これは昼のメロドラマ顔負けの、策謀、欺瞞、嫉妬、プライド、欲望の渦巻く物語です。またトークショーでも見ることの出来ない忍耐、忠誠、勇気と思いやりの物語でもあります。これは預言者ヨセフ(神の賞賛あれ)の物語です。このヨセフと、キリスト教・ユダヤ教において知られるヨセフは同一人物です。神は、あるユダヤ人が預言者ムハンマドにヨセフについて尋ねた際、彼にこの物語を啓示しました1。クルアーンにおける物語は通常断片的で、複数の章にまたがって語られますが、ヨセフの物語に関しては例外です。それは始めから終わりまで、一つの章において啓示され、預言者ヨセフが体験したことが語られます。私たちはヨセフの喜び、苦難、悲しみを知り、彼が自らを敬虔さ、忍耐によって武装し、そして最後に勝利を勝ち取るまでの道のりを共に歩むことが出来ます。ヨセフの物語は夢によって始まり、夢の解釈によって終わります。
“われはこのクルアーンをあなた(ムハンマド)に啓示し、物語の中の最も美しいものを語ろう。あなたもこれまで(この啓示が下されるまで)気付かずにいたものである。”(クルアーン12:3)
ヨセフの少年期
若いヨセフは明るく、美男子で、父親からこよなく愛されていました。ある朝、夢から目覚めたヨセフは、その内容を教えるため、嬉々として父親へと駆けていきました。ヨセフの父は息子の話に注意深く耳を傾けました。彼の顔は喜びに光り輝きました。なぜならヨセフの夢は、預言の実現だったからです。ヨセフはこう言ったのです。
“父よ、わたしは(夢で)11の星と太陽と月を見ました。わたしは、それらが(皆)わたしに、サジダしているのを見ました。”(クルアーン12:4)
ヨセフは12人兄弟の一人で、彼の父は預言者ヤコブ、曽祖父は預言者アブラハムでした。この預言は、アブラハムの説いた、唯一なる真実の神を崇めよ、というものを継続させることについてのものでした。預言者アブラハムの孫ヤコブは、その夢はヨセフが「神の家の光」を運び出す者となること2であると解釈しました。しかし、ヤコブの顔が喜びに満ち溢れるのもつかの間、それはすぐに消え、彼はヨセフにこのことを兄弟たちに明かしてはだめだと言いました。ヤコブはこう言いました。
“息子よ、あなたの夢を兄たちに話してはならない。そうすれば、かれらはあなたに対して策謀を企らむであろう。本当に悪魔は人間には公然の敵である。このように主は、あなたを御選びになって、出来事の解釈を教えられ、かれが以前に、あなたの父祖のアブラハムやイサクに御恵みを全うされたように、あなたとヤコブの子孫にそれを全うしたものである。本当にあなたの主は全知にして英明であられる。”(クルアーン12:5−6)
ヤコブは、彼の息子たち(ヨセフの兄たち)が夢の解釈も、ヨセフが彼らよりも優れているということも認めはしないことを知っていました。ヤコブは怖れていました。10人の兄たちは、既にヨセフに嫉妬していたのです。彼らは、彼に対する父の特別な愛情を察知していました。ヤコブは預言者で、唯一なる真実の神への服従に身を捧げ、彼の家族と集団に対し、公正に接していましたが、彼は心優しい性格の息子ヨセフに対してはその感情を隠しきれませんでした。ヨセフの下にも一人、ベニヤミンと言う名の弟がいましたが、彼はこの策略と欺瞞に関わるにはまだ幼すぎました。
預言者や誠実な者たちは神への服従を説きますが、サタンは人類を誘惑し、扇動するために待ち伏せています。サタンは策略や欺瞞を愛し、ヤコブと彼の兄たちの間の確執の種をまいていました。兄たちがヤコブに対して抱いていた嫉妬は彼らの心を盲目にさせ、思考を乱し、些細なことを重要に、そして重要なことを些細なことに見せていました。ヨセフは父の助言を受け止め、彼の夢について兄たちには話しませんでしたが、それにも関わらず彼らは嫉妬に支配されてしまいました。ヨセフの夢のことを知らずして、彼らはヨセフの殺害を計画しました。
ヨセフとベニヤミンは、ヤコブの第二夫人の子供でした。異母の兄弟たちは、自分たちを一人前と見なしていました。彼らは年長で、力強く、自分たちには良い性質が備わっていると思い込んでいたのです。嫉妬に支配された彼らはヨセフとベニヤミンを蔑視し、なぜ父が二人を寵愛するのか理解しようともしませんでした。兄弟たちはよこしまな考えにより、父が誤って導かれたのだと非難しましたが、それは現実とはかけ離れたものでした。サタンは彼らの考えを正当化させましたが、彼らがヨセフを殺害し、その後すぐに悔悟しようと話し合ったとき、それは明確に現れました。
“かれら(兄たち)がこう言った時を思え。「ヨセフとその弟は、わたしたちよりも父に寵愛されている。だがわたしたちは多勢の仲間である。父は明らかに間違っている。」(1人が言った。)「ヨセフを殺すか、それともかれを何処か外の地に追え。そうすれば父の顔(好意)はあなたがたに向けられよう。その後、あなたがたは(悔悟することにより)正しい者になろう。」”(クルアーン12:8−9)
彼らのうちの一人はそれが間違いであると感じ、ヨセフを殺す代わりに、井戸に落とすことを提案しました。通りがかりの旅行者にでも拾われれば、彼は奴隷として異国に売り払われ、家族にとって死んだも同然となると言いました。彼らはその盲目さからそのことを信じ、ヨセフの不在は父の思いから消えると思い込んだのです。兄弟たちはその邪悪な計画の準備を進めました。サタンは彼らに付け入って囁きかけ、悪意を吹き込んだのです。兄弟たちは話し合いを終え、自分たちの計画に満足しました。その計画とは、ヨセフを遊びに連れていくという名目で砂漠におびき出すというものでした。ヤコブの心に不安が忍び寄りました。
“凡そアッラーは御自分の思うところに十分な力を御持ちになられる。だが人びとの多くは知らない。”(クルアーン12:21)
ヨセフの物語では、神がすべての諸事において完全かつ絶対的な力を持つことが確証されます。ヨセフの兄弟たちによる裏切りと欺瞞は、ヨセフにとって将来的に彼が勝ち取る偉大な地位への準備となりました。ヨセフの物語は神の全能性、御力、主権性を正確に述べます。物語は裏切りから始まり、安寧、喜びによって幕を閉じます。ヨセフはその長い旅の中で、周囲の策略・裏切りを乗り越えました。それは神の御意への完全なる服従に相応しい報奨なのです。
自らの体験から忍耐を学んだヨセフは、歴史上、最も誠実な人物の一人となりました。父、祖父、曽祖父も預言者だった彼の家系は非の打ち所がありません。キリスト教・ユダヤ教の伝統においても、彼らはそれぞれヤコブ、イサク、アブラハムとして知られています。
欺瞞と裏切り
ヤコブの年上の息子たちがヨセフを砂漠へと連れだす許可を求めたとき、ヤコブの心には不安が忍び寄りました。彼はすぐに裏切りの予感を感じ取り、狼がヨセフを襲うのではないかと疑ったのです。ヤコブはこう言いました。
“あなたがたがかれを連れて行くのは、わたしにはどうも心配である。あなたがたがかれに気を付けない間に、狼がかれを食いはしないかと恐れている。”(クルアーン12:13)
サタンは狡猾な方法で欺き、ヤコブは不本意ながら自らの言葉で彼らにヨセフ失踪の理由を与えてしまうのです。兄弟たちは、ヨセフの失踪を狼のせいにする、という卑劣な計画を実行することになりました。ヤコブは息子たちの要望に折れ、兄弟たちはヨセフを連れ去り、砂漠へと向かいました。
彼らは井戸へと直行し、ためらうことなくヨセフを持ち上げ、井戸の底へと放り投げました。ヨセフは恐怖に泣き叫びましたが、彼らの冷酷無常な心は弟への哀れみを感じなかったのです。彼らは旅行者がヨセフを拾い上げ、奴隷として売り払うであろうことを確信していました。ヨセフが助けを求めて叫び声を上げる中、彼らは羊の群れから小さなものを選んで屠殺し、その血をヨセフの衣服に付けました。嫉妬心に支配された兄弟たちは、この卑劣な行いを秘密にしておくことを誓い合い、満足してその場を去りました。ヨセフは井戸の中で酷く怯えていましたが、神はやがて彼が兄弟たちに再び出会うことを明らかにしました。彼はこの出来事について、兄弟たちに問いただす日が来ることを知らされたのです。
“あなたは必ずかれらの(する)この事を、かれらに告げ知らせる(日が)あろう。その時かれらは(あなたに)気付くまい。”(クルアーン12:15)
泣訴は真実の裏付けとはならないこと
兄弟たちは泣きながら父のもとへと帰りました。既に辺りは暗くなっており、ヤコブは心配しながら家の中でヨセフの帰りを待っていました。10人の泣き声が、彼の最も恐れていたことが起きてしまったことを確信させました。夜の暗闇は、彼らの心の闇と調和していたかのようでした。彼らの口からは嘘が容易に出てきました。ヤコブの心は苦悩で締め付けられました。
“かれらは言った。「父よ、わたしたちは互いに競争して行き、ユースフをわたしたちの品物のかたわらに残して置いたところ、狼が(来て)かれを食いました。わたしたちは真実を報告しても、あなたはわたしたちを信じては下さらないでしょう。」かれらは、かれ(ユースフ)の下着を偽りの血で(汚し)持って来た。”(クルアーン12:17−18)
預言者ムハンマドの後に現れた誠実な者たちの逸話の一つに、老婦人に判決を下したムスリムの裁判官の例があります。判決後、老婦人は延々と泣きました。証拠に基づいた判決により、彼女は敗訴したのです。裁判官の友人は言いました。「彼女は泣きに泣いていたし、老年だ。なぜ彼女を信じなかったのだ?」裁判官は言いました。「クルアーンには泣くことが真実の証とはならない、と書いてあることを知らないのか?ヨセフの兄弟は泣きながら父親の元へと帰ったのだぞ?」彼らは泣いていましたが、犯罪を犯していたのです。
ヤコブとヨセフは共に、歴史上最も高貴な人物に数えられます。預言者ムハンマドはヨセフのことを、最も品位あり、寛大な人物の一人として言及しています。誰が最も神を畏れる人物かと聞かれたとき、彼はこう答えています。「最も名誉ある人物は神の預言者であり、諸預言者の子、そして神に寵愛されたしもべ(アブラハム)の子であるヨセフである。」1ヨセフが恐怖の中で井戸の底に居たとき、遠くにいたヤコブは不安にかられていましたが、息子たちが嘘をついているのは分かっていました。神の預言者にふさわしく、涙を流しながらも彼はこう言いました。
“いや、いや、あなたがたが自分たちのために(大変なことを安易に考えて)、こんなことにしたのである。それで(わたしとしては)耐え忍ぶのが美徳だ。あなたがたの述べることに就いては、(只)アッラーに御助けを御願いする。”(クルアーン12:18)
どういった行動をとれば良いのかは、ヤコブにとってのジレンマでした。彼は息子たちが嘘を付いていたのを知っていましたが、どのような対処をすべきだったのでしょう。もちろん彼らを殺すわけにはいきません。彼は神への完全なる服従から、この出来事は彼自身の手には負えないことを悟りました。彼には神を信頼し、希望と忍耐をもって神に全てを委ねるほかに選択肢はなかったのです。
井戸の底でヨセフは祈りました。父と息子は夜が更けても神に向き合っていました。夜が明けてもなお、彼らの心には恐怖と希望が混在していました。ヤコブにとっては、神へ信頼しつつ、これから来たる長き忍耐の年月の幕開けとなる新しい1日が始まったのです。一方、井戸の中には太陽の光が差し込み始めました。もしヨセフがあたりを見渡せたのなら、井戸へとキャラバンが近づいて来ているのが分かったでしょう。数分後、キャラバンの男が冷たい水を期待し、井戸の底へと桶を下ろしました。