5 つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱
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⑥5 つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱)
● 義務のサラーを終えてタスリーム1したら、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あ
れ)から正しく伝えられているサラー後のズィクル(念唱)を各自声に出して唱えるの
がスンナです。それには以下に挙げるようなものがあります:
● 「私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラー
にお赦しを乞います。」(ムスリムの伝承2)
● 「アッラーよ、あなたこそが平安の主で、平安はあなたからのものです。崇高さと栄誉
の主に称えあれ。”」(ムスリムの伝承3)
● 「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そ
してかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーよ、あ
なたがお与えになるものを禁じる者はなく、あなたが禁じられるものを与えられる者は
おりません。(現世における)どんな優れた境遇も、あなたの御許での真の幸福を益す
ることはありません。4」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承5)
● 「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そ
してかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーの他に
諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もありません。唯一のアッラーの他に真に
崇拝すべきものはなく、私たちはかれの他にいかなるものも崇拝したりしません。恩恵
と潤沢はかれにこそ属し、そしてかれにこそよき誉れがあります。アッラー以外に真に
崇拝すべきものはありません。例え不信者たちが忌み嫌おうとも、私たちはアッラーに
誠意を尽して仕えます。」(ムスリムの伝承6)
● それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わる、以下のようなズィ
クル(念唱)を行います:
1-「サラーを終えるたびにアッラーを33 回タスビーフ7し、また33 回タハミード8し、
また33回タクビール9して(計)99回(のズィクルを)行い、更に“いかなる共同者もな
1 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。
2 サヒーフ・ムスリム(591)。
3 サヒーフ・ムスリム(592)。
4 訳者注:現世における権力、財産、子孫などの幸運は、それ自体ではアッラーの御許での真の幸運、つ
まり天国という報奨を獲得することには直接つながらない、ということを意味すると言われます。至高の
アッラーはこう仰られています:《財産と子孫は現世の生活の飾り物であるが、永遠に残る善行こそはあな
たの主の御許で最も優れた報奨であり、希望である》(クルアーン18:46)
5 サヒーフ・アル=ブハーリー(844)、サヒーフ・ムスリム(593)。
6 サヒーフ・ムスリム(594)。
7 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」
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い、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全
ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です”と唱えて100を完遂する者は、例え海の泡
ほどの罪があったとしてもそれを赦されるであろう。」(ムスリムの伝承10)
2-「タスビーフを25回、タハミードを25回、タクビールを25回、タハリール11を25
回」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承12)
3- 「全ての義務のサラー後に33回のタスビーフ、33回のタハミード、34回のタクビー
ルを(唱えてアッラーの念唱を)後続させれば、成功しそびれることはないだろう。」(ム
スリムの伝承13)
4-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ムスリムが5度の(義
務の)サラーの後に数え(て唱え)れば、天国に入ることの出来る2つの特別なもの。そ
れは易しいものであるにも関わらず、行う者は数少ない。」(預言者は)言いました:「5 度
の(義務の)サラーを終えて10回タスビーフし、また10回タハミードし、更に10回タク
ビールすれば、それは舌には150、そして報奨の秤においては1500に値するのだ。」(アッ
=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承14)
5-アル=ムアウウィザターン15(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承16)
6-アーヤト・アル=クルスィー(クルアーン2:255)。預言者(彼にアッラーからの祝
福と平安あれ)は言いました:「サラーの後にアーヤト・アル=クルスィーを読む者は、死
んだ後天国に入ることを阻まれないであろう。」(アン=ナサーイーとアッ=タバラーニー
の伝承17)
アーヤト・アル=クルスィーとは、次のアーヤ(句)のことです:-アッラーはかれの他
に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえ
ることはない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がか
れの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご
という言葉。
8 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉。
9 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するため
の言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉。
10 サヒーフ・ムスリム(597)。
11 訳者注:「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉。
12 良好かつ真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3413)、スナン・アン=ナサーイー(1351)。
アッ=ティルミズィーはこの伝承を真正なものと判定しています。
13 サヒーフ・ムスリム(596)。
14 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3410)、スナン・アン=ナサーイー(1348)。文章はア
ン=ナサーイーのもの。
15 訳者注:クルアーンの最後の2章のこと。
16 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1523)、スナン・アッ=ティルミズィー(2903)。
17 真正な伝承。スナン・アン=ナサーイー(9928)、アッ=タバラーニーのアル=カビール(8/114)。
アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(972)参照。
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存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得する
ところはないのだ。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲
れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。,(クルアーン2:255)
● タスビーフは両手の指で数えるのがスンナです。
1-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、
アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がタスビーフを数えるのを見まし
た。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承18)
2-ヤスィーラ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼に
アッラーからの平安と祝福あれ)は私たちに言いました:“女性たちよ、タスビーフとタフ
リールとタクディース19をするのだ。そして指で数えなさい。その指は(審判の日、)言葉
を放つ(その善行の)証人となるのだから。そしてアッラーのご慈悲を忘れてしまわない
よう、(ズィクルを)おろそかにしてはならない。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティル
ミズィーの伝承20)
● ファジュルとアスルのサラーの後、座ってズィクル(念唱)することの徳:
1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラ
ーからの平安と祝福あれ)は言いました:“早朝のサラーの後で、太陽が昇るまで至高のア
ッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとってイスマーイールの子孫の奴
隷を4人解放することより愛すべきことである。またアスルのサラーの後で、太陽が沈む
まで至高のアッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとって奴隷を4人解
放することより愛すべきことである。”」(アブー・ダーウードの伝承21)
2-ジャービル・ブン・サムラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にア
ッラーからの祝福と平安あれ)はファジュルのサラーの後、太陽が完全に昇るまではサラ
ーしたその場に座っていたものでした。(ムスリムの伝承22)
● ズィクル(念唱)とドゥアー(祈願)をする場所:
18 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3411)、スナン・アン=ナサーイー(1355)。
19 訳者注:タクディースとは「スブハーナ・アル=マリキ・アル=クッドゥース(真の王、聖なるお方
の崇高さよ)」、「スッブーフン・クッドゥースッ・ラッブ・アル=マラーイカティ・ワッ=ルーフ(讃美す
べき崇高なお方、聖なるお方、天使たちとジブリールの主)」といったズィクルを指します。
20 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1501)、スナン・アッ=ティルミズィー(3583)。文章は
アッ=ティルミズィーのもの。
21 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(3667)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2916)
参照。
22 サヒーフ・ムスリム(670)。
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1-任意のサラーの後のドゥアーに法的根拠はありません。ドゥアーしたい者は任意のサ
ラーであれ義務のサラーであれ、タスリーム23の前に行った方が良いでしょう。しかし何ら
かの理由で時々サラーの後にドゥアーするのなら、問題はありません。
2-「サラーの後」という限定付きで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から
伝えられているドゥアー(祈願)は、タスリームの前に行うという意味です。一方ズィク
ル(念唱)は、タスリームの後に行います。
23 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。