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ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳


[ 日本語 ]


معنى الحج وحكمه وفضله


[اللغةاليابانية ]


ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー


محمد بن إبراهيم التويجري


翻訳者: サイード佐藤


ترجمة: سعيد ساتو


校閲者: ファーティマ佐藤


مراجعة: فاطمة ساتو


海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)


المكتبالتعاونيللدعوة وتوعية الجالياتبالربوة بمدينة الرياض


1429 – 2008


1


6-ハッジ(大巡礼)とウムラ(小巡礼)の章


①ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳


● ハッジとは:ハッジの諸行を遂行するべく特定の時期にマッカを目指すことにより、偉


大かつ荘厳なるアッラーを崇拝することです。


● 偉大かつ荘厳なるアッラーは聖なる館(カアバ神殿)を偉大なものとし、ハラーム・モ


スクをその保護区としました。そしてマッカをハラーム・モスクのそのまた保護区とし、


更にはマッカ周辺の聖域をマッカの保護区とし、また更にはミーカート1をマッカ周辺


の聖域の保護区とし、その上にアラビア半島をミーカートの保護区とされました。そし


てこれら全てはかれの聖なる館を偉大かつ崇高な、尊いものとするためであったのです。


至高のアッラーは仰られました:-人々の(崇拝行為の)ために設けられた最初の館こ


そは、祝福に溢れた万有への導きであるマッカのそれ(カアバ神殿)である。そこには


数々の明白なみしるしがある。(その内の1つが)イブラーヒームの立ち所(である)。


そこ(マッカの聖域)に入った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には、


その館を訪問するというアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実に


アッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)


● ハッジの美点とその極意:


1-ハッジはイスラームの同胞愛と、イスラームのウンマ(共同体)の体現です。そこ


において人種や肌の色、言語や祖国、階級などの違いは溶解し、人間がアッラーのしも


べたることと同胞愛の真実性が顕現します。ゆえに皆同じ出で立ちをし、同じ方向へと


向かい、同じ1つの神を崇拝するのです。


2-ハッジはそこにおいてムスリムが忍耐心を培う、鍛錬の場です。また人々はそこに


おいて終末の日と、そこで起きる様々な恐ろしい出来事を想起しつつアッラーのしもべ


であることの悦びを味わい、主の偉大さと、全ての創造物がかれなしではいられないと


いう事実を知るのです。


3-ハッジはそこにおいて報奨を獲得し、過去に犯した罪を赦免される偉大な時節です。


しもべはそこで主の御前にはべり、その唯一性を認め、自らの罪を省み、その主に対し


て義務を果たすことにおける自らの至らなさを知るのです。そしてハッジを終えると、


母親から生まれた日のような無垢で清浄な状態に戻って自分の国に帰るのです。


1 訳者注:詳しくは「②ミーカート」の章を参照のこと。


2


4-またハッジは預言者や使徒(彼らにアッラーのご満悦あれ)が置かれていた状況や、


彼らのイバーダ(崇拝行為)、ダアワ(布教)、ジハード(奮闘)、高徳といった物事を


想起させ、かつ家族や子供と離れ離れになることによって自らを堅固な者とします。


5-またハッジは、そこにおいてムスリム同士が互いの状況や学識、貧富や宗教におけ


る敬虔さと正しさなどの差異を知ることの出来る、1つの秤でもあります。


● ハッジの法的位置づけ:


ハッジはイスラームの5柱の内の5番目の柱であり、自由民で精神的に健常な成人ムス


リムでそれが可能な者は、出来るだけ早い内にそれを一生に1度は行わなければなりませ


ん。


ハッジはヒジュラ暦9年に義務付けられました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平


安あれ)がハッジを行ったのは1度だけで、それが「別れのハッジ」と呼ばれているもの


です。


1-至高のアッラーは仰られました:-そしてそうすることが出来る人々には、その館(カ


アバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッ


ラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:97)


2-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼


にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“イスラームは5つ(の基幹)の上に成


り立っている:(それらとは)「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・ア


シュハド・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私は、アッラーの他に


真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドがそのしもべであり使徒であることを証言する)」


というシャハーダ(証言)と、サラー(礼拝)を行うこと、ザカー(浄財)を施すこと、


ハッジ、そしてラマダーン月のサウム(斎戒)である。”」(アル=ブハーリーとムスリムの


伝承2)


● ハッジが遂行可能と見なされる者とは?


身体的に健常かつ旅行可能で、ハッジに行って戻ってくるだけの余剰財産と移動手段を


確保出来る者のことです。また借金や、自らとその扶養者のための法的支出の義務を果た


し、かつ本来自らが必要としている物資以上のものを備えていなければなりません。


● ハッジが義務付けられる者:


2 サヒーフ・アル=ブハーリー(8)、サヒーフ・ムスリム(16)。文章はムスリムのもの。


3


自らの財産と身体においてハッジを遂行することが可能な者には、自分でハッジを行う


ことが義務付けられます。またハッジを行うのに十分な財産はあるものの、身体的にハッ


ジを遂行することが不可能な者は、誰かにその代行を依頼することが義務付けられます。


また身体的には問題がなくとも十分な財産を有さない者には、ハッジは義務付けられませ


ん。そして同様に、経済的にも身体的にもハッジを遂行する能力のない者にはハッジが義


務付けらることはありません。


● ハッジを遂行するのに十分な財産を持たない者は、ザカー(浄財)を受け取って、それ


をハッジの費用に当てることが許されます。というのもハッジは、至高のアッラーの道


の1つであるからです。


● ハッジとウムラの徳:


1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼


にアッラーからの平安と祝福あれ)は、“最上の行いは何でしょうか?”と訊かれて、こう


言いました:“アッラーとその使徒を信仰することである。”そして、“それではそれに次ぐ


ものは何でしょうか?”と訊かれると、“アッラーの道におけるジハード(奮闘)である”


と言いました。そして更に“それに次ぐものは何でしょうか?”と訊かれると、“正しく行


われたハッジ3である”と言いました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承4)


2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼


にアッラーからの祝福と平安あれ)がこのように言うのを聞きました:“アッラーのみゆえ


にハッジを行い、そこにおいて淫らな言動や罪深い行いを犯さなかった者は、母親がその


者を生んだ日(のような無垢な状態)に舞い戻るであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリ


ムの伝承5)


3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にア


ッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“ウムラを行った後でまたウムラを行えば、


それはその間の(罪の)償いとなろう。そして正しく行われたハッジの報奨は、天国以外


の何物でもない。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承6)


● ハッジの義務のある者で、その義務を果たすことなく他界した者は、その遺産から彼の


ためのハッジの代行費用を拠出します。


● マハラムの同伴なしに女性がハッジやウムラを行うことの法的見解:


3 訳者注:原語では「ハッジ・マブルール」。この言葉には上記訳の他様々な解釈があり、「罪を犯すこと


なく完遂したハッジ」とか、「そこにおいて食を施し、挨拶を広めること」などといった解釈もあります。


4 サヒーフ・アル=ブハーリー(1519)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。


5 サヒーフ・アル=ブハーリー(1521)、サヒーフ・ムスリム(1350)。文章はアル=ブハーリーのもの。


6 サヒーフ・アル=ブハーリー(1773)、サヒーフ・ムスリム(1349)。


4


女性はその夫や、またいかなる状態においても婚姻が許されない関係にある父親や兄弟


や息子などのマハラムの存在がなければ、ハッジの義務を課されません7。またマハラムが


存在していても彼が彼女との同伴を拒むのであれば、やはりハッジの義務は課されません。


マハラムの同行なしに女性がハッジすることは罪ですが、そのハッジ自体は有効と見なさ


れます。


女性はその年齢、他に女性の同伴者があるかどうか、また旅程の長短などを問わず、マ


ハラムの同伴なしにはハッジ及びそれ以外のいかなる旅行にも出ることを禁じられていま


す。それは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「女性はマハラムなしに旅行


してはならない」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承8)という言葉から導き出される一般


法則によっています。9


● ハッジの代行に関する法的見解:


高齢や回復の見込みのない病、あるいは死などの理由によってハッジの義務を遂行でき


ない、あるいは出来なかった者のハッジを代行する者は、わざわざその本人がハッジのた


めの旅行を本来開始すべきだった地点から旅行を始める必要はなく、適当なミーカート10か


らイフラーム11に入ることが出来ます。またハッジを代行する者は、既に自らのハッジの義


務を果たしていなければなりません。またハッジの代行を依頼した本人は、代理人がハッ


ジの諸行を行っている間、イフラーム中に禁じられている諸事を犯さずにいる必要はあり


ません。


イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラー


からの祝福と平安あれ)はアッ=ラウハー12でキャラバンと遭遇し、こう言いました:「“こ


の民は何者か?”(すると彼らは)言いました:“ムスリムです。”(彼らは)言いました:“あ


なたは誰ですか?”(預言者は)言いました:“アッラーの使徒だ。”すると1人の女性が彼


の方に幼子を差し出し、こう言いました:“アッラーの使徒よ、この子にもハッジは課せら


れているのですか?”(預言者は)言いました:“ああ。そして(そうすれば)あなたに報


奨があろう。”」(ムスリムの伝承13)


7 訳者注:シャーフィイー学派では、マハラムの同伴が得られない女性でも道中の安全が保障される同伴


者がいればハッジが義務付けられるとされています。アル=アウザーイー、イブン・タイミーヤなども同


様の見解を明らかにしています。


8 サヒーフ・アル=ブハーリー(1862)、サヒーフ・ムスリム(1341)。


9 訳者注:シャーフィイー学派、及びマーリク学派の一部では、道中の安全が確保されていればマハラム


なしでも女性の旅行は可能という説があります。


10 訳者注:詳しくは「②ミーカート」の章を参照のこと。


11 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することで


す。


12 訳者注:マッカとマディーナの間にある場所の名で、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)た


ちはヒジュラ暦11年ハッジのためにここを通りかかりました。


13 サヒーフ・ムスリム(1336)。


5


● 身体的にハッジの遂行が可能な者は、任意のハッジやウムラの代行を他人に依頼するこ


とが出来ます。その際代行者に報酬を与えても与えなくても、問題はありません。


● ハッジの途中で他界した者は、その者が完遂出来なかった残りのハッジの諸行を代行に


よって完遂する必要はありません。その者は審判の日、タルビヤ14を唱えながら復活し


ます。また全くサラー(礼拝)をすることなく他界した者はムスリムとは見なされない


ため、その者のハッジやザカー(浄財)を代行することは許されません。


● 月経や産後の出血のある女性のイフラーム15の形:


月経や産後の出血のある女性はグスル16をし、ハッジ、あるいはウムラのイフラームをし


て、そのままハッジの諸行を行うことが許されます。但しその場合タワーフ17だけは清浄な


状態になるまで行うことが出来ないので、出血がなくなってからグスルをし、それからハ


ッジの諸行を完遂してイフラームを解きます。一方ウムラのイフラームの場合は出血が終


了してからグスルをし、それからウムラの諸行を行ってイフラームを解きます。


● ハッジとウムラを継続して多く行うことの徳:


イブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼


にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ハッジとウムラを継続して多く行うの


だ。それは丁度ふいごが鉄や金銀の不純物を吹き飛ばすように、貧しさと罪を追いやって


くれよう。そして正しく行われたハッジの報奨は、天国以外の何物でもない。”」(アッ=テ


ィルミズィーとアフマドの伝承18)


● マッカを訪問した者が、ウムラのために一時的にマッカから出ることに関しての法的見


解:


ハッジ、あるいはウムラのためにマッカを訪れた者が、任意のウムラのために一時的に


マッカの聖域外に出ることは忌避すべきことです。というのもそれはラマダーン月かどう


かに関わらず、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)もその教友たち(彼らにア


ッラーのご満悦あれ)もしなかったことだからです。預言者(彼にアッラーからの祝福と


平安あれ)がアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)にウムラを行うためにマッカを


一時的に出るように言ったのは決して命令ではなく、彼女の心情を配慮しての許可だった


14 訳者注:詳しくは「③イフラーム」の章を参照のこと。


15 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することで


す。


16 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。


17 訳者注:「タワーフ」は巡礼(ハッジとウムラ)の諸義務行為の内の1つ。アッラーを崇拝するために


カアバ神殿の周囲を7回逆時計回りに廻ります。


18 良好な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(810)、ムスナド・アフマド(3669)。文章はアッ=ティ


ルミズィーのもの。


6


のです。ウムラのために一時的にマッカを出ることよりは、タワーフをする方が優れてい


ると言えます。


またアーイシャのようにタンイーム19からウムラするのは、彼女のように月経ゆえにハッ


ジのウムラを完遂出来なかった者に限られたことです。それゆえ彼女と同様のことをする


のは、男性は言うまでもなく、そのような状況にはなかった女性にもそもそも定められた


ことではないのです。


● 未成年者のハッジとウムラに関する法的見解:


未成年者のハッジは義務ではありませんが、任意で行えば正しく有効なものと見なされ


ます。分別がついている未成年者については成年男女と同様に巡礼の諸行を進めますが、


まだそうではない子供に関してはその後見人が彼あるいは彼女のためにイフラームやタワ


ーフ、サアイ、ジャマラートの投石などを代理して行います。しかしハッジかウムラかに


関わらず、本人に出来ることは本人にやらせた方がより望ましいでしょう。また未成年は


成人後、義務のハッジが新たに義務付けられます。


● 既にハッジをしたことのある未成年者や奴隷がそれぞれ成人したり、あるいは自由民に


なったりした場合、その時点で本来のハッジの義務が発生します。


● 未成年者のハッジは有効で、かつその引率者はそれによる報奨を得ます。


イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ある女性が彼の方


に幼子を差し出し、こう言いました:“アッラーの使徒よ、この子にもハッジは課せられて


いるのですか?”(預言者は)言いました:“ああ。そして(そうすれば)あなたに報奨が


あろう。”」(ムスリムの伝承20)


● タウヒードの徒21でない者がモスクに入ることに関する法的見解:


タウヒードの徒でない者がハラーム・モスクに入ることは許されません22。しかしそれ以


外のモスクに関しては、それがイスラームの福利に叶うことであれば入ることを許されま


す。


1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰する者たちよ、シルク23の徒は不浄であ


る。それゆえ今年以降は彼らをハラーム・モスクに近付けてはならない。もしあなた方が


19 訳者注:「タンイーム」とはマッカ北部の聖域境にある地名のことです。マッカ中心部からは約7キロ


離れています。


20 サヒーフ・ムスリム(1336)。


21 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「タウヒード」の項を参照のこと。


22 訳者注:そもそも聖域自体ムスリム以外は入れません。


23 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章のシルクの項を参照のこと。


7


困窮を恐れるのであっても24、アッラーがその恩恵でもってあなた方を豊かにしてくれよう。


実にアッラーは全てをご存知になり、この上ない英知を備えられたお方である。,(クル


アーン9:28)


2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッ


ラーからの祝福と平安あれ)は(ある時)ナジュド地方に騎馬隊を派遣しました。彼らは、


スマーマ・ブン・ウサールというバヌー・ハニーファ族の男を1 人連れてやって来ました。


彼らはその男をモスクの柱にくくりつけましたが、そこに預言者(彼にアッラーからの祝


福と平安あれ)がやって来て、こう言いました:“スマーマを自由にしてやりなさい。”そ


れから彼(スマーマ)はモスク近くのナツメヤシの木のところまで行くと全身沐浴し、モ


スクに入ってこう言いました:“アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・ア


シュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべ


きものはなく、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言する)。”」(アル=ブハーリ


ーとムスリムの伝承25)


● ハラム(聖域)の特質:


マッカの聖域には、次に挙げるような特質があります:


そこでのサラー(礼拝)の報奨は倍増し、またそこでの悪行による罪もまた倍増するこ


と。


非ムスリムが立ち入りを禁止されること。


(報復ではなく自ら始める)戦いの禁止。


そこでレモングラス以外の草木を刈ること26や、ある特定の害獣を除く全ての生き物の殺


生の禁止。


そこにおける拾得物について告示しなければならないこと。


狩猟の禁止。


そしてそこに、人々のために最初の館が建築されたこと。


至高のアッラーは仰られました:-人々の(崇拝行為の)ために設けられた最初の館こ


そは、祝福に溢れた万有への導きであるマッカのそれ(カアバ神殿)である。そこには数々


の明白なみしるしがある。(その内の1つが)イブラーヒームの立ち所(である)。そこ(マ


ッカの聖域)に入った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には、その館を


訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何もの


をも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)


24 訳者注:ハッジとウムラはイスラーム以前にも存在していましたが、マッカのシルクの徒は特にハッジ


の時期においてマッカの物質的繁栄と興隆に大きく貢献していました。それゆえアッラーからこの命令が


下った時に、ある者たちはその繁栄が消失してしまうことを恐れましたが、そのような誤った考えに対し


てこの句が下ったとされます(アッ=シャウカーニー著クルアーン解釈「ファトゥフ・アル=カディール」


より)。


25 サヒーフ・アル=ブハーリー(462)、サヒーフ・ムスリム(1764)。文章はアル=ブハーリーのもの。


26 訳者注:栽培用に人為で植えた物は除外されます。





ミーカート


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المواقيت


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ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー


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翻訳者: サイード佐藤


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1429 – 2008


1


②ミーカート


● ミーカートとは:イバーダ(崇拝行為)を始める場所と時間のことです。


● ミーカートが定められたことの英知:


アッラーはカアバ神殿の偉大さと誉れゆえ、そこに砦‐つまりマッカ‐と、聖域‐つま


りハラムの領域‐を定められました。そしてハラムの領域にはまた更にハラムの領域があ


り、それこそがハッジかウムラに臨もうとする者がそこからイフラーム1に入ることなしに


は通過することの出来ないミーカートなのです。


● ミーカートの区分:


ミーカートには 2つの区分があります:


1-時間的区分:ハッジの季節はシャウワール月、ズー・アル=カアダ月、ズー・アル=


ヒッジャ月2です。そしてハッジの季節の始まりはシャウワール月で、ハッジのイフラーム


をすることの出来る最後の時はズー・アル=ヒッジャ月10日目の日の出前までです。一方


ウムラには特定の時期はなく、いつでも行うことが出来ます。


2-場所的区分:ハッジ、あるいはウムラに望む者がイフラームには5つの地点のことで


す:


ズー・アル=フライファ:マディーナの住民、及びそこを通過する者のミーカート


です。ミーカートの中でも最もマッカから遠い地点にあり、約420キロ離れていま


す。「アル=アキークの谷」とも呼ばれ、預言者モスクから南に13キロの地点にあ


るそのモスクは「マスジド・アッ=シャジャラ」と名付けられています。ここ祝福


に溢れた谷でサラー(礼拝)することは、推奨された行いの内の1つです。


アル=ジュフファ:シャーム地方(現在のシリア、レバノンなどの地方)やトルコ、


エジプト、モロッコ及びその付近の地域の住民と、そこを通過する者のためのミー


カートです。ラービグ付近の1村で、マッカからは約186キロ離れています。現在


人々はその西方に位置するラービグからイフラームするようになりました。


ヤラムラム:イエメン地方、及びその付近の地域の住民と、そこを通過する者のた


めのミーカートで、マッカからは約120キロ離れた1村です。現在は「アッ=サア


ディーヤ」と呼ばれています。


1 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することで


す。


2 訳者注:それぞれヒジュラ暦の10月、11月、12月のことです。


2


カルヌ・アル=マナーズィル:ナジュド地方、ターイフなどその付近の地域の住民


と、そこを通過する者のためのミーカートです。現在は「アッ=サイル・アル=カ


ビール」と呼ばれ、マッカからは約75キロ離れています。マハラムの谷はこのカル


ヌ・アル=マナーズィルの付近に位置しています。


ザート・イルク:イラクとその付近の地域の住民、及びそこを通過する人々のため


のミーカートで、アッ=ダルビーヤと呼ばれています。マッカからは約100キロ離


れています。


またミーカートよりもマッカ側に向けて内側に居住している者は、そこからイフラーム


に入ります。


イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にア


ッラーからの祝福と平安あれ)はマディーナの民にはズー・アル=フライファ、シャーム


地方の民にはアル=ジュフファ、ナジュドの民にはカルヌ・アル=マナーズィル、イエメ


ンの民にはヤラムラムをミーカートとして定められました。それらのミーカートがハッジ


とウムラに臨もうとするそれらの国の民と、そこを通過する者のため(に定められたの)


です。そしてそれら(のミーカート)の内側に住んでいる者は、自分の家からイフラーム


に入ります。マッカの民であっても、イフラームに入るのは自宅からです。(アル=ブハー


リーとムスリムの伝承3)


● 5つのミーカートの内側に居住する者のイフラームの仕方:


マッカからハッジに臨む者は、ハラム(聖域)の外に出てイフラームに入ることも可能


ですが、自分の家からイフラームに入るのがスンナ4です。またマッカの居住者でウムラに


臨もうとする者は、タンイーム5のマスジド・アーイシャやアル=ジゥラーナなど、本人に


とってより都合のよい聖域外の場所からイフラームに入ります。そしてその法規定を知り


つつ、かつ故意に聖域内からウムラのイフラームに入るのは有効ですが、罪を犯したこと


になります。そのような者は悔悟し、その罪の赦しを乞わなければなりません。


● イフラームをせずにミーカートを通過することについての法的見解:


1-ハッジ、あるいはウムラに臨もうとする者が、イフラームをすることなくミーカート


を通過することは許されません。もしそうしてしまった者は、ミーカートに戻ってイフラ


ームに入らなければなりません。もしその規定を知りながらも、敢えてミーカートを通過


3 サヒーフ・アル=ブハーリー(1526)、サヒーフ・ムスリム(1181)。文章はアル=ブハーリーのもの。


4 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可


能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。


5 訳者注:「タンイーム」とはマッカ北部の聖域境にある地名のことです。中心部からは約7キロ離れてい


ます。


3


した後にイフラームに入る者のハッジとウムラは有効ですが、罪を犯したと見なされます。


尚ミーカートよりも前の地点でイフラームに入ることは忌避すべきですが、合法です。


2-ハッジ、あるいはウムラを臨むのではなくしてミーカートを通過し、その後にハッジ


かウムラをしようと決意する者は、現在いるその場所からイフラームに入ります。但し(ミ


ーカート通過後)聖域内に入ってからウムラをすることを決心した者は、いったん聖域外


に出てからイフラームに入らなくてはなりません。


● マッカの居住者は、マッカからイフラード、あるいはキラーンのイフラームに入ります。


しかしもしウムラを単独で行ったり、あるいはタマットゥ6のハッジを行ったりしたい


場合は、タンイームやアル=ジゥラーナなどの聖域外に出てからイフラームに入ります。


● 飛行機の中でのイフラームの形:


ハッジ、あるいはウムラに臨んで飛行機に乗る者は、飛行機がミーカートを通過した時に


規定の衣類を装着してイフラームに入ります。もし2枚の布がなければズボンなどで、ズ


ボンがなければ長上衣などを用いてイフラームに入り、頭部には何も着けません。そのよ


うな者は飛行機から降りたらイフラーム用の2枚の布を手に入れ、それに着替えるように


します。


またジェッダの空港に到着するまでイフラームを遅らせることは許されません。もしそ


うしてしまったのなら、最寄りのミーカートまで戻ってイフラームをし直す必要がありま


す。もしそうせずに空港、あるいはミーカート通過後に意図的に、かつその行為の法的見


解を知りながらイフラームに入った場合、その者のハッジは有効なものではありますが罪


を犯したことになります。


イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラー


からの祝福と平安あれ)はアラファート7で演説してこう言いました:「イザール(腰布)が


ない者はズボンを、サンダルのない者は靴を身に着けよ。」(アル=ブハーリーとムスリム


の伝承8)


6 訳者注:「イフラード」「キラーン」「タマットゥ」とは全てハッジの形式のことです。詳しくは「⑤ハッ


ジの形式の種類」の項を参照のこと。


7 訳者注:「アラファート」とはヒジュラ暦12月の9日目、ハッジの巡礼者たちが赴くことを義務付け


られているマッカ近郊の台地。この日この地でアッラーを念じ、タルビヤを唱え、祈り、犯した罪の赦し


を乞う事は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「ハッジはアラファである。」という言葉が


示す通り、ハッジのメインイベント的意味合いを持っています。


8 サヒーフ・アル=ブハーリー(1843)、サヒーフ・ムスリム(1178)。



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