記事




註:


同じ乗り物の後ろの意 ١


。原文は 言葉を教える となっている。意訳 ٢


。原文は 書かれた となっている ٣


。すでに定められてしまったことは変更がきかないという意味 ٤


第20の伝承


アブー・マスウード・ウクバ・イブン・アムル・アルアンサーリー・アルバドリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。


人々が認めている最初の預言1の言葉に、つぎのようなものがある。「お前が恥かしいと思わないならば、好きなことをするがよい。2「


これはアルブハーリーの伝えている伝承である。


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註:


。ムハンマド以前の預言者たちの言葉 ١


٢


この伝承には二つの解釈が可能だとされている。A)羞恥心を感じない限り、


人間は良心の命ずるままに過ちを犯すことなく行動することが出来る。B)羞恥心を持ち合わせぬ者に対しては、好き勝手なことを止めさせる手段はない。


第21の伝承


アブー・アムル―彼はアブー・アムラとも言われている―スフヤーン・イブン・アブドッラーフ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


私は言った。「アッラーの御使いよ、貴方以外の誰にも訊ねることのできないような、イスラームに関する話をきかせて下さい。」するとこう答えられた。「私はアッラーを信じますと言い、それから行ないを正すことだ「。


これはムスリムの伝えている伝承である。


第22の伝承


アブドッラーフ・アルアンサーリーの息子、アブー・アブドッラーフ・ジャービル―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。


ある男がアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に訊ねて言った。「貴方は、もし私が定めの礼拝を務め、ラマダーン月に断食を行ない、許されたものを許されたもの、禁じられたものを禁じられたものとしたら、それ以上何をしなくとも楽園に行けると思われますか。」すると御使いは「その通り」と答えられた。


これはムスリムの伝えている伝承である。


第23の伝承


アブー・マーリク・アルハーリス・イブン・アースィム・アルアシュアリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。


清潔さは信仰の半分である。アルハムドリッラー〔讃えあれアッラー〕という言葉は秤を満たし、スブハーナッラー〔完全無欠のアッラーよ〕とアルハムドリッラー1〔讃えあれアッラー〕の2つの言葉は天地の間すべてを満たす。礼拝は光であり、施しは明らかなる証拠、忍耐は明り、そしてクルアーンはお前のための証拠もしくは反証2である。人はみな1日を朝から始め、自分の魂を売る3。ただしその結果魂を自由にする者もあれば それを破滅に導く者もある。


これはムスリムの伝えている伝承である。


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註:


١


二つともアッラーを賞賛、賛嘆する表現。ここではこれらの言葉を唱えることの宗教的価値を説いている。


。善悪の基準であることを意味している ٢


٣


この部分は文学的表現だが、一日は一生の比喩として理解されよう。生涯を通じて人は魂をアッラーに引き渡すか、それ以外のものに売り渡す。


第24の伝承


アブー・ザッル・アルギファーリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は至大至高の主1が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に語られたこととして、預言者からこの伝承2を伝え聞いている。主はこう申された。


わが下僕らよ、私は不正を私自身に禁じ、お前たちの間でも禁じた。それゆえたがいに不正を働いてはならぬ。


わが下僕らよ、私が手ずから導いた者を除いてはすべて迷いの道を行く者である。それゆえ私に導きを求めれば、正しい導きを得られよう。


わが下僕らよ、私が自ら養う者を除いてはすべて飢えに悩む者である。それゆえ私に糧を求めれば、糧食を授かるであろう。


わが下僕らよ、私が衣服を与える者の他はすべて生れたままの裸である。それゆえ私に衣服を求めれば、願いは叶えられよう。


わが下僕らよ、お前たちは昼も夜も罪を犯すが、私はすべての罪の赦し手。それゆえ私に赦しを求めれば、罪も赦されよう。


わが下僕らよ、私を損なおうとしてもそれはかなわぬこと。私のためになろうと努めてもそれもかなわない。


わが下僕らよ、もしもお前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちで一番敬虔な心の持主のようであったとしても、それで私の王国に何ひとつ付け加えることはできない。


わが下僕らよ、お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちでもっとも邪悪な者のようであったにしても、それで私の王国から何ひとつ減ずることはできない。


お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがこぞってひと所に立ち、ものをせがみ、私がみなに望みのものを分け与えたとしても、それで私の持ちものが何ひとつ減る訳ではない。減るとしても大洋に針を入れ〔その分だけ水がなくな〕るようなもの3。


わが下僕らよ、私が数えあげるのはお前たちの行ないばかり。いずれそれに相応しい報酬を与えることにしよう。


それゆえ善きこと4を見出す者には、アッラーを讃えさせよ。それ以外のものしか見出せぬ者にはわれとわが身を非難させよ。


これはムスリムの伝えている伝承である。


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註:


。アッラーのこと ١


この種の伝承はHadith ٢


Qudsiつまり聖なる伝承と呼ばれている。これは預言者がアッラーから直接聞いた言葉として伝えているものである。一般の伝承の内容は預言者の言葉であるが、聖なる伝承の内容は必ずしもアッラー自身の語られた言葉そのままである必要はないが、とにかくアッラーのお言葉であるため、一段と価値が高いとされている。ただしクルアーン」の一部とみなされるようなことはない。


。全ての被造物に対するアッラーの超越性を示唆している ٣


。例えば来世における善きこと٤


第25の伝承


これもまたアブー・ザッル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―のある教友1たちが預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に言った。「アッラーの御使いよ、裕福な連中が〔アッラーの〕報奨を独り占めにしてしまいます。あの連中はわれわれ同様礼拝し、われわれ同様断食したうえに、施しのためにたっぷり富を分け与えているのですから「。


すると預言者は答えられた。「アッラーは君たちにも、施しとして分け与えるものを創られなかったかね。実際、どのタスビーハ2も施しであり、どのタクビーラ3、タフミーダ4、タフリーラ5もすべて施しなのである。善行を勧めることも施しなら、悪行を戒めることも施しであり、君たちの性の営みの中にすら施しがあるのだから「。


そこで教友たちが言った。「アッラーの御使いよ、われわれの誰かが性欲を満足させたとしても、そのために報奨が得られるのですか。」それに答えて


預言者は言った。「どうだね、もし誰かが禁じられたやり方でそれをしたら、罪を犯すことになりはしないかね。同様に許されたやり方でするなら、報奨にあずかるのが道理だろう「。


これはムスリムの伝えている伝承である。


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註:


١


教友とは預言者と直接面識があり、彼を信じ、ムスリムとして他界した者を指す。アラビア語ではsahabi、複数はashabもしくはsahabahである。


スブハーナッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照 ٢


。アッラーフアクバル(アッラーは至大なり)と唱えること ٣


アルハムドゥリッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照 ٤


。ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)と唱えること ٥


第26の伝承


アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。


あらゆる人間のすべての手足の骨は、陽が昇ったら毎日施しをしなければならない。相手ときちんと付きあうことも施しなら、人が乗り物に乗るのを助けたり、そこに抱きあげてやったり、持ちものを渡してやることも施しである。優しい言葉も施しなら、礼拝に赴く一歩一歩も、道路から危険なものを取り除くことも施しである。


この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。


第27の伝承


アンナウワース・イブン・サムアーン―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。


高潔さは良き徳性である。〔それに引きかえ〕悪事は魂に染み付き、お前は他人にそれを詮索されることを嫌うだろう。


これはムスリムの伝えている伝承である。


他にもワービサ・イブン・マアバド―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による伝承がある。彼は伝えている。


〕預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた〕「お前は高潔さについて訊ねるためにやって来たのかね。」私は「はい、その通りです」と答えた。すると預言者は言われた。「自分の心に訊ねてみるがよい。高潔さとは魂が満ち足り、心も満足を覚えるようなものだ。だが悪行は魂にしみつき、他人が繰り返し「お前が法的に正しいと言ってくれても、胸さわぎを覚えさせずにはいない。1「


これは2人のイマーム、アフマド・イブン・ハンバルとアッダーリミーのムスナド2の中に収められた由緒正しい伝承の鎖3を持つ優れた伝承である。


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註:


١


伝承の編者は上記の二つの伝承を一緒に記載しているが、これは両者が主題、文章の点で類似しているためであろう。


。主題別ではなく、預言者から伝承を伝え聞いた人物別に編まれた伝承集 ٢


٣


伝承を聞き伝えた人々の系列をisnad(伝承の鎖)と呼ぶ。たとえばCはBか


ら、BはAから、Aは預言者からかくかくの話しを聞いたとある場合、CBAを伝承の鎖という。これらの人物が宗教心、人格、識見ともに優れていればいるほど、伝承自体の価値も高い。


第28の伝承


アブー・ナージフ・アルイルバード・イブン・サーリヤ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は、われわれの心を畏怖の念で満たし、眼から涙を溢れさせるような説教をなされた。そこでわれわれはお願いした。「アッラーの御使いよ、いまのお話はまるで訣れの説教1のようでした。何とぞ私どもに良き忠告をお与え下さい。」すると御使いは言われた。「私は忠告しよう。至大至高のアッラーを畏れ敬い、たとえ卑しい奴隷がお前たちの長となっても、耳を貸し、従うのだ。お前たちのうちで〔長〕生きする者は、いずれさまざまな意見の相違を眼のあたりにするであろう。だからお前たちは私の言行2、正しい導きを受けて正道を行くカリフたち3の言行を離れてはならない。是が非でもそれに縋りついていることだ4。新たな創りごとには気をつけねばならない。新しい創りごとは〔異端者の〕勝手な考え5であり、それはみな道を踏み迷わせるものなのだから。あらゆる誤謬は地獄の劫火のものなのだから。6「


この伝承はアブー・ダーウードとアッティルミズィーの2人が伝えている。アッティルミズィーは、これが優れた正しい伝承だとしている。


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註:


。この世に永遠の別れを告げる者の最後の説教の意 ١


٢


言行と訳したsunnahは、本来道踏み従われるべき道」の意。イスラームにおいて、例えば預言者の語った言葉、行った行為は特に後のムスリムの規


範となる重要なものであるため、そのような意味を込めた言行」と訳される。


٣


正道を行くカリフたちとは、一般に預言者を継いだ四人の正統カリフをいう。この場合正統という訳は適切でないため、原義を取った。


。原文では 歯でしっかりと食らいついていろ」の意 ٤


٥


bid'ahは悪い意味での改革、そこから異端異端者の教義」の意がある。


。原文は 道を踏み迷わせる者は劫火の中にある」の意 ٦


第29の伝承


ムアーズ・イブン・ジャバル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


私は言った。「アッラーの御使いよ、私を楽園に導き、地獄の劫火から遠ざけるような行ないについて教えて下さい。」すると御使いは答えられた。「それは大変〔重要〕な質問だ。至高のアッラーのおかげで、〔難しいことでも〕簡単にしていただいた者には手易いことだが。アッラーを主として敬い、アッラーに似たものがあるなどと言わぬこと。また礼拝を行ない、喜捨1を払い、ラマダーン月に断食し、〔アッラーの〕家に2巡礼すること。」それからこう付け加えられた。「お前に幸福の門について教えてやるかな3。まずは断食だ。これは盾といえよう。つぎに施し。これは水が火を消すように過ちを消す。それから真夜中の礼拝だ。」それから彼はクルアーンのこの部分を唱えた。『そのような人々は寝る間も惜しく起きあがり、怖れつつ、願いつつ、一心に主に祈り、われらの授けた結構なものを心おきなく主の道に使う。この人たちのしてきたことの報いとして、どれほどの楽しみが秘かに用意されているか、誰一人知る者はない。4』それから彼は言った。「お前に問題の核心、その柱、そのもっとも際立ったものについて教えてやろうかな5。」


そこで私は答えた。「はい、アッラーの御使いよ、どうかお願い致します。」すると彼は言った。「問題の核心とはイスラームだ。その柱とは礼拝で、もっとも際立ったものとはジハード6だ。」それからこう付け加えた。「ところでお前がこうしたことをどうして統御したらよいか、教えてやろうかな。」私は答えた。「アッラーの御使いよ、何とぞお願い致します。」すると彼は舌をつまんでいった。「これを慎しむのだ。」私は尋ねた。「アッラーの預言者よ、私たちは口にしたことで評価される7のでしょうか。」すると彼はいった。「ムアーズよ、お前もお袋泣かせだな8。人々の舌が収穫したもの以外に、一体彼らを地獄に逆落し9にするものがあるだろうか「。


これはアッティルミズィーが伝えており、優れた正しい伝承だとしている。


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註:


第2の伝承註(2)参照 ١


第2の伝承註(3)参照 ٢


٣


原文では相手の関心を喚起するような・・・教えてやるまいかなといった否定形が取られている。ただしここでは肯定的に訳した。


٤


クルアーン第32章16-17節。原文ではクルアーンより長い部分を引用する際にムスリム著述家がよくするように、引用の冒頭の部分と最終の部分のみが記されている。


٥


原文では問題の頭、その柱、そのこぶの上となっている。こぶはもちろんラクダのこぶのこと。ここでは意訳した。またこの文も註(3)の場合同 様・・・教えてやるまいかなと否定形になっており、その答えもいえいえどうか・・・となっているが、肯定的に訳した。次に同様な例が続く が、これも肯定的に訳した


٦


アラビア語のジハードは一般に聖戦と訳されているが、これはいささか誤解


を招きやすい。本来この言葉は戦闘行為のみでなく、イスラーム発展のためのあらゆる努力を指している。従って原意を尊重してアラビア語のままとした。


。評価とは、最後の審判における評価のこと ٧


٨


原文では非難を込めた慣習的表現おまえのお袋はおまえに死なれるぞとなっている。特殊な表現なので意訳した。


٩


逆落としと訳した部分には異版がある。原典も顔を真下にして鼻面を真下にして」の両説をそのまま記載している。


第30の伝承


アブー・サアラバ・アルフシャニー・ジュルスーム・イブン・ナーシル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。


至高のアッラーは種々の宗教的義務を定められた。したがってそれを蔑ろにしてはならない。またさまざまな限界を設けられた。したがってそれを踏み越えてはならない。ある種のことがらを禁止された。したがってその禁を破ってはならない。アッラーが言及されていないものもあるが、それはお前たちにたいする憐れみの心からでたもので、決してうっかり忘れていたからではない。だからそのようなことを追い求めてはならない。


アッダーラクトニーその他が伝えている優れた伝承である。


第31の伝承


アブ=ル=アッバース・サフル・イブン・サアド・アッサーイディー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


ある男が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―のところにやって来て言った。「アッラーの御使いよ、私がそれをすれば、アッラーも人々も


私を愛するような行ないについて教えて下さい。」すると預言者は言われた。「現世から身をひけば、アッラーはお前を愛されるだろう。人々が所有しているものから身をひけば、人々はお前を愛するだろう「。


これはイブン・マージャその他が、優れた伝承の鎖とともに伝えている伝承である。


第32の伝承


アブー・サイード・サアド・イブン・マーリク・イブン・シナーン・アルフドリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。


危害を加えること、たがいに危害を加えあうことのいずれもあってはならない。


これはイブン・マージャ、アッダーラクトニー等がムスナド1として伝えている優れた伝承である。マーリクはその著『アルムワッタウ』2の中に、アムル・イブン・ヤフヤーから彼の父、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―へと遡る鎖をもつムルサル3の伝承としてこれを記載している。ただし彼はアブー・サイードの名を記していないが、アブー・サイード〔の権威に関して〕はたがいに他の信憑性を強めあう多くの伝承の鎖がある。


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註:


。預言者自身から最後の伝承者まで完全な鎖を持つ伝承 ١


。アナス イブン・マーリクの著した伝承と法学に関する古典的な書 ٢


٣


上代のムスリムを区別する手段として教友と第二世代」の別がある。教友は第25の伝承註(1)で指摘したように、預言者と直接面識のあるいわゆる第一世代のムスリムである。これに対して第二世代は教友の誰かと面識のあるムスリムをいう。アラビア語ではtabi'i複数はtabi'unである。


ところでムルサルの伝承とは、伝承の鎖が最後の伝承者から第二世代の人々にまでさかのぼるだけで、預言者との中間に教友の名が挙げられていないものである。従ってムスナドより価値は低いが、ほかに異なる伝承の鎖があれば信憑性は一段と高まるとされている。


第33の伝承


アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。


人々が望むだけのものを与えられるとするならば、彼らは他人の財産や生命まで要求するだろう。ただし要求する者には明らかな証拠が必要であり、拒絶する者には誓いが必要である1。


アルバイハキー等はこの伝承をこのまま伝えている。またこの一部は2つの『サヒーフ』2中に記載されている。


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註:


。要求する側、拒否する側いずれにも正しい根拠がなければならないの意 ١


。アルブハーリー、ムスリムの伝承集成の題名 ٢


第34の伝承


アブー・サイード・アルフドリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞いた。


お前たちの誰でも、悪行1を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。だがそれしかできない者は、もっとも信仰の弱い者2。


これはムスリムの伝えている伝承である。


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註:


。忌むべきこと  宗教的観点から避けられるべきこと」の意 ١


。原文では 最後の場合は信仰心の最も弱い現れ といった意 ٢


第35の伝承


アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。


たがいに妬みあってはいけない。値をつり上げあってもいけない。憎しみあい、背を向けあってもならない。値を下げあってもならない。アッラーの下僕たちよ、お前たちはたがいに兄弟でなければならない。ムスリムたる者は他のムスリムの兄弟なのだから。兄弟を虐げたり、見捨てたり、騙したり、軽蔑してはならない。敬虔さはここにあるのだ。―こういいながら御使いは自分の胸を三度指差された― 一人前の男にとって、ムスリムの兄弟を軽蔑するなどということは、悪行以外の何であろうか。すべてのムスリムは他のムスリムにとり侵すべからざるものである。彼の血も、財産も、名誉も。


これはムスリムによって伝えられた伝承である。


第36の伝承


アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。


信者からこの世の悩みを一つでもとり除いた者には、アッラーが審判の日の悩みを一つとり除いて下さるだろう。気の毒な人を優しく面倒見た者には1、アッラーが現世と来世で優しく面倒を見て下さる。ムスリムをあつく庇護した者には、アッラーが現世と来世であつい庇護を与えて下さる。アッラーはその下僕が兄弟を助けるかぎり彼に援助の手をさしのべられる。また知識を求めて道を歩む者には、アッラーが平坦な楽園への道を用意して下さる2。アッラーの家の1つに集まってアッラーの書を朗読し3、たがいにそれを学びあう者たちの上には、かならず静けさが訪れ、慈悲が彼らをつつみ、天使たちにとり囲まれた彼らの名は、アッラーが自らの近みにとどめおく者4として読みあげられるであろう。自分の行ないで道5を進めない者は、血筋をもってしても急ぎ行くことはできない。


ムスリムはこの伝承を、このままの形で伝えている。


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註:


。原文は 生活に苦しむ人を楽にしてやる者には」の意 ١


。原文は「楽園への道を容易にして下さる」の意 ٢


٣


アッラーの家は例えばマスジドを指す。アッラーの書はクルアーン」のこと。


。アッラーは気に入られた者を自分の側にとどめおかれる ٤


。例えば 楽園への道 ٥


第37の伝承


アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は至大至高の主が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に語られたこととして、預言者からこの伝承1を聞いている。栄誉かぎりなき至高の主はこう申された。


アッラーはさまざまな善行、悪行を定め、ついでそれを詳しく説明された。そして善行をしようと思ったがそれを果さなかった者のためには、完全な善行を1つ行なったものと〔帳簿に〕書きとめ、善行をしようと思いたちそれを実行した者のためには善行を10、その700倍、さらにはそれ以上行なったものとして書きとめる。また悪行を思いたったが、それを実際に行なわなかった者のためにも、完全な善行を1つ行なったと書きとめるが、悪行を思いたちそれを実行した者には、悪行を1つ行なったと書きとめるだけである。


これは、アルブハーリーとムスリムの2人がこのままの形でおのおのの『サヒーフ』中に記載している伝承である。


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註:


。これも聖なる伝承である。第24の伝承註(1)参照 ١


第38の伝承


アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。至高のアッラーはこう申された。


私の友に敵意を示す者には、自分は誰に対しても戦いの宣言をする。私の気に入ることをして私に近づこうと望む下僕1は、自分に課された宗教的義務をきちんと果すことだ。定められた義務以外の良い行ないに努める下僕は、ますます私に近づき、ついには私の愛をかちうるであろう。そして私が彼を愛するようになれば、私は彼の聞く耳、彼の見る眼、彼の打つ手、彼の歩く足


となろう。彼に願いごとがあれば私はかならず叶え、彼が避難所を求めればかならずそれを用意してやるだろう。


この伝承は、アルブハーリーの伝えているものである。


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註:


。アッラーの下僕、つまりムスリムのこと ١


第39の伝承


アッバースの息子―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。


アッラーは私のために、私の民の過ち、怠慢、気のりのなさをお赦し下さった。


イブン・マージャ、アルバイハキー等によって伝えられた優れた伝承である。


第40の伝承


ウマルの息子1―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は、私の肩に手をかけて言われた。


この世においては、異邦人か旅人のように暮らせ2。


またウマルの息子1―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―は、よく次のような言葉を口にしていた。


朝にはタベを期待するな3。タベには朝を期待するな。病いのために健康をふりあて、死のために生をふりあてよ。


この伝承はアルブハーリーが伝えている。


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註:


。第2の伝承中(1)参照 ١


。束の間の現世に執着せず、永遠の生である来世にこそ執着せよ ٢


٣


善行を一日延ばしにしてはならない。朝思い立ったことを夕方すればよいなどと後回しにしてはならない。この伝承は全て善行を主題としている。「病のために・・・は次のように解釈される。健康な時には様々な宗教的義務をきちんと果たすことが出来る。だからその間に来世の報奨を期待できる善行を積んでおけ。


第41の伝承


アムル・イブヌ=ル=アースの息子・アブー・ムハンマド・アブドッラーフ―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。


愛着までもが私のもたらしたものに相応しくならないかぎり、本当の信者とはいえない1。


これは、『キターブ=ル=フッジャ』2からとった正しい鎖を持つ正しく優れた伝承である。 3


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註:


١


愛着と訳した語hawanは、愛情、欲望、快楽等の意味がある。愛着は訳語でも一番控えめなもの。とにかくそれは人間の意志で統御しにくいものであるが、愛着までがイスラーム精神にかなっていない限り、本当の信者とは言えないの意。


٢


アブ=ル=カーシム・イスマーイール・イブン・ムハンマド・アル=イスファハーニー〔ヒジュラ暦535年没〕の著書。証明の書の意。


٣


著書、アンナワウィーは本書の題名を40のハディースとしているが、更に2つの伝承を付け加えている。


第42の伝承


アナス―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。


私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞いた。


至高のアッラーは申された1。


アーダムの息子よ2、お前が私を呼び求め、私に〔心から〕願うかぎりは、お前のしでかしたことを赦し、大目にみてやろう。アーダムの息子よ、お前の罪が空の雲に届く程であっても、私に赦しを求めさえすればお前を赦してやろう。アーダムの息子よ、お前がこの地球と同じほどの大罪を犯して私のところにやってきても、私の姿を見て私に似たものは存在しないと思うなら、それ3と同じ赦しを与えてやろう。


これはアッティルミズィーにより伝えられているが、彼によれば正しく優れた伝承である。


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註:


。これも聖なる伝承である。第24の伝承註(1)参照 ١


٢


アーダムは人類の始祖といわれるアダムのこと。アーダムの息子はアーダムの裔、すなわち個々の人間を指す。


。それは地球を指す。アッラーの赦しの寛大さを示す伝承である ٣


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