記事

アザーンとイカーマ


[ 日本語 ]


الأذانوالإقامة


[اللغةاليابانية ]


ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー


محمدبنإبراهيم التويجري


翻訳者: サイード佐藤


ترجمة: سعيد ساتو


校閲者: ファーティマ佐藤


مراجعة: فاطمة ساتو


海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)


المكتبالتعاونيللدعوةوتوعية الجالياتبالربوة بمدينة الرياض


1428 – 2007


1


②アザーンとイカーマ


● アザーンとは:決められた形式の句でもってサラー(礼拝)の規定時間の到来を知らせ


ることにより、アッラーを崇拝することです。


● アザーンはヒジュラ暦元年に定められました。


● アザーンが定められたことに秘められた英知:


1-アザーンはサラーの規定時間とその場所を告知し、サラー及び多くの善に溢れた集ま


りの場へといざなう呼びかけでもあります。


2-またアザーンは、最も大きな恩恵の1 つであるサラーの遂行に関しておろそかな者た


ちや、またそれを忘れやすい者たちへの注意の喚起でもあります。サラーはしもべをその


主へと近付けてくれる成功の源なのであり、アザーンはムスリムがその恩恵を逃してしま


わないがための呼びかけなのです。


● イカーマとは:決められた形式の句でもってサラーの開始を知らせることにより、アッ


ラーを崇拝することです。


● アザーンとイカーマの法的位置づけ:居住者、旅行者の別なく、男性に課された連帯義


務1です。またアザーンとイカーマは1日5 回の義務のサラーと、金曜日の集団礼拝の


みに行われます。


● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)には4 人のムアッズィン(アザーンを行


う者)がいました:


彼らはマディーナの預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)モスクのビラール・


ブン・ラバーフとアムル・ブン・ウンム・マクトゥーム、同じくマディーナのクバー・モ


スクのサアド・アル=カルド、そしてマッカのハラーム・モスクのアブー・マフズーラで


す。


アブー・マフズーラはアザーンをタルジーゥ2の形で行い、イカーマは各文句を2回ずつ


唱えていました。一方ビラールはアザーンをタルジーゥではない形で行い、イカーマはと


いえば各文句を1 回ずつ唱えていました。


● アザーンの徳:


1 訳者注:集団内の誰かがそれを行いさえすれば、集団内の他の者の義務が免除されるような類の義務の


こと。これに対し、サラーやサウムのような個人義務は個々に課されてきます。


2 訳者注:後述の「スンナにおける確証されたアザーンの形式」の項内の2番を参照のこと。


2


アザーンをする者は、声を大きく上げるのがスンナ3です。というのもジンであれ人間で


あれ、またその他の何物であれ、アザーンする者の声を聞いた全ての存在は審判の日に、


彼のためにそのことを証言するからです。またアザーンする者はその声の大きさだけ罪を


赦され、それを聞いた全ての存在は彼の唱えるアザーンの言葉を確証します。また彼には、


彼と共にサラー(礼拝)した者の報奨と同様のものが与えられるでしょう。


1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼


にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アザーンと(礼拝において)最前列(に


立つことに潜む偉大な報奨と徳)を人が知り、そして(それゆえにその役割や場所が満杯


になってしまい)くじ引きするしかなくなったとしたら、彼らはそうしたであろう。」(ア


ル=ブハーリーとムスリムの伝承4)”


2-ムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーから


の平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:「アザーンする者たちは審判の日、最も首


の長い者たちである5。」(ムスリムの伝承6)


● スンナにおける確証されたアザーンの形式:


1-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)時代にアザーンをしていた、ビラール


(彼にアッラーのご満悦あれ)のアザーンの形式:15 の文からなります:


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝


すべきものがないことを証言します)


アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝


すべきものがないことを証言します)


アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラー


の使徒であることを証言します)


アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラー


の使徒であることを証言します)


3 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可


能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。


4 サヒーフ・アル=ブハーリー(615)、サヒーフ・ムスリム(437)。文章はアル=ブハーリーのもの。


5 訳者注:その意味に関しては、審判の日にアッラーのご慈悲を最も待ちわびる者たちとなるとか、また


偉大な報奨を得るとか、あるいは汗で体が埋もれる時に首が長くなって助かるとか、あるいはその日人々


の首領になるとかいった解釈があります。


6 サヒーフ・ムスリム(387)。


3


ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)


ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)


ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)


ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)


(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承7)


2-アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)のアザーンの形式:19 の文から成


立しています。最初のタクビール8は4 回唱えますが、重複する部分があります(この形式


をタルジーゥと言います)。


アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼


にアッラーからの祝福と平安あれ)は私に、自らアザーンを教示してこう言いました:“こ


のように言うのだ:「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバ


ル、アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル。アシュハド・アッラー・イラーハ・


イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)、アシ


ュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー。アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスー


ルッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)、アシュハド・ア


ンナ・ムハンマダッラスールッラー。」それから、戻って声を伸ばして(こう言うのだ):「ア


シュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきも


のがないことを証言します)、アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー。アシュハ


ド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であるこ


とを証言します)、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー。ハイヤー・アラッ


=サラー(サラーに来たれ)、ハイヤー・アラッ=サラー。ハイヤー・アラー・アル=ファ


ラーハ(成功へと来たれ)、ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ。アッラーフ・アクバル


(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバル。ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラ


ーの他に真に崇拝すべきものはなし)。」”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの


伝承9)


3-上記のアブー・マフズーラと同じ形式で、冒頭のタクビールが4回ではなく2 回だけ


の形式:つまり文の数は17 になります。(ムスリムの伝承10)


7 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(499)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(469)、ス


ナン・イブン・マージャ(706)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(580)。


8 訳者注:「アッラーフ・アクバル」という言葉のこと。


9 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(503)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(475)、ス


ナン・アッ=ティルミズィー(192)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(162)。文章はアブー・


ダーウードのもの。


10 サヒーフ・ムスリム(379)。


4


4-最後の文以外の各文が、2 回のみに限られる形式:つまり文の数は13 になります。


イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼に


アッラーからの平安と祝福あれ)の時代のアザーンは、各々(の文章)を2 回ずつ繰り返


す(形の)もので、イカーマは(各文章を)1 回ずつ(唱える形のもの)でした。但し(イ


カーマにおいては)“カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)、カドゥ・


カーマティッサラー”という言葉を(挿入して)唱えました。」(アブー・ダーウードとア


ン=ナサーイーの伝承11)


● そしてスンナは、これらの形式を全て適用することです。つまりある時はこの形式、ま


たある時は別の形式、ある所ではこの形式、またある所ではこの形式、という風に時折


変化をつけることです。それはスンナを保護し、その合法的かつ様々な多様性を持った


側面を実践していくためなのです。但しそうすることで人々の間に大きな問題をもたら


す原因となりそうな場合は、それを避けた方がよいでしょう。


● ファジュル(夜明け前のサラー)のアザーンの際には、「ハイヤー・アラー・アル=フ


ァラーハ(成功へと来たれ)」の言葉の後に、「アッ=サラートゥ・ハイルン・ミナン=


ナウム(サラーは眠りに勝れり)、アッ=サラートゥ・ハイルン・ミナン=ナウム」と


付け足します。これは既出の4つのアザーンの形式全てに適用されます。


● 正しいアザーンの諸条件:以下のようなものがあります:


アザーンの言葉が順序正しく、かつ連続しており、各文章の間に長い間隔が空いていな


いこと。義務のサラーの規定時間帯に入っていること。アザーンする者が信頼性に優れ、


理性があり、宗教的に真面目で、分別のある成人男性ムスリムであること。アザーン及び


イカーマがスンナに則った形式でもって、アラビア語で行われること。


● アザーンを大きな声でゆっくりと唱え、「ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)」


の所で顔を右に、そして「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」


の所で左に向けることはスンナです。あるいは以上の各文の1度目で右に、2 度目で左


に顔を向けるようにします。


● また以下のこともスンナです:アザーンをする者の声が美しいこと。時間を熟知してい


ること。キブラ12の方向を向いて行うこと。身体が清浄な状態で行うこと。起立して行


うこと。アザーンする時に、両耳に指をあてること。高い場所で行うこと。


11 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(510)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(482)、ス


ナン・アン=ナサーイー(628)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(610)。文章はアン=ナサーイー


のもの。


12 訳者注:カアバ神殿のあるマッカの方角のこと。


5


● 5 つの義務のサラー時間前にアザーンを行うことは許されません。但しファジュル(夜


明け前)の時は、深夜の任意のサラーを行っていた者たちが準備し、あるいは睡眠中の


者が目を覚まし、またあるいはタハッジュド13をしていた者たちがウィトル14を終える


ことが出来るよう、サウム(斎戒)する者たちがスフール(夜明け前に摂る食事)を摂


れるだけの間隔をもって規定時間前にアザーンを行うことがスンナとなります。そして


その場合、ファジュル時間に入ってから再度、サラーそのもののためのアザーンを行う


ことになるのです。


● アザーンを聞いた者が唱えること:


アザーンを耳にした男女は、次のように唱えるのがスンナです:


1-アザーンをする者が得る報奨と同様のものを獲得すべく、彼の言葉に次いで同じ文句


を繰り返して唱えます。但し「ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)」と「ハイヤ


ー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」の時には同じ文章を唱えるのではなく、


「ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー(アッラーの他に諸事を司り


事象を変転させる、いかなる威力もなし)」と唱えます。


2-アザーン後、アザーンを唱えた者と聞いた者が、声に出すことなく預言者(彼にアッ


ラーからの祝福と平安あれ)への祝福を祈ること。


3-またアザーンの後、ジャービル・ブン・アブドッラー(彼らにアッラーのご満悦あれ)


が伝える次のアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉を唱えるのも


スンナです:「アザーンを聞いた際に、“アッラーよ、この完全なる呼びかけと常なるサラ


ーの主よ。ムハンマドに天国での位階と栄誉を与え、彼をあなたが約束されたところの賞


賛に溢れた場所へと復活させて下さい”と言った者には、審判の日私のとりなしがあるで


あろう。」(アル=ブハーリーの伝承15)


4-サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラ


ーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アザーンをする者(の声)


を聞いて、“私は、並ぶ者無き唯一のアッラー以外に真に崇拝すべきものは無く、ムハンマ


ドは彼のしもべであり使徒であると証言します。私はアッラーが私たちの主であり、イス


ラームが私たちの宗教であり、そしてムハンマドが私たちの使徒であることに満足しまし


た”と言う者は、その罪を赦されよう。」(ムスリムの伝承16)


13 訳者注:深夜に任意で行う礼拝。普通は一旦寝た後に、そのために深夜に起き上がってする礼拝のこ


とを言います。一方キヤーム・アッ=ライル(夜中にする任意のサラー)はもっと広い意味で用いられ、


夜全般に渡って行われる任意の礼拝全てを指します。


14 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務で


はないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。


15 サヒーフ・アル=ブハーリー(614)。


16 サヒーフ・ムスリム(386)。


6


5-任意のドゥアー(祈願)をすること。


● アザーンをする者に次いでアザーンの文句を唱えることの徳:


1-アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)


は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように言うのを聞きました:「ア


ザーンを聞いたら、彼が言うように(後について)言うのだ。それから私に対しての祝福


を祈願する言葉を唱えよ。私に1 回祝福を祈願する者には、アッラーが彼のためにその10


倍のご慈悲をかけて下さる。それから私のために、アッラーにアル=ワスィーラ(かれの


御許での高い位階)を乞うのだ。それは天国において、アッラーのしもべの中のしもべに


しか許されない位階であり、私がそれ(を与えられる者)であることを望む。私にアル=


ワスィーラを乞う者には、とりなしが与えられるであろう。」(ムスリムの伝承17)


● (ある特定の状況下)2 つのサラーをまとめて行ったり、あるいは規定時間に遂行出来


なかった複数のサラーを連続して行ったりする時には最初に1度だけアザーンをし、そ


れから各々のサラーの前にイカーマをするようにします。


● 酷暑のためズフル(正午過ぎ)のサラーを遅らせたり、あるいはイシャー(夜のサラー)


を最良の時間まで遅らせたりする時には、それらのサラーを行いたい時間にアザーンを


することがスンナです。


● アザーンをしたい者が2 人以上いる時には、より声の良い者を優先します。もし声にお


いて同等であれば、宗教における真面目さ、次いで理性などを比較して選びます。もし


それら全てにおいても同等ならば、そのモスクの隣人たちが選びます。もしそれでも決


まらなければ、くじ引きで決めます。また1つのモスクに、2 人以上のムアッズィン(ア


ザーンをする者)がいても、問題はありません。


● アザーンをすることの徳:


アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッ


ラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アザーンがされると、シャイターンは背を向


け退散し、それが聞こえないように大きく放屁する。そしてアザーンが終わるとまた戻っ


て来るが、イカーマが行われるとまた退散する。そしてイカーマが終わると再び戻って来


て人の心に囁きかけ、(サラーを始める前までは)彼の脳裏になかったものを思い出させよ


うとして、こう言う:“これを思い出せ、あれを思い出せ。”こうして人は、何ラクア礼拝


したか分からなくなってしまうのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承18)


17 サヒーフ・ムスリム(384)。


18 サヒーフ・アル=ブハーリー(608)、サヒーフ・ムスリム(389)。文章はアル=ブハーリーのもの。


7


● 金曜日の集団礼拝のアザーンは、イマーム(サラーを率いる者)が説教のために説教壇


の上に腰を下ろした時にします。人口が急増した第3 代カリフ・ウスマーン(彼にアッ


ラーのご満悦あれ)の時代にはその前にももう1 つのアザーンが行われるようになりま


したが、サハーバ(教友たち)はその慣行に対して異議を唱えませんでした19。


● イマームはサラーを率いることにおいて、そしてムアッズィンはアザーンをすることに


おいて、報酬を受け取ってはなりません。しかしモスクのイマームやムアッズィンは偉


大かつ荘厳なるアッラーのためそれらの職務を遂行するなら、イスラーム国家の国庫か


ら給与を受け取ることが出来ます。


● モスクに入った時にアザーンが行われている場合、アザーンを謹聴し、かつその文句を


復唱することが推奨されます。そしてアザーンが終わったらドゥアーをし、タヒイヤ


ト・アル=マスジド20の2 ラクアを行うまでは座らないようにします。


● モスクにいる時アザーンが始まったら、病気やウドゥー21などの正当な理由がない限り、


モスクから出ることを許されません。


● スンナにおいて確証されているイカーマの形式:


イカーマは以下に挙げるような形式のいずれかに則り、かつその順序と連続性が保たれ


ていることがスンナです:


1-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の前でイカーマを行ったビラール(彼


にアッラーのご満悦あれ)のもので、以下の11 の文章からなります:


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝


すべきものがないことを証言します)


アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラー


の使徒であることを証言します)


ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)


ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)


カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)


19 訳者注:つまりこの事は合法であることを示しています。というのも預言者(彼にアッラーからの祝


福と平安あれ)の言葉通り、「アッラーは、私のウンマ(共同体)を迷妄において結集させられることはな


い」からです。


20 訳者注:モスクに入った時、腰を下ろす前に行う2ラクアのサラーのこと。預言者(彼にアッラーか


らの祝福と平安あれ)のスンナです。


21 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部


位の洗浄。


8


カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)


ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)


(アブー・ダーウードの伝承22)


2-アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)のイカーマで、17 の文章からなり


ます:


(その内訳は)タクビール(上記の①)が4 回、タシャッフド(上記の③と④)が(各2


回ずつの計)4 回、ハイアラ(上記の⑤と⑥)が4回、「カドゥ・カーマティッサラー」が


2 回、タクビール(上記の⑨)が2回、「ラー・イラーハ・イッラッラー」が1 回です。(ア


ブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承23)


3-以下の10の文章です:


アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバル。アシュハド・ア


ッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないこと


を証言します)。アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドが


アッラーの使徒であることを証言します)。ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)。


ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)。カドゥ・カーマティッサラー(サ


ラーはまさに始まった)、カドゥ・カーマティッサラー。アッラーフ・アクバル(アッラー


は偉大なり)。ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)。


(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承24)


● そしてスンナは、これらの形式を全て適用することです。つまりある時はこの形式、ま


たある時は別の形式、ある所ではこの形式、またある所ではこの形式、という風に時折


変化をもたせることです。それはスンナを保護し、その合法的かつ様々な多様性を持っ


た側面を実践していくためなのです。但しそうすることで人々の間に大きな問題をもた


らす原因となりそうな場合は、それを避けた方がよいでしょう。


● アザーンとイカーマの間にドゥアーすることは、スンナです。


22 良好かつ真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(499)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(469)。


23 良好かつ真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(502)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(474)、


スナン・アッ=ティルミズィー(192)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(162)。アッ=ティル


ミズィーはこの伝承を、良好かつ真正な伝承であると言っています。


24 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(510)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(482)、ス


ナン・アン=ナサーイー(628)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(610)。


9


● アザーン、イカーマ、サラーや説教などにおいては、必要に応じて拡声器を使用するこ


とが許されます。しかしもしそうすることで弊害や迷惑などが生じるようであれば、使


用しないようにします。


● アザーンとイカーマは同一人物が行うことがスンナです。ムアッズィンはアザーンにお


いて、そしてイマームはイカーマにおいて優先権を有しており、それゆえムアッズィン


はイマームが現れたり立ち上がったり、あるいはその合図を送ったりするまでは、勝手


にイカーマを唱えてはいけません。


● アザーンの各文章はそれぞれの間を明瞭に区切りつつ、一文一文を一息で唱え、そして


それを聞く者がそれに呼応するのがスンナです。一方イカーマに関しては、それを聞い


た者が唱えるべき言葉に関する正しい伝承は確認されていません。


● 厳寒の折や雨夜などにおいて、ムアッズィンがスンナで確証された以下のような文章を


「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」あるいはアザーンの後に


唱えることは、スンナです:


① 「乗り物(用の家畜)に乗ったままサラーせよ。」


② 「家でサラーせよ。」


③ 「モスクに来ずとも問題はなし。」


● 旅行中のアザーンとイカーマ:


マーリク・ブン・アブー・フワイリス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「旅


に出発しようとしている2人の男が、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のも


とにやって来ました。それで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、(彼らに)


こう言いました:“あなた方2人が旅に出(てサラーの規定時間が到来し)たらアザーンを


し、それからイカーマをせよ。そしてあなた方の内、年長の方がサラーを率いるのだ。”」(ア


ル=ブハーリーとムスリムの伝承25)


● サラーには、アザーン及びイカーマとの関係において4つの状況があります:


1-アザーンとイカーマの両方とも存在するサラー:5 つの義務のサラーと金曜日の集団


礼拝のことです。


2-アザーンがなく、イカーマだけがあるサラー:連続した2つの義務のサラーをまとめ


て行う時と、規定時間内に行えなかった複数の義務のサラーを連続して行う時。


25 サヒーフ・アル=ブハーリー(630)、サヒーフ・ムスリム(674)。文章はアル=ブハーリーのもの。


10


3-特別な文章による呼びかけがあるサラー:月食及び日食のサラーのことです。


4-アザーンもイカーマもないサラー:任意のサラーや葬儀のサラー、2つのイード26のサ


ラー、雨乞いのサラーなどです。


26 訳者注:「2 つのイードの日」とは、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、


つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる


犠牲祭)のことです。



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