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マリアへの受胎告知





神は、天使たちがマリアのもとを訪れ、彼女に懐妊の吉報と生まれて来る子供の地上における栄誉、そして彼が行なうであろう奇跡を伝えた情景をこう描写します:





“また天使たちがこう言った時を思え。「マリアよ、本当に神は直接ご自身の御言葉で、あなたに吉報を伝えられる。マリアの子、その名はイエス・キリスト、かれは現世でも来世でも高い栄誉を得、また(神の)側近の一人であろう。彼は揺り籠の中でも、また成人してからも人々に語り、正しい者の一人である。彼女は言った。「主よ、誰も私に触れたことはありません。どうして私に子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように、神は御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。また主は啓典と英知と律法と福音とを彼に教えられる。”(クルアーン 3:45−48)





これは、バイブルで述べられている状況と酷似しています:





“マリア、怖がることはない。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。”(ルカの福音書 1:30−31)





彼女は驚いて言いました:





“どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。”(ルカの福音書 1:34)





この出来事は、その敬虔さと献身性で知られていた彼女にとっての大きな試練でした。彼女は、人々が自分に対して不貞の疑惑を持つであろうことを予感しました。





神は別のクルアーンの節で、マリアがイエスを産むというガブリエルによる受胎告知に関する詳細を更に詳しく描写します:





“またこの啓典の中で、マリア(の物語)を述べよ。彼女が家族から離れて東の場に引き籠った時、彼女は彼らから(身をさえぎる)幕を垂れた。その時われはわが聖霊(ガブリエル)を遣わした。かれは1人の立派な人間の姿で彼女の前に現われた。彼女は言った。「あなた(ガブリエル)に対して慈悲深き御方の御加護を祈ります。もしあなたが、主を畏れておられるならば(私に近寄らないで下さい)。」かれは言った。「私は、あなたの主から遣わされた使徒に過ぎない。清純な息子をあなたに授ける(知らせの)ために。」(クルアーン 19:16−19)





あるとき時マリアが所用のためにモスクを出たとき時、大天使ガブリエルが男性の姿でマリアを訪れました。彼女はその男性があま余りに接近してきたために恐怖し感を抱き、彼に対する神のご加護を求めました。するとガブリエルは、彼女が最も純粋な子供をやがて最も純粋な子供を身ごもることを告げ知らせるため、自らが神によって遣わされたことを伝えました。驚きのあまり、彼女は驚きのあまり、声をあ上げてこう言いました:





“彼女は言った。「未だ且つて、誰も私に触れてはいません。また私は不貞でもありません。どうして私に息子がありましょう。」”(クルアーン 19:19−20)





ガブリエルは、それが既に定められていることであり、全能の神にとっては容易いことであると彼女に教えました。神は、イエスの誕生は神の全能性の印であり、アダムを両親の存在なく創造したのと同じようにイエスを父親の存在なしに創造したのだと述べます。





“かれ(天使)は言った。「そうであろう。(だが)あなたの主は仰せられる。『それはわれにとっては容易なことである。それで彼(イエス)を人々への印となし、またわれからの慈悲とするためである。(これは既に)アッラーの御命令があったことである。』」”(クルアーン 19:21)





神はイエスの魂を、大天使ガブリエルを介してマリアに吹き込み、彼女はイエスを身ごもりました。神は別の章においてこう述べています:





“またわれは自分の貞節を守ったエリ(イムラーン)の娘マリア(の体内)に、わが霊(ガブリエル)をもって吹き込んだ。彼女は、主の御言葉とその啓典を実証する、敬虔な(しもべの)一人であった。”(クルアーン 66:12)





懐妊の兆候が誰の目にも明らかになるにつれ、マリアは人々がどういう反応を示すかとても心配になりました。そしてその知らせが瞬く間に広まることは避けられず、人々は彼女の不貞を訴え始めました。尚キリスト教では彼女がヨセフと結婚し、それによりマリアは苦悩したと信じますが、イスラームでは彼女がヨセフと結婚をしてはおらず、また同様に彼と連れ添ってもいなかったことを確証します。マリアは自分が婚姻関係を結んでいなければ、人々が彼女の懐妊から導き出すであろう唯一の論理的結論を知っていました。マリアは人々から離れ、遠隔の地へと赴きました。神はこう述べています:





“こうして、彼女は彼(息子)を宿したので、遠い所に引き籠った。分娩の苦痛は彼女をナツメヤシの幹に赴かせた。”(クルアーン 19:22−23)





イエスの誕生





彼女は分娩に際して、精神的にも肉体的にも極度の苦痛の中にありました。マリアは他の女性と変わらない妊娠期間を過ごし、他の女性がするのと同じように出産しました。キリスト教とユダヤ教では、月経と陣痛はイブの罪[1]  によりもたらされた呪いであるとします。またキリスト教では、マリアは陣痛の苦しみを味わわなかったとします。一方イスラームではそういった信仰、そして‘原罪’説を認めず、誰も他者の罪を背負うことはないと強調します:





“各人はその行いに対する以外に、(罪の)報酬はないのである。重荷を負う者は、他の者の重荷を負わない。”(クルアーン 6:164





それだけでなく、クルアーンと預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)はいずれもイブが木の実を食べたこと、または彼女がアダムをそそのかしたということには一度も言及していません。





“その後悪魔〔シャイターン〕は彼らに囁き…かれは両人を欺いて堕落させた。彼らがこの木を味わうと、その恥ずかしい処があらわになり、2人は園の木の葉でその身を覆い始めた。”(クルアーン embassy 7:20−22)





マリアは、自らが創造されなければ良かったと思う程の激しい苦痛に襲われ、こう叫びました:





“「ああ、こんなことになる前に私は亡きものになり、忘却の中に消えたかった。」”(聖クルアーン 1923)





マリアの激痛が頂点に達した出産の直後、新生児のイエス(彼に神の称賛あれ)は彼女の下方から奇跡的に彼女をねぎらい、彼女に対する神のご加護を約束したのです:





“その時(声があって)彼女を下の方から呼んだ。「悲しんではならない。主はあなたの足もとに小川を創られた。またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。食べ且つ飲んで、あなたの目を冷しなさい。そしてもし誰かを見たならば、『私は慈悲深き主に、斎戒の約束をしました。それで今日は、誰とも御話いたしません。』と言ってやるがいい。」”(クルアーン 19:2426)





マリアの不安はなくなりました。これはイエスによる最初の奇跡でした。彼は誕生と同時に母親を安心させたのです。そして彼女が抱く新生児を目にした人々は、彼女を非難してこう言いました:





“「マリアよ、あなたは何と大変なことをしてくれたのか。」”(クルアーン 19:27





彼女はただイエスを指し示しました。神が天使を遣わして彼女に既に告知していたように、イエスは奇跡によって話し始めたのです。





“彼は揺り籠の中でも、また成人してからも人々に語り、正しい者の一人である。”(クルアーン 3:46





イエスは人々にこう語りました:





“私は、本当に神のしもベです。かれは私に啓典を与え、また私を預言者になされました。またかれは、私が何処にいようとも祝福を与えて下さいます。また生命のある限り礼拝を捧げ、喜捨をするよう、私に御命じになりました。また私の母に孝養を尽くさせ、高慢な恵まれない者にはなされませんでした。また私の出生の日、死去の日、復活の日に、私の上に平安がありますように。”(クルアーン 19:3033)





ここから、彼を殺そうと企むユダヤ人の姦計からの回避と、人々へ神のみへの崇拝を呼びかけるという彼の生涯の努力の物語が始まったのです。





イスラームとマリア





ここまでは、イスラームがいかにマリアを重要視するかを述べてきました。イスラームは彼女が創造された女性の中で最も完全であると見なしています。アダムを除く全預言者には母親がいたにも関わらず、クルアーンでマリア以上に強調されている女性はいません。クルアーンの全114章において、第19章の“マルアム(マリアのアラビア語)”章には彼女の名前が付けられていますが、人の名前が章の題名となっているのは彼女も含めて8人だけです。またクルアーン第3章では、彼女の父親のイムラーン(エリのアラビア語)の名が付けられています。またマルヤム章、イムラーン章は最も美しい章の一つとしても知られています。更にマリアは、クルアーンで唯一名前を言及されている女性でもあります。預言者ムハンマドはこう言っています:





しかしこれまで述べて来た数々の徳にも関わらず、マリアと彼女の息子イエスはただの人間であり、人間の持たない特徴を持ち合わせることはありませんでした。二人はともに創造物であり、この世に“生まれて”来たのです。二人は神の特別な恩恵によって大罪を犯すことはありませんでしたが、小さな間違いからは免れませんでした。マリアを無謬[2]  とするキリスト教と異なり、イスラームではそういった完全な性質は神以外に存在しないとします。





またマリアにも同様のことが当てはまります。彼女の周りには様々な奇跡が起こりましたが、彼女の死後にはそれが止まりました。また「マリアのおかくれもの (Transitus Mariae)」などの聖書外典に代表される、人々によるマリア出現の目撃談、彼女に対する祈願によってもたらされた助けなどの主張は、唯一かつ真実の神への崇拝を妨害することが目的の、サタンによる幻影なのです。アヴェ・マリアやロザリオなどに代表される祈祷や称賛、または教会による献身やマリアにまつわる数々の祝祭日は、人々が神にそれ以外のものを配し、神以外のものを称賛することを助長するのです。これらの理由により、神のみを崇拝し、かれ以外の崇拝を拒否するという神の教えの真髄を守るため、イスラームはあらゆる種類の宗教的逸脱や墓地での崇拝場の建築などを禁じているのです。





マリアは神のしもべであり、神によって最も偉大の預言者の一人であるイエスの誕生という奇跡をもたらす母として選ばれた、最も純潔な女性でした。彼女は敬虔さと貞操の正しさで知られ、そしてまた今後もその栄誉を保ち続けるのです。彼女の物語は預言者ムハンマドの登場によりクルアーンにおいて啓示されましたが、それは完全な形のまま審判の日まで不変のものであり続けます。



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