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布教に、物理的な行動が伴わなければならない時が来ました。アブラハムは偶像崇拝に対する大胆かつ決定的な一打を計画していました。クルアーンによる記述は、アブラハムが父個人の偶像を破壊したとするユダヤ・キリスト教の伝承1とは幾分ことなるものです。クルアーンでは、アブラハムが人々によって祭壇に祀られていた偶像の数々を破壊したとしています。アブラハムは、偶像に対するこの計画を示唆していました。





“神に誓って、私はあなたがたが背を向けて去った後に、あなたがたの偶像に一つの策をめぐらそう。”(クルアーン2157)





宗教的祝祭の時期が来ると、人々は町を離れました。アブラハムは祝祭に招待されていましたが、彼はこのように言い逃れました。





“彼は星々を一瞥し、こう言った:「ああ、私は気分が優れません!」”





人々が町を去ると、好機は訪れました。神殿には誰もいなかったため、アブラハムはそこに入り、金メッキが施された木製の偶像の数々に近づきました。それらの正面にはお供え物が置かれていました。アブラハムはそれらに対する不信仰から、このように揶揄しました。





“彼(アブラハム)は彼らの神々に向かって言った:「あなたがたはそれらを食べないのか?あなたがたは物も言えないほど苦しんでいるのか?」”





結局、自らの彫像を神々として崇拝するほど、人々を惑わせたものは何だったのでしょうか?





“そして彼はそれらを右手で叩き壊した。”





クルアーンはこう述べています。





“彼はそれらの内の最高位のものを除き、すべてを粉々にした。





神殿に僧侶たちが戻ると、偶像が破壊されていることに気付き、慌てふためきました。こんなことをしたのは誰かと考え巡らせていると、ある者がアブラハムの名を挙げ、彼が以前、それらを批判していたことに言及しました。そして彼らがアブラハムを呼び出した時、アブラハムは彼らの愚かさを公然とさらけ出したのです。





“彼は言った:「あなたがたとあなたがたの作る物は神によって創造されたというのに、それでも自ら彫った物を崇拝するというのですか。」”





彼らの怒りの感情は高まるばかりでした。説教されることを拒否し、彼らは単刀直入にこう切り出しました。





“アブラハムよ、我々の神々にこのようなことをしたのは、お前なのか?」





アブラハムが、最高位の偶像を破壊せずに残しておいたのには、理由がありました。





“彼は言った:「それらの中のこの最高位のもの(偶像)がしたのです。それらが口が利けるものなら、聞いてみなさい。」”





アブラハムがこのような挑戦をしたとき、彼らは混乱に陥りました。彼らは偶像を守れなかったことについてお互いを責め合った後、こう言いました。





“これらが口を聞かないことを、お前はよく知っていたようだ。





そしてアブラハムは、この問題の核心をつきました。





“彼は言った:「それなのにあなたがたは、神以外のものを崇拝するのですか? あなたがたを、少しも益せず、また損わないものを。ああ情けない。あなたがたも、あなたがたが神を差し置いて崇拝するものたちも。あなたがたは、なお悟らないのですか。」”





告発者たちは、逆に告発される側となったのです。彼らは論理の矛盾を指摘されると、アブラハムに何の反論も出来ませんでした。アブラハムの論理には反論の余地がなく、彼らの反応は憎悪と憤激に基づいたものだけでした。彼らはとうとう、アブラハムを焼き殺すという決定を下したのです。





“やつのための建物を建て、灼熱の炎のなかにやつを放り投げよ。





町の人々は材木を集め、彼らが誰一人見たこともないような巨大な炎を焚き上げました。若いアブラハムは、万有の主が彼のために用意された運命を受け入れました。彼は信仰を失うどころか、その試練は彼をより強くしました。アブラハムはその若さでも、焼身刑に怯んだりはしませんでした。そこに入れられる前、彼は最後の言葉としてこう言いました。





私には神だけで十分であり、かれこそは諸事の最善の執行者であられる。”(サヒーフ・ブハーリー)





ここからも、アブラハムが試練に立ち向かい、それを乗り越えた例を見て取ることが出来ます。ここで彼が試されたのは真の神への信仰であり、彼は神の呼びかけに応え、自らの存在を捧げる用意が出来ていることを証明したのです。彼の信仰は、彼の行為からその証拠を見て取ることが出来ます。





神は、これをもってアブラハムの天命と望まれたわけではありませんでした。彼には大いなる使命が待ち受けていたのです。彼は、私たちの知る偉大な預言者たちの父となることが、運命付けられていました。神はアブラハム、そして人々にとってのしるしとして、彼を救出したのです。





“われら(神)は命じた:「火よ、冷たくなれ。そしてアブラハムの平安となれ。」彼らは彼に対し策動しようとしたが、われらは彼らを酷い失敗者とした。





こうしてアブラハムは無事に炎から逃れました。彼らは神々の復讐を企てたにも関わらず、彼らとその偶像の数々は、屈辱的な最後を迎えたのです。





近代の考古学的発見により、高位の女神官は皇帝の娘だったことが示唆されています。当然ながら、彼女は神殿を冒涜した人物の処罰を要求したでしょう。まだ若者だったアブラハム1は裁判にかけられ、国王(おそらくニムロデ王だったと推測されます)の前に一人立たされたのです。アブラハムの父親でさえ、彼の側には付きませんでした。しかし、これまで常にそうであったように、彼の側には神が付いていたのです。





王との確執





ユダヤ・キリスト教の伝承では、アブラハムがニムロデ王によって焼身刑の判決を下されたことが明確に主張されていますが、クルアーンではこの件について明言はされていません。しかしながら、アブラハムと国王との確執については言及されており、一部のムスリム学者はその人物をニムロデ王と見なしていますが、それは人々がアブラハム殺害を試みた後だったとしています2。神がアブラハムを炎から救出した後、この件が国王に報告され、国王はその思い上がりから神と競おうとしたのです。彼はアブラハムと議論を繰り広げました。神はこう述べます。





“神が彼に王権を授けられたことから、(高慢になり)主についてアブラハムと論議した者について考えてはみたか。”(クルアーン2:258)





アブラハムの論点には、否定の余地がありませんでした。





“アブラハムが「私の主は、生を授けまた死を賜う御方だ。」と言った時、彼(王)は「私も、生を授けまた死を与える。」と言った。”(クルアーン2:258)





そこで王は、死刑の宣告を受けた二人の男を連れ出しました。彼は一方を釈放し、もう一方に刑の執行を言い渡しました。王によるこの返答は文脈を無視した愚かなものでしたが、アブラハムが次の議論を持ち出すと、それは王を完全に沈黙させたのです。





“アブラハムは言った。「神は、太陽を東から昇らせられるが、あなたはそれを西から昇らせてみなさい。」そこでかの不信仰者は当惑してしまった。神は不義を行う民を御導きにはなられない。”(クルアーン2:258)





アブラハムの移住





長年に渡る呼びかけと人々による拒否の末、神はアブラハムが彼の家族と人々から決別することを命じました。





“アブラハムや彼と共にいた者たちのことで、あなたがたのため実に良い模範がある。彼らが自らの民に言ったことを思い起こせ。「本当に私たちは、あなたがたとあなたがたが神を差し置いて崇拝するものとは、何の関りもありません。あなたがたと絶縁します。私たちとあなたがたの間には、あなたがたが神だけを信じるようになるまで、永遠の敵意と憎悪があるばかりです。」”(クルアーン60:4)





幸いにも、彼の家族の中の二人だけは、彼の教えを受け入れました。彼の甥ロト、そして妻サライです。こうして、アブラハムは彼ら、そしてその他の信仰者たちと移住を決行しました。





“ロトは彼(アブラハム)を信じた。彼(アブラハム)は言った。「私は主(の御許)に移り住もう。かれこそは全能かつ英明な御方であられる。」”(クルアーン29:26)





彼らは祝福された地であるカナン(シリア地方)へと移住しました。ユダヤ・キリスト教の伝承によると、アブラハムとロトは、移住先で東西に人々を振り分けたとされています3





“われは彼とロトを、森羅万象のためにわれらが祝福した地へと救い出した。”(クルアーン21:71)





この祝福された地において、神はアブラハムの子孫を祝福することを選ばれたのです。





“われら(神)は彼に(子の)イサクを授け、またその上の賜物として(孫の)ヤコブを授けた。われはそれぞれを、正しい者とした。”(クルアーン21:72)





“これはわれらがアブラハムに授け、その民を説得するために述べた確証であった。われらは嘉する者の(英知や徳性の)階位を高める。誠にあなたの主は英明にして全知であられる。われらは彼(アブラハム)に(子)イサクと(孫)ヤコブを授けて、それぞれを導いた。先にノアも導いた。また彼(アブラハム)の子孫の中には、ダビデと、ソロモン、ヨブ、ヨセフ、モーゼ、アロンがいる。われらはこのように善い行いをする者に報いる。またザカリヤ、ヨハネ、イエスとエリヤがいる。それぞれみな正義の徒であった。またイシュマエル、エリシャ、ヨナとロトがいる。われは彼らを、皆世に秀でた者とした。また彼らの祖先と子孫と兄弟の中、われは彼ら(のある者)を選んで正しい道に導いた。これは神の導きであり、かれはそのしもベの中から、御好みになられる者を導かれる。もし彼らが(神に同位者を)並べたならば、すべての行いは彼らにとって無益なものとなろう。これらの者は、われらが啓典と識見と預言の天分を授けた者たちである。”(クルアーン6:83−89)





諸預言者は、彼らの民への導きとして選ばれたのです。





“われらは彼らを、わが命令を奉じて(人びとを)導く導師とし、彼らに善行に励み、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするよう啓示した。そして彼らは一生懸命にわれらに仕えた。”(クルアーン2173





 





 



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