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本書で用いられている専門用語
・ []サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム:一般に、預言者ムハンマドの名が言及される時に用いられる、彼に対する祈願の言葉です。時に「彼に平安あれ」と訳されますが、これは正確なものではありません。より忠実に訳すとすれば、「アッラーが彼の誉れを称揚され、彼と彼の系譜をあらゆる中傷や汚名からお守り下さい」というところでしょう。
・ []ラディヤッラーフ・アンフ:「アッラーが彼をお悦びになられますよう。」一般に、預言者ムハンマドの教友への祈願の言葉として用いられます。
・ []アライヒッサラーム:「彼に平安あれ。」一般に、預言者や使徒などに対する祈願の言葉として用いられます。
・ []スブハーナフ・ワ・タアーラー:「いかなる不完全性からも無縁で崇高であり、至高であられるお方。」アッラーを讃える言葉の一つです。
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はじめに
アッラー()‐全ての讃美はかれにこそ属します‐はこう仰っています:
人間よ、寛大なるあなたの主においてあなたを欺かせたのは何なのか?。かれこそはあなたをお創りになり、あなた(の形)を整えられ、あなたを均整の取れた形にされたお方。かれはあなたを、かれのお望みの姿に構築された。(クルアーン82:6-8)
また預言者ムハンマド()‐アッラーがその誉れを称揚され、また彼をあらゆる中傷や汚名からお守り下さいますよう‐は、こう言っています:
「全人の祖先はアーダム(アダム)であり、アーダムは一塊の土塊から創られた。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーによる伝承)
そしてアッラーが、彼とその系譜と教友たちのことも、あらゆる中傷や汚名からお守り下さいますよう。
宇宙の創造の起源は、古くから人間が関心を抱いてきたテーマです。そしてそれは特に非ムスリム(非イスラーム教徒)にとって、重要なものであったと言えるでしょう。というのも、イスラームはこのテーマを含め、人間が必要とするあらゆる事象を詳細かつ明確に説明しているからです。ゆえにムスリムは宇宙で発生する現象に混乱することもなければ、それらに関しての理論や仮
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説‐そしてそれらは新しい理論の出現によって後に抹消されるかもしれません‐を提起することもありません。
私たちムスリムは、これらの事象に関してクルアーン(コーラン)、及び正統なスンナ(預言者ムハンマドの伝承)が言及する物事を真実であると固く信じています。そして全ての理論は、それらと一致するのです。私たちは、クルアーンとスンナに相違する理論はいかなるものであれ誤謬である、という立場に立っています。
現象界と幽玄界という全世界の創造主であるアッラーは、被造物のことなど必要とされてはいません。そうではなく、アッラーの被造物こそが、かれを必要としているのです。アッラー()はこう仰っています:
人々よ、あなた方こそはアッラーを必要としているのである。そしてアッラーこそは何ものをも必要としない十全なるお方であり、全ての讃美に値するお方なのである。かれがお望みになれば、あなた方を滅亡させ、新しい創造をもたらすこともお出来になる。そしてそのようなことはアッラーにとって、大変なことなどではないのだ。(クルアーン35:15-17)
そして信仰や善行によって益するのは、自分自身なのです。アッラー()はこう仰っています:
あなた方が不信仰に陥ろうと、アッラーはあなた方のことなどそもそも必要ともされていないのである。そしてかれは、(信仰者の)しもべたちに不信仰をお悦びにはなられない。そしてもしあなた方が感謝するならば、それをあなた方にお悦びになられる。(クルアーン39:7)
またアッラーは、聖なるハディース1の中でこう仰っています:
1 ハディースとは預言者ムハンマド()の言動やある物事の認可、性質などを伝える伝承のことです。尚「聖なるハディース」とは、預言者ムハンマドが彼自身ではなくアッラーから伝える伝承のことを指します。
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「わがしもべたちよ!われは自らに不正を禁じ、またそれをあなた方の間に関しても禁じたのだ。ゆえに互いに不正を働き合ってはならない。
わがしもべたちよ!われが正道へと導くことがなければ、あなた方は皆迷妄の中にあるのだ。ゆえにわれに正しい導きを求めよ、そうすればわれはあなた方を導くであろう。
わがしもべたちよ!われが糧を与えることがなければ、あなた方は皆飢餓の中にあるのだ。ゆえにわれに糧を求めよ、そうすればわれはあなた方に糧を与えるであろう。
わがしもべたちよ!われが衣服を着させることがなければ、あなた方は皆裸なのだ。ゆえにわれに衣服を求めよ、そうすればわれはあなた方に衣服を着せてやろう。
わがしもべたちよ!あなた方は昼に夜に過ちを犯すものであるが、われは全ての罪を赦すことが出来るのである。ゆえにわれに罪の赦しを乞うのだ、そうすればわれはあなた方の罪を赦すであろう。
わがしもべたちよ!あなた方はわれを害することも出来なければ、われを益することも出来ない。
わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者2、人間とジン3が皆あなた方の内で最もアッラーを畏れる者の心のようであっても、それがわが王権に少しの増大ももたらすことはない。
わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが皆あなた方の内で最も放埓な者の心の
2 訳者注:つまり全ての者。
3 訳者注:精霊的存在。
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ようであっても、それがわが王権に少しの欠損ももたらすことはない。
わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが一同一つの丘に立ってわれに何かをこいねがい、そしてわれが各人の願いを叶えてやったとしても、それはわが御許において大海に落ちた一本の針を拾い上げた時についてくるしずく程度の量すらも影響を受けることがない。
わがしもべたちよ!あなた方はあなた方の行いによって問われるのであり、それによって報われるのだ。ゆえによきものを見出したならアッラーを讃え、そうでないものを見出したのなら自らを咎めさせよ。」(ムスリムの伝承:2577)
イスラームはアッラーがお選びになられた宗教であり、生き方の指針です。アッラーはイスラームをこそお悦びになられ、そのしもべたちのためにそれを定められたのです。人間は公私に渡る物事や、個人的・社会的諸事を秩序立ったものとするためにも、イスラーム法を必要としています。イスラームはその主な原則や原理に多大な重要性を置いていますが、その一方で二次的な事象にも注意を怠ってはいません。またイスラームは、人生における物資的側面と精神的側面のバランスを整えます。アッラー()はこう仰っています:
この日われ(アッラーのこと)はあなた方のために、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。(クルアーン5:3)
人は人生においてイスラームを適用することで、快適さや満足感、精神的安らぎといった喜びを得ます。アッラー()はこう仰ります:
そしてわれら(アッラーのこと)があなた(預言者ムハンマド)を遣わしたのは、全世界への慈悲ゆえに他ならない。(クルアーン21:107)
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そしてイスラームを実践することにより、来世においてはアッラーのご満悦を得、天国に入ることを許されます。彼はそこで永遠の生命を生きるのです。アッラー()はこう仰っています:
(イスラームを)信仰し善行に励む者たちこそには、フィルダウス(天国の最高位)の楽園がその住まいとして与えられよう。(クルアーン18:107)
そしてアッラーはイスラームという宗教を、最後の時までお守りになられるのです。アッラー()はこう仰っています:
実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。(クルアーン15:9)
イスラームの敵はイスラームのイメージを歪曲したり、根拠のないでっち上げを画策したりすることに奔走しますが、アッラーはイスラームをお守りになられるのです。アッラー()はこう仰ります:
虚偽は、その前からも後ろからも近づくことが出来ない。それ(クルアーン)はこの上なく英知に溢れ、讃えられるべきお方の御許から下されたものなのである。(クルアーン41:42)
そして最後には、アッラーの法とその宗教、そしてかれの軍勢が勝利者となります。アッラー()はこう仰っています:
アッラーとその使徒(ムハンマド)に敵対する者たちは、彼ら以前の者たちと同様に辱めを受けるであろう。われら(アッラーのこと)は明白なみしるしを下したのだ。不信仰の民には屈辱的な懲罰があろう。(クルアーン58:5)
イスラームの敵はイスラームの興隆を阻止しようとしますが、それは必ず失敗することになっているのです。アッラー()はこう仰っています:
不信仰者たちは、(人々を)アッラーの道から妨害するために、その財産を施す。彼らに施させるがよい。やがてそれ
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は彼らの後悔となり、彼らは打ち負かされるのだ。不信仰者たちは、地獄へと召集されるのである。(クルアーン8:36)
アッラーの法は勝利し、そのご命令は永遠であり、かれの宗教は永劫に続きます。アッラー()はこう仰っています:
彼らは口先で、アッラーの御光(イスラーム)をもみ消そうとしている。しかしアッラーはたとえ不信仰者たちがそれを忌み嫌おうとも、その御光を完遂させられる。(クルアーン61:8)
またアッラーはイスラームに勝利をもたらし、それを全ての上に君臨させることを約束されています。アッラー()はこう仰ります:
かれ(アッラー)こそは、導きと真理の宗教をもって、それ(イスラーム)を全ての宗教の上に君臨させるべく、その使徒(ムハンマド)を遣わされたお方。誠にアッラーこそは万全なる証言者であられる。(クルアーン48:28)
また預言者ムハンマド()は、こう言っています:
「この宗教は、昼夜の変遷するあらゆる場所へと到達するであろう。アッラーは土で造られた家であろうが、ラクダの毛で造られた家(天幕)であろうが、どこへでもこの宗教をお届けになられるのだ。そしてそれは強力な者の威力によるものかもしれないし、あるいは惨めな者の屈辱によるものかもしれない。つまりアッラーがその者によって、イスラームという宗教に威光と栄光をお与えになられる者となるか、あるいはアッラーが不信仰に屈辱をお与えになられるゆえに惨めな者となるか、ということである。」(アフマドとイブン・ヒッバーン、アル=ハーキムによる伝承)
たとえムスリムがイスラームを正しい形で宣布しなかったとしても、イスラームという宗教は拡大し、多くの人々はそれを受容しています。その主たる理由は、イスラームが人間の自然な本性にそぐうものであり、その欲望を満たし、かつ心理的・社会的・経済的・政治的側面など、人間の全側面における安定性を保証す
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るからでしょう。またアッラーはそのしもべに内面的強さを与えてくれますが、このことも一つの理由に数えられるに違いありません。
一方でイスラームの敵は、この宗教に宣戦布告するべく、あらゆる手段を活用して奮闘しています。彼らは人々のイスラーム受容を阻止し、その道に立ちはだかろうとします。そしてイスラームがテロリズムを承認する、時代に逆行した教えと吹聴することで、人々を恐がらせるのです。
彼らがそうするのは、イスラームが彼らの目的達成を完全に阻むからに他なりません。イスラームは人々の搾取を阻止します。というのもイスラームはあらゆる形式の不正を禁じ、人間がアッラー以外の何かに隷従することを糾弾するからです。そのようなことは、特にその抑圧された人々が弱い立場にある場合、特に重大な罪と見なされます。イスラームはそれが個人であれ、集団であれ、社会であれ、他者を蔑むことを厳しく禁じているのです。アッラー()はこう仰っています:
人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を1組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実にアッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の内で最もタクワーの強い者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。(クルアーン49:13)
私は拙著を記すにあたり、聖クルアーンから頻繁に引用します。それはアッラーご自身が、人間が自力で創造の開端に関する真実を解き明かすことの不可能性に、言及されているからです。アッラー()は仰っています:
われら(アッラーのこと)は、天地の創造にも、あるいは彼ら自身の創造にも、彼らを立ち会わせたりしなかった。われらは迷妄へといざなう者たちを、自らの援助者などとすることもなかったのだ。(クルアーン18:51)
またもう一つの源泉として、私は正統なスンナ(預言者ムハンマドの伝承)を用いたいと思います。そしてクルアーン、及び
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預言者ムハンマドのスンナ において言及された事実を、近代科学・理論・発明などに関連付ける作業は回避します。というのも今日真理と見なされているそれらの理論は、明日には別の理論にとって代わられるかもしれないからです。近代科学の発展により、過去に真理と見なされていた多くの理論は、現在誤謬であったことが明らかになっています。しかしアッラーは、真実以外のことを語られることがありません。
彼らはあなたに、魂について尋ねる。言うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方(人類)は知識を、ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」(クルアーン17:85)
Abdurrahmaan b. Abdul-Kareem ash-Sheha
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アッラーへの信仰
アッラーとその存在、そしてその唯一性への信仰は、イスラーム法の基盤です。この基幹における信仰は、残りの信仰基幹を信じることの原因ともなっています。預言者ムハンマド()は天使ジブリール(ガブリエル)に「イーマーン(信仰)とは何か?」と尋ねられ、こう答えました:
「アッラーとその諸天使、その諸啓典、その諸使徒と、最後の日、そしてそれが善いことであれ悪いことであれ、運命を信じることです。」(ムスリムの伝承)
アッラーとは?
アッラー()は仰っています:
かれこそはそれ以前にも、それ以後にも何ものも存在しないお方であり、最も高くかつ最も近いお方である。そしてかれは全てをご存知なのだ。(クルアーン57:3)
また、アッラー()は仰います:
かれこそはアッラー、かれ以外に崇拝すべきものは存在しない。(かれこそは)真の王。この上なく神聖なるお方。最も平安なるお方。最も平安を与えられるお方。最もよく監視されるお方。最も偉大なるお方。全てを従えられ、最も高遠なるお方。かれは彼ら(不信仰者)がかれに並べて配しているものなどからは無縁な、この上なく崇高なるお方である。かれこそはアッラー。(かれこそは)創始者であり、造物主であり、造形主。かれにこそ美名は属する。天地にあるものは全てかれの崇高さを讃えるのだ。そしてかれはこの上なく偉大で、英知溢れたお方であられる。(クルアーン59:22-24)
また、アッラー()はこうも仰っています:
アッラーはかれの他に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえることは
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ない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのである。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。(クルアーン2:255)
イスラームにおいて、アッラーは知られ得る存在です。というのもこの宗教は、アッラーがいかなる存在かということを説明し、かれの美名を教え、そしてまた私たちがどのようにかれに祈願すべきか、いかにしてかれのお近づきという光栄を得ることが出来るか、ということを明らかにしているからです。アッラーの特性としては、以下のようなものがあります:
1)アッラーは存在する。全宇宙とそこに存在するものは全て、アッラーの存在を証明しています。アッラー()はこう仰いました:
言え、「天地にあるもの全てに目を凝らすのだ。」しかし信仰しない民には、いかなるみしるしも警告も役立つことがない。(クルアーン10:101)
2)アッラーは唯一であり、かれの主権に共同するいかなるものも存在しない。アッラーには妻や子などなく、全被造物はかれに全面的に依拠しています。かれにはパートナーもライバルもなく、また比肩し得るものもありません。またアッラーはいかなる被造物も必要とされることはありませんが、全ての被造物はアッラーを必要としています。かれは何かから生じたわけでも、また何かを生むわけでもありません。アッラー()は仰っています:
言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」(クルアーン112:1-4)
3)アッラーは全てをご存知であり、全てに通暁されている。アッラー()は仰ります:
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そしてわれら(アッラーのこと)があなた方の証人となることなしには、あなた(ムハンマド)が何かを意図し行うこともなければ、クルアーンを読むこともなく、またあなた方が何らかの行為を没頭して行うこともないのだ。そして小蟻ほどの重さのものであっても、あるいはそれより小さい、あるいは大きなものであっても、天地においてあなたの主から隠れられるものはないのである。(クルアーン10:61)
4)アッラーは永遠に生きられるお方であり、滅びることがない。アッラー()は仰っています:
かれは永生されるお方。かれ以外に崇拝すべきものは何もない。ゆえにかれに何ものも並べて配することなく、かれのみを真摯に崇拝するのだ。万有の主アッラーにこそ讃えあれ。(クルアーン40:65)
5)アッラーは完全に公正なるお方。アッラーは暴虐や抑制、不正などを行われることのないお方です。アッラー()はこう仰ります:
そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。(クルアーン21:47)
6)アッラーはいかなるものにも相似されないお方。アッラーはいかなるものにも相似することがありません。またいかなるものも、アッラーの御業や特性に関して比較されることもありません。アッラーは全側面において、完璧さを有しているのです。かれがその実現をお望みになることは実現しないことがなく、またかれがそうお望みになられないことは、決して起こり得ません。アッラー()はこう仰います:
アッラーは、かれ以外に崇拝すべきもののないお方。かれには最高の美名が属する。(クルアーン20:8)
またアッラー()は、こうも仰っています:
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天地の創造主。(かれは)あなた方自身からあなた方の配偶者をお創りになり、そして家畜にもつがいをお創りになられた。こうしてあなた方は繁殖する。かれ(アッラー)に似たものは何1つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。(クルアーン42:11)
アッラーには数多くの美名と特性があります。そしてそのいずれも、かれの完璧さと荘厳さを示しているのです。もしお望みであれば、それらについて詳細に説明してくれる書物を参照してみるとよいでしょう。
尚アッラーの美名の数は、無制限です。預言者ムハンマド()はこう言いました:
「辛苦や悲しみにある時に:
「アッラーフンマ・インニー・アブドゥカ、イブヌ・アブディカ、イブヌ・アマティカ、ナースィヤティー・ビヤディカ、マーディン・フィーヤ・フクムカ、アドゥルン・フィーヤ・カダーウカ、アスアルカ・ビクッリスミン・フワ・ラカ、サンマイタフ・ビヒ・ナフサカ、アウ・アンザルタフ・フィー・キタービカ、アウ・アッラムタフ・アハダン・ミン・ハルキカ、アウィスタアサルタ・フィー・イルミルガイビ・インダカ、アン・タジュアラルクルアーナ・ラビーア・クルービー、ワ・ヌーラ・サドゥリー、ワ・ジャラーア・フズニー、ワ・ザハーバ・ハンミー。(意味:「アッラーよ、私はあなたのしもべです。あなたの男のしもべの息子で、あなたの女のしもべの息子です。私の前髪はあなたの御手に委ねられています4。あなたの私に対する裁定は既に成され、私に関するあなたの判決は公正です。私はあなたが自らそう名付けられた、あるいはあなたの啓典の中で下された、あるいはあなたがあなたの創造物の内の何ものかに教えられた、あるいはあなたが不可視なる知識においてそれを占有されている全ての御名において、クルアーンを私の心の春とし、私の胸中の光とし、私の悲しみや不安を取り除くものとして下さい。」)」
4 被造物は全てアッラーの支配下にあるということを表しています。
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…と唱える者には、アッラーがその悲しみを喜びに代えて下さるであろう。」(アフマドとイブン・ヒッバーンの伝承)
しかしアッラーの美名と特性は、被造物の有するそれとは異なる次元のものです。たとえばアッラーは存在しますが、その存在は、被造物の存在とは異なるものなのです。またアッラーはお聞きになられますが、それは被造物の「聞く」という特性とは異なるものです。同様にアッラーはご覧になられますが、それは被造物の「見る」という特性とは違うものなのです。この一般原則は、アッラーに属する全ての美名と特性に適用されます。アッラー()ご自身、ご自分を描写されてこう仰いました:
しかし彼ら(人間)は、かれのことを全く知りかねるのだ。(クルアーン20:110)
人間は、アッラーの荘厳さを完全に把握することは出来ません。アッラー()はこう仰いました:
視覚がかれ(アッラー)を捉えることはなく、かれこそが視覚を捉えられるのである。かれこそは霊妙にして、全てをご存知になられるお方。(クルアーン6:103)
一方で人間は、あらゆる物事において真実を探求したいという天性と共に創造されました。ゆえにアッラーとその存在についての熟考が、信仰心の否定に繋がることはありません。それどころか、それは信仰心を示す一つの兆候であるとさえ言えるでしょう。
教友アブー・フライラ()はこう伝えています:
「何人かの教友が、預言者ムハンマドにこう尋ねたことがありました:“時々私たちは、口にするのもはばかれるようなことを考えてしまうのですが?”彼はこう言いました:“そんなことがあるのか?”彼らは頷きました。すると、預言者はこう言ったのです:“それこそが、真の信仰心の印5なのである。”」(ムスリムの伝承)
5 ここで言う「真の信仰心の印」とは、彼らが口にすることもはばかれることを考えはしたものの、信仰心ゆえにそれを口外することを思い留まった
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このような考えは、あらゆる手段を用いて人々をアッラーの宗教から迷わせようとする、シャイターン(悪魔)の囁きによるものです。シャイターンは、過去そのように誓いました。アッラーはクルアーンの中で、シャイターンが次のように言ったことに言及されています:
(イブリース:シャイターンは)言った:「いかがでしょうか?あなたはその者を私よりも尊ばれましたが、もし審判の日まで私に猶予を与えて下さるのであれば、私はごく僅かなる者を除いて、必ずやその全子孫を迷わせてしまいましょう。」(クルアーン17:62)
また教友イブン・アッバース()は、預言者ムハンマド()がこう言ったと伝えています:
「ある男が預言者ムハンマド()のもとにやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、私はそんなことを口外することよりも、空に投げ飛ばされてしまう方がましだ、というようなことを時に考えてしまいます。”すると彼()は答えました:“アッラーは偉大なり!アッラーは偉大なり!そのような考えが、シャイターンの姦計と悪い囁きであるということをあなたにお授けになられたアッラーに、讃えあれ!”」(アフマドの伝承)
シャイターンは人間が、人間の知性が理解不可能なことにまで問いかけるよう策略します。そのような状態になった場合、以下のような預言者ムハンマド()の言葉を参考にするとよいでしょう。
「人は問い続ける。そして最後には、“アッラーは被造物をお創りになられた。それではアッラーを創ったのは誰なのか?”などという質問をするまでに至るであろう。そのような所にま
状態のことを示しています。無論のこと、そのような考えが起こること自体は信仰心ゆえのことなどではなく、むしろシャイターン(悪魔)の囁きによるものと言えるでしょう。
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で到達してしまったら、こう言うのだ:“私はアッラーを信じる。”」(ムスリムの伝承)
またアッラーの使徒()は、別の形でこのような邪念を振り払う方法を教示しています。彼はこう言いました:
「シャイターンはあなた方のもとを訪れ、こう言うであろう:“これを創造したのは誰か?”そしてその質問は、最後には“創造主を創造したのは誰か?”という所にまで到達するであろう。このような状態になったら、アッラーにシャイターンからのご加護を乞い、質問を止めるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
またアッラーはクルアーンの中で、その真実性を確証されています。アッラー()はこう仰いました:
それでシャイターンからの囁きがあなたに囁きかけて来たら、アッラーにご加護を乞うのだ。かれこそは全聴にして全知なるお方である。(クルアーン7:200)
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アッラーの存在証明
この宇宙に存在する全ては、それらを創造した創造主(アッラー)の存在を示す疑いなき証拠です。優れた知性と自然の天性を備えた者は、このことを完全に理解するでしょう。
アッラーの存在を拒絶する人々は、彼らが感覚的に知覚することの出来る実際的な証拠を要求しているために、そうしているのです。しかし彼らは、矛盾しています。というのも彼らは、この宇宙において実体のない物事の印や効果を観察し、そしてそれらを信じているからです。たとえば人は引力を信じますが、それは不可視のものです。人は、物質が地面に引き付けられるという効果のみを知覚しているだけなのです。また磁力も同様で、人は金属同士が引き付け合うという効果を知るのみで、それを信じています。それどころか、人は自らの知性を見ることもなしに、自らに知性が備わっていることを信じているのです!彼らは自分の感覚に依拠してこれら全てのことを信じていますが、これらの感覚は時に誤った知覚情報をもたらす、というのは周知の事実です。たとえば水の中の棒は屈折して見えますし、少し離れて並んだ二本の平行線は次第に交わっていくように錯覚されます。また私たちは、北極にいようと南極にいようと、あるいは赤道直下にいようと、真っ直ぐに立っていると感じています。これらの例は、人が知性に頼らずに自らの感覚のみに依拠すれば、知覚的な誤謬に陥る可能性があることを示唆していると言えるでしょう。
知性なしには、知識を獲得することは出来ません。知識の獲得手段を、自らの感覚による認識のみに限定する人は、大きな誤りに陥っています。果たしてアッラーが知覚出来ないからと言って、アッラーへの信仰を拒否することは論理的でしょうか?しかもそのことを示す印や効果は、人の周囲のあらゆる場所にひしめいているのに、です。アッラーの存在を実質的な証拠によってのみ探求することは、多くの人を、アッラーの印を熟考することによるアッラーへの信仰から遠ざけています。
アッラー()は仰りました:
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そしてフィルアウン(ファラオ)は言った:「ハーマーン6よ、私のために楼閣を建てよ。私が門に到達出来るように。(私が言っているのは、)天国の門である。そしてムーサーの神を見るのだ。彼は嘘つきに他ならない。」こうしてフィルアウンには彼の悪行が素晴らしく映って見え、(正しい)道から阻まれてしまった。フィルアウンの策略は、破滅以外の何ものももたらさない。 (クルアーン40:36-37)
この呼びかけは、ある時代のみに限定されたものではありません。むしろこの言葉の本質は、無知ゆえに真実を信じることを拒否する者全てに向けられているのです。アッラー()はこう仰っています:
知識のない者たちは、こう言った:「アッラーを私たちに話しかけさせよ。あるいは、あなたがみしるしを携えて来い。」彼ら以前の者たちも、彼らと同様のことを言っていたのである。彼らの心は似通っている。われら(アッラー)は確信をもって信仰する民に対し、既にみしるしを明らかにしている。(クルアーン2:118)
あるいは、驕慢さゆえに真実を拒否する者にも同様のことが言えます。アッラー()はこう仰ります:
われら(アッラーのこと)との謁見を望まない(つまり復活の日と、来世を否定する)者たちは、言った:「私たちに天使が下されないのはどういうわけか?また私たちが、私たちの主を見ることが出来ないのは?」彼らは実に不遜であり、暴虐の限りを尽くしていた。その日彼らは、天使たちを目の当たりにする。その日罪悪人たちによき知らせはない。そして(天使たちは)彼らに言う:「あなた方は(天国を)禁じられている。」(クルアーン25:21-22)
またちょうど当時のユダヤ教徒がそうであったように、真実の拒否はある種の不正でもあります。アッラー()は仰りました:
6宰相。「ハーマーン」はファルアウンの王国の
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そしてあなた方がこう言った時のこと:「ムーサーよ、私たちはアッラーをこの目で見るまでは、あなたのことを信じたりはしないぞ。」こうしてあなた方が見ている前で、あなた方に稲妻が落ちた。(クルアーン2:55)
アッラーの存在を示す証拠
純粋無垢な人間の天性の結果。純真な天性と明晰な理解力を備えた者ならば、この世に存在するもの全ては存在させられ、そしてこの世で起こること全てには特定の原因があることを明確に知っています。たとえば部屋に入ってそこにテーブルがあったならば、人の意識というものは、テーブルが自分でそこに入ったのではなく、むしろ誰かがそれをそこに持って来たのだ、という風に結論付けます。砂漠に住むベドウィンは、このことを純粋無垢な天性によって理解していました。そしてもし「どうして主を知るに至ったのか?」と尋ねられれば、こう答えたのです:「ラクダの糞は、ラクダの存在を示す。ロバの糞も、ロバの存在を示す。また足跡は、誰かがその道を辿ったことを示している。闇夜と白昼、沢山の星々を抱えた大空と深い谷を擁する大地、そして大波のうねる大海、これら全ては、あらゆることをご存知であられるアッラーの存在を示しているのだ。」
クルアーンの章句。クルアーンはその多くの章句において、人がその周囲を覆う宇宙について熟慮したり、あるいは自分自身の内側に存在する異なる創造物を熟考したりすることへと、いざなっています。そしてこれらは全て、それらの物事を管理している創造主の証明なのです。アッラー()はこう仰りました:
言え、「天地にあるもの全てに目を凝らすのだ。」しかし信仰しない民には、いかなるみしるしも警告も役立つことがない。(クルアーン10:101)
以下に示すのは、創造主の存在を示すほんの一例です:
*宇宙の創造の完璧さ。そして特定の軌道を迅速に行き交う惑星と、その他の天体の美しさ。これらがほんの少しでもその軌道から外れてしまえば、アッラーのみがご存知になられる大惨事を原
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因付けることとなってしまうでしょう。それらはその創造の原初から、正確なシステムに基づいて運動し続けているのです。アッラー()はこう仰りました:
(アッラーは)いかなる支柱もなしに、諸天をお創りになられた。それを見てみよ。また地上には高く聳える山々を設えられ、あなた方が揺れ動かないようにした。またそこにありとあらゆる生き物を散りばめられ、天からは(雨)水を下された。こうしてわれら(アッラーのこと)はそこにあらゆる種類の素晴らしいものを、それぞれ雌雄で生育させたのである。(クルアーン31:10)
また、アッラー()はこうも仰っています:
それで夜と朝を迎える折に、アッラー(の崇高さ)を讃えよ。天地のいずこにおいても、全ての賛美はかれのためにある。また午後の遅くと、初めにも(アッラーを讃えよ)。かれは死から生をもたらし、生から死をもたらされるお方。かれは大地が一旦(乾き果てて)死んだ後に、生き返らせられる。そしてあなた方も同様に、(死んだ後に墓場から呼び)出されるのである。(アッラーが)あなた方を土塊からお創りになり、それからあなた方が人類として散開したのは、かれのみしるしの一つである。またかれがあなた方のために、あなた方が安らぎを得るための配偶者をあなた方自身から創られたこともまた、かれのみしるしの一つである。そしてかれはあなた方の間に、愛情と慈悲の念を授けられた。実にそこには熟考する民への数々のみしるしがあるのだ。また天地の創造と、あなた方の言葉と肌の色の違いもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには知識ある者たちへの数々のみしるしがある。またあなた方の昼夜の睡眠と、(そこにおいて)あなた方がかれの恩恵を求めることが出来ることもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには傾聴する民への数々のみしるしがある。またかれが恐怖と希望の稲光をあなた方に御見せになり、そして天から水を降らせて、一旦死んだ土地を生き返らせるのもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには英明なる民への数々のみしるしがある。またかれのご命令によって天地が(支えもないのに安定
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して)成立していることも、かれのみしるしの一つである。それからかれが大地(の中)からあなた方を一呼びされると、あなた方は(そこから)出てくるのだ。天地にある全てのものはかれにこそ属し、全てのものはかれに服従する。かれこそは創造を始められたお方であり、やがてそれを繰り返されるが、それは(最初の創造よりも)かれにとって容易いことなのである。天地における完璧なる属性はかれにのみ属し、そしてかれはこの上なく威光高く、英知溢れたお方なのだ。(クルアーン30:17-27)
またアッラー()は、こうも仰ります:
…そして太陽と月と星々は、かれ(アッラー)のご命令に服従する。かれにこそ創造と全ての権限は属するのだ。万象の主アッラーの崇高さよ。(クルアーン7:54)
人間の創造の驚異。そしてその姿形の美しさと、アッラーがお授けになられた能力の数々。アッラー()はこう仰っています:
そして地上には、確信をもって信仰する者たちへのみしるしがある。(そしてそれは)また、あなた方自身の内にもある。一体あなた方には見えないのか? (クルアーン51:20-21)
動物。人間は飲食や衣服、移動手段など、様々な形においてそれらを利用します。アッラー()は仰りました:
そして家畜の中にこそ、あなた方にとっての訓戒はある。われら(アッラーのこと)は、その腹部の胃と血液の間からあなた方に乳を飲ませる。それは飲む者にとって爽快なる、清らかな乳である。またあなた方はナツメヤシと葡萄の果実から、酩酊を催させる飲み物や、よい糧を得る。実にそこには、英明なる民へのみしるしがある。またあなたの主は、蜜蜂にこう示した:「山々や木々、そして(人々が)あずまやとする所に巣を設えよ。そしてあらゆる果実を口にし、あなたの主の道を(服従に)身を低めて行くのだ。」その腹からは、人々にとっての癒しとなる、異なる色の飲み物が産出す
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る。実にそこには熟慮する民へのみしるしがあるのだ。(クルアーン16:66-69)
草木や作物。それらは多様な形や色を有しており、人は飲食や住居、医療など多様な形においてそれらを利用します。アッラー()は仰りました:
そしてかれこそは、大地を広げ、そこに聳える山々と河川を設えられたお方。また(かれは)各種の果実に雌雄を定められた。(かれは)夜でもって昼に覆いをお掛けになる。実にそこには熟慮する民への数々のみしるしがある。また大地には、隣接し合う(が、異なった作物や果実を擁する)土地がある。葡萄園、農作物、そして一本の根から出た複数のナツメヤシと、そうではないもの。(それらは)同一の水で生育しても、われら(アッラーのこと)がその果実のあるものを、別のものよりもよいものとする。実にそこには英明なる民への数々のみしるしがあるのだ。(クルアーン13:3-4)
地上を行き交う多様な被造物。それらは多様な姿形と構造、独特の性質を有しています。アッラー()はこう仰りました:
またアッラーは、全ての生き物を水からお創りになられた。その内のあるものは腹這いに歩き、またあるものは二本足でもって歩き、またあるものは四本足でもって歩く。アッラーは、かれのお望みになるものをお創りになられる。実にアッラーこそは、全能者であられる。(クルアーン24:45)
体内組織とその調和の驚異。これは全被造物の構造に観察されるもので、この結合と複雑なバランスは被造物の生命維持を保障しています。アッラー()はこう仰っています:
(アッラーは)いかなる支柱もなしに、諸天をお創りになられた。それを見てみよ。また地上には高く聳える山々を設えられ、あなた方が揺れ動かないようにした。またそこにありとあらゆる生き物を散りばめられ、天からは(雨)水を下された。こうしてわれら(アッラーのこと)はそこにあらゆる種類の素晴らしいものを、それぞれ雌雄で生育させたので
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ある。これこそアッラーの創造。かれ以外のものが創造したもの(があるというのなら、それ)を見せてみよ。実に不正者たちは明らかなる迷妄の中にいるのだ。(クルアーン31:10-11)
* 生命を維持するための物質が分配されることにおける驚異。そして、それはあらゆる被造物に配分されるのです。アッラー()は仰りました:
地上の全ての生物で、アッラーにその糧を依存していないものは何一つとして存在しない。かれはそれらの居場所も行き先もご存知である。全ては明白な書7の内に(記録されて)あるのだ。(クルアーン11:6)
また、アッラー()はこうも仰っています:
いかに多くの生物が、自らの糧さえ手中にしてはいないことか。アッラーこそがそれらと、あなた方に糧を授けて下さるのである。かれこそは全聴かつ全知のお方である。(クルアーン29:60)
アッラー()は、この宇宙に存在する全ての被造物は対に創られたということを、示されています。たとえば天と地、昼と夜、生と死、喜びと悲しみ、太陽と月、動と静、暖かさと寒さ、善と悪、不信仰と信仰、などがそうです。動物界と植物界もその例に漏れず、その内のあるものはよく知られていますが、あるものはまだよく知られてはいません。アッラー()はこう仰っています:
またわれら(アッラーのこと)は、全てのものを雌雄の対に創った。あなた方が(そのことにより)教訓を受ければよいのだが。(クルアーン51:49)
これらの被造物の熟考は、アッラーへの信仰心を深め、増加させることにもつながります。そしてこれこそが、理知に恵まれた知的な人々の特徴の一つなのです。アッラー()はこう仰ります:
7 創造から復活の日までに起こる全ての出来事が記されている、守られた碑版のことです。
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あなた方はアッラーが天から雨を降らせ、それでもって色とりどりの果実を実らせられるのを見ないのか?また山々には白や赤、漆黒など異なった色の縞模様がある。また人々や動物や家畜もまた、それぞれ色が異なっている。実にそのしもべの中でも、知識ある者たちこそがアッラーを畏れるのだ。アッラーこそはこの上なく偉大でお赦し深いお方。(クルアーン35:27-28)
またアッラーは、この宇宙のある生物に関して言及されていますが、またあるものには言及されてはいません。アッラー()はこう仰っています:
大地から生えるものも、彼ら自身も、そして彼らの知らないものも、全て(の果実)を雌雄の対にお創りになられた、(いかなる欠陥からも無縁である)崇高なお方よ。(クルアーン36:36)
この宇宙を発生させ、そして保護する、ある特定の力が存在するのは、疑念の余地のない事実です。そしてこの力は、以下に示すいずれかの場合でしかないのです。
1) 宇宙が勝手に存在したということ。これは不条理かつ明白な間違いです。というのも存在する全てのものは、何らかの原因によってしか存在させられないからです。
2) それが宇宙の内部にある何かであれ、あるいはそれ以外のもの(たとえば進化論など)であれ、宇宙が何かによって存在したということ。これは非論理的な仮説であり、正しい理性によって反論されます。というのも、物質はそれ自身と同じような物を創造することは出来ないからです。
3) 宇宙が、そこから隔離した外的な力によって創造されたということ。つまり、創造主アッラーがこの宇宙を創造したということ。これこそムスリムが信じているものであり、無神論者が疑念の渦に巻き込まれているものなのです。アッラー()は仰っています:
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無から生じたのか。あるいは彼ら自身が創造者だというのか?それとも(彼らが)天地を創ったとでもいうのか?いや、彼らの信仰は曖昧なのである。(クルアーン52:35-36)
それが人間の生得的天性によるものであること。人間は、自分が住んでいる宇宙と同様に、彼ら自身のことも創造した創造主の存在を知り、かつ感じているのです。これは科学者が「宗教的本能」と名付けているものです。アッラー()はこう仰っています:
ゆえにあなたの顔を純正な宗教へと向けるのだ。(それは)人々がそれを元に創造されたところのアッラーの天性8。アッラーの創造に改変はない9。これこそは正しい宗教である。しかし多くの人々は、知らないのだ。(クルアーン30:30-31)
また預言者ムハンマドは、こう言っています:
「全ての子供は生得的天性のもとに生まれる。しかしその両親が彼(女)をユダヤ教徒やキリスト教徒にしてしまうのである。それはちょうどあなた方の目にする家畜のようなものだ。あなた方は、家畜が手足を切断されて生まれてきたりするのを見るか?」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、夭折してしまった者はどうなりますか?」彼は言いました:「アッラーこそは、その者たちがすることになっていたことをご存知なのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
人間というものはたとえその生得的天性が歪められてしまった後でも、その諸事に作用してくるある種の力や、自分が必要な時に縋り付ける存在を尊ぶ傾向にあります。これは古代社会にも観
8 「アッラーの天性」とは、何らかの外的要素によってそれが損なわれる前の、人間に先天的に備わっている創造主の崇拝願望という性質です。ゆえにイスラーム的一神論は、人間に生まれつきの性質に沿ったものであるという意味で、「天性の宗教」と呼称されます。
9 つまりイスラームという宗教の枠組み内で、人々にその天性に忠実であらせよ、という意味。
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察されたことであり、彼らは偶像を造って崇めていたのです。また崇拝の対象は太陽や月、星であったりもしました。これは人類が共有する本能なのですが、ある者は驕慢さや頑迷さからそれを拒絶し、またある者はそれを信仰します。そしてこの先天的性質は、緊迫的な状況に置かれた時に顕著なものとなるのです。たとえば重い病気を患った時、あるいは悪に制圧された時、人は自然にこう呼びかけます:「アッラーよ!」あるいはその問題を解決してくれる全能の存在を認識しつつ、天を仰ぐでしょう。アッラー()はこう仰っています:
(信仰しない)人は災難に襲われれば、横になっても、座っていても、あるいは立っていても、われら(アッラーのこと)に祈りすがる。しかしわれらがその災難を去らせると、あたかも(以前)彼に降りかかった災難ゆえにわれらに祈りすがらなかったかのように、背き去る。(クルアーン10:12)
クルアーンの挑戦。クルアーンは、魂を有する全存在に対し、個別であれ集団であれ、以下のような挑戦を宣言しています。アッラー()は仰りました:
人々よ、一つの譬えが出されたゆえ、それを聴くのだ。あなた方がアッラーを差し置いて祈りを捧げているものは、たとえ一丸になったとしても、一匹の蝿すらも創り出すことが出来ない。そして蝿がそれらから何かを奪ったとしても、それを取り返すことも出来ない。(そのようなものに向かって祈りの成就を)祈る者も、(彼らから偶像として)祈られているものも、共に無力なのである。(クルアーン22:73)
魂に関する諸事は、全てアッラーの御許に属しています。アッラー以外のいかなる者も、その秘密を知ることは出来ません。アッラー()はこう仰っています:
彼らはあなたに、魂について尋ねる。言うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方は知識を、ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」(クルアーン17:85)
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