食物があるのを見ました。それがどこから来たのか彼が尋ねると、彼女はこう答えました。
“これはアッラーの御許から(与えられました)。本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなくお与えになります。”(クルアーン3:37)
この簡潔な答えは、老人に大きな影響を与えました。長年に渡り息子を欲していた信心深いザカリアは、神に子孫を授けてくれるよう祈っていました。以下に述べられるクルアーンの節々からは、彼の妻が妊娠・出産できる年齢を超えているにも関わらず、神は彼の祈りにただちに答えたことが分かります。
“そこでザカリーヤー(ザカリア)は、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時、天使がかれに呼びかけた。「アッラーからヤヒヤー(ヨハネ)の吉報をあなたに授ける。その子はアッラーの御言葉の実証者となり、尊貴、純潔で正しい人々の中の預言者となろう。」”(クルアーン3:38−39)
ザカリアが気付いたマリアの独特さは、天使たちによって彼女に語りかけられました。
“天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤム(マリア)よ、誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め、万有の女人を越えて御選びになられた。」「マルヤムよ、あなたの主に崇敬の誠を捧げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」”(クルアーン3:42−43)
クルアーンによって語られる、マリアの養育と幼少時代の逸話はここで終わりを見せます。
イエスの奇跡
「マリア章」という名の第19章において、クルアーンはこの特別な女性の逸話についてさらに語ります。
“(ムハンマドよ、)またこの啓典の中で、マルヤム(の物語)を述べよ。かの女が家族から離れて東の場に引き籠った時、かの女はかれらから(身をさえぎる)幕を垂れた。その時われはわが聖霊(天使ガブリエル)を遣わした。かれは1人の立派な人間の姿でかの女の前に現われた。かの女は言った。「あなた(ガブリエル)に対して慈悲深き御方の御加護を祈ります。もしあなたが、主を畏れておられるならば(わたしに近寄らないで下さい)。」かれは言った。「わたしは、あなたの主から遣わされた使徒に過ぎない。清純な息子をあなたに授ける(知らせの)ために。」かの女は言った。「未だ且つて、誰もわたしに触れません。またわたしは不貞でもありません。どうしてわたしに息子がありましょう。」かれ(天使)は言った。「そうであろう。(だが)あなたの主は仰せられる。『それはわれにとっては容易なことである。それでかれ(息子)を人びとへの印となし、またわれからの慈悲とするためである。(これは既に)アッラーの御命令があったことである。』」こうして、かの女はかれ(息子)を妊娠したので、遠い所に引き籠った。”(クルアーン19:16−22)
クルアーンによる描写から、マリアは妊娠期間の大半を一人で過ごしたということが推測されます。クルアーンは、その期間中に何が起こったのかについては言及しません。クルアーンは次にマリアの陣痛時について語ります。
“だが分娩の苦痛のために、ナツメヤシの幹に赴き、かの女は言った。「ああ、こんなことになる前に、わたしは亡きものになり、忘却の中に消えたかった。」その時(声があって)かの女を下の方から呼んだ。「悲しんではならない。主はあなたの足もとに小川を創られた。”(クルアーン19:23−24)
人々による反応について熟知する神は、その状況をどう乗り越えるかについて彼女を導いています。
“またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。”(クルアーン19:25)
人々の前に赤ん坊のイエスを抱えて現れたマリアを、彼らは詰問しました。すると、両腕の中に抱えられたイエス自身がそれに答えたのです。クルアーンはそのときの状況を詳しく語ります。
“「食べ且つ飲んで、あなたの目を冷しなさい。そしてもし誰かを見たならば、『わたしは慈悲深き主に、斎戒の約束をしました。それで今日は、誰とも御話いたしません。』と言ってやるがいい。」それからかの女は、かれ(息子)を抱いて自分の人びとの許に帰って来た。かれらは言った。「マルヤムよ、あなたは、何と大変なことをしてくれたのか。ハールーン(アロン)の姉妹よ、あなたの父は悪い人ではなかった。母親も不貞の女ではなかったのだが。」そこでかの女は、かれ(息子)を指さした。かれらは言った。「どうしてわたしたちは、揺籠の中の赤ん坊に話すことが出来ようか。」(その時)かれ(息子)は言った。「わたしは、本当にアッラーのしもベです。かれは啓典をわたしに与え、またわたしを預言者になされました。またかれは、わたしが何処にいようとも祝福を与えます。また生命のある限り礼拝を捧げ、喜捨をするよう、わたしに御命じになりました。またわたしの母に孝養を尽くさせ、高慢な恵まれない者になされませんでした。またわたしの出生の日、死去の日、復活の日に、わたしの上に平安がありますように。」”(クルアーン19:26−33)
このように、赤ん坊のイエスは母親に対する姦通の糾弾から彼女を守り、自分が何者なのか、そしてなぜ神によって遣わされたのかを簡潔に表明したのです。
こうしてマリアの逸話、そして最も偉大な神の預言者の一人であるイエスの奇跡的誕生の逸話が終わります。
“そのこと(イエスがマリアの子であること)に就いて、かれら(ユダヤ教徒、キリスト教徒)は疑っているが本当に真実そのものである。”(クルアーン19:34)
マリアがイスラームにおいて、最も高く評価され尊敬されている女性であり、クルアーンで重要視されている女性の一人だと知って驚く人も少なくないでしょう。マルヤムはクルアーン19章の題名であり、13章はイムラーン家という名が付けられています。イスラームにおいて、イムラーン家はとても高い価値を置かれています。クルアーンはこう伝えています:
“本当にアッラーは,アダムとノア,そしてアブラハム族の者とイムラーンー族の者を,諸衆の上に御選びになられた。”(クルアーン3:33)
神はアダムとノアのことは個人的に選びましたが、アブラハムとイムラーンに関してはその一家を選びました。
“かれらは,一系の子々孫々である。”(クルアーン3:34)
イムラーン家はアブラハムの子孫であり、アブラハム家はノアの子孫であり、ノア家はアダムの子孫です。イムラーン家にはキリスト教の教義において著名かつ尊敬されている多くの人々がいます。預言者ザカリアや預言者ヨハネ(洗礼者ヨハネ)、預言者イエスとその母マリアがそうです。
神はマリアを全世界の女性の上に置かれました。かれはこう仰っています:
“天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ,誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め,万有の女人を越えて御選びになられた。」”(クルアーン3:42)
また第4代カリフのアリー・ブン・アビー・ターリブはこう言っています。
“私は、神の預言者が、イムラーンの娘マルヤムは最も優れた女性である、と言ったのを聞きました。”(サヒーフ・アル=ブハーリーによる伝承)
アラビア語で、マルヤムとは神の仕女のことを指し、イエスの母マリアは産まれる前から神に仕えていたのです。
マリアの生誕
聖書にはマリアの生誕について詳しく書かれていませんが、クルアーンには、イムラーンの妻が彼女のまだ産まれていない赤ん坊を神に仕えさせようとしていたということが書かれてあります。マリアの母、またはイムラーンの妻はハンナといいました[1]。 彼女は預言者ザカリアの妻の妹でした。ハンナと夫イムラーンは子供が授かれないものと信じていましたが、ある日ハンナが誠実で心のこもった祈念をし、子どもを授かれるのならエルサレムの神の家に仕えさせると誓いました。神はハンナの願いを聞き入れ、ハンナは懐妊したのです。ハンナはこの素晴らしい知らせを知ったとき、神に祈りこう言いました。
“イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え,「主よ,わたしは,この胎内に宿ったものを,あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」” (クルアーン3:35)
ハンナの神への誓いには、学ぶべき教訓があります。その一つが子孫に与えるべき宗教的教育です。ハンナは世俗のことは一切気にせず、自分の子どもが神に近しい者であり、神に仕える者であるように努めました。イムラーン家のような神の僕たちこそ、私たちがお手本とするべき両親の姿です。神はクルアーンの中で何度も、かれこそが私たちを養う存在であり、私たち自身と私たちの家族を地獄の業火から守るべきだと警告しています。
ハンナは祈りの中で、彼女の子どもが世俗的な仕事には携わらないように願いました。彼女の子どもが神の僕になることを約束することで、彼女は子どもの自由を守ったのです。自由とは、すべての人間が手に入れようと努力する人生の性質であり、彼女は本当の自由とは、神への絶対服従によって得られるものだと理解していたのです。これこそが、彼女がまだ産まれていないその子どものために願ったことなのです。ハンナは彼女の子どもが、ほかのいかなる者の奴隷、また自らの欲望の奴隷などではなく、神だけの僕であってほしかったのです。時期がきて、ハンナは女の子を産み、彼女はまた神に祈りを捧げてこう言いました:
“それから出産の時になって,かの女は(祈って)言った。「主よ,わたしは女児を生みました。」アッラーは,かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします,どうかかの女とその子孫の者を)呪うべき悪霊から御守り下さい。」”(クルアーン3:36)
ハンナはその子をマリアと名付けました。彼女の神への誓いについて、彼女はジレンマに陥りました。祈りの家に女性が仕えることは、許されていなかったからです。マリアの父イムラーンは彼女が産まれる前に亡くなっていたので、ハンナは義理の兄ザカリアに頼りました。彼はハンナを慰め、神は彼女が女の子を身ごもったこともご存知だということを理解させました。この女児マリアは、神の創造物の中でも最高のものの一人でした。預言者ムハンマドは、子どもが産まれるときに泣くのは、悪魔が赤ん坊を突き刺すためなのだ、と言いました。[2] これは悪魔の人間に対する大きな敵意の象徴ですが、二つの例外があります。悪魔はハンナの願いゆえに、マリアも、その息子イエスのことも突き刺さなかったのです。[3]
マリアが祈りの家に来たとき、誰もがこのイムラーンの敬虔な娘の面倒を見たがりました。その当時の慣習にならって、その権利のくじ引きが行われ、神は預言者ザカリアが彼女の後見人になるようにしました。
“それで主は,恵み深くかの女を嘉納され,かの女を純潔に美しく成長させ,ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。”(クルアーン3:37)
預言者ザカリアは神の家に仕える、賢明で知識のある男性であり、教えを説くことにとても熱心でした。彼はマリアのために部屋を建て、彼女が人目にふれず神を崇拝し、日常の用事を済ませることができるようにしました。預言者ザカリアは後見人として、マリアを毎日訪ねていましたが、ある日彼女の部屋に新鮮な果物があるのを見て驚きました。彼女の部屋には、夏には冬の果物が、冬には夏の果物が置いてあったと伝えられています。[4] 預言者ザカリアは、それがどうしてこの部屋にあるのか尋ねました。マリアは、神こそが糧を与えてくれるのだ、と答えました。彼女はこう言いました、
“「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。”(クルアーン3:37)
彼女の神への献身ぶりは未曾有のものでしたが、彼女の信仰は今まさに試されようとしていました。