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これまでの説明で、イスラームという宗教の名称は、イスラームの最も根本的な原理である神への服従を表現し、「イスラーム」という名称そのものも、イスラームの経典において、人間ではなく神によって選ばれたものであるということが示されました。また、神の独自性と神の属性、そして仲介者を通さずに神を崇拝することを説くのはイスラームだけである、ということも示されました。そして、人間は本能的に神を崇拝するよう創造されていること、また歴史を通して神は各人にしるしを示し続けてきたことにより、イスラームはあらゆる時代のあらゆる個人によって実践することが可能であるということも述べられました。





要約すると、イスラーム(神への服従)という名称の重要性、イスラームによる神の独自性の強調、そしてイスラームがあらゆる時代の人類に適応しているという事実は、歴史の始まりから、どの言語によって表現されているのであれ、イスラームこそが神による真の宗教であるというイスラームの主張を立証しているのです。





最後に、至高なる神が私たちをこれからも正道の上に導き、私たちに祝福と慈悲をお授けになることを祈ります。かれこそは最も慈悲深き御方です。全世界の主である神に称賛あれ。そして預言者ムハンマドと神の預言者たち、彼らに従う追従者たち全員に平安と祝福あれ。





“言え。「神に讃えあれ。かれは数々のしるしを示され、あなたがたもそれを知るであろう。主はあなたがたの行うことを、疎かにはされない。」(クルアーン27:93)





“これは、人類に対する伝言であり、これによって彼らは警告され、かれが唯一の神であられることを知らされ、同時に思慮ある者たちが戒められるであろう。”(クルアーン14:52)





神は他の多くの節々で、人類を熟考へといざなうことこそはクルアーンの啓示による最も重要な目的の一つであると強調します。





神はクルアーンにおいて、社会によって押し付けられた信念や価値観への盲目的な追従を拒否し、あらゆる偏見やタブー、または精神的束縛を排除しての熟考をするよう呼びかけています。





人は往々にして、いかにして自分が今存在しているのか、人生の目的とは何なのか、あるいはなぜ人が死に、その後には何が待ち受けているのか、と考えるものです。人は自分自身と宇宙全体が存在する理由、そして存在し続ける理由に関して疑問を投げかけなければなりません。その過程においては、あらゆる束縛や偏見を捨てる必要があります。





自分の意識の中から全ての社会的、心理的、概念的な価値観を切り離して思考することにより、人はやがて自らを含む全宇宙が至高の力によって創られたことに気付くはずです。たとえ自分自身の身体、あるいは自然界のいかなるものを考察したのであれ、その中には驚異的な調和、設計、そして叡智が潜んでいることが分かるでしょう。





この点に関しても、クルアーンは人を導きます。神はクルアーンの中で、私たちが何に関して熟考・調査すべきかを導き出します。クルアーンによって示される方法で熟考することにより、神への信仰を持つ人物は、神の完全性、果てしない叡智、そしてかれの創造における知識と力をより良く理解します。信仰を持つ人物がクルアーンによって教えられている通りに考えると、彼は全宇宙が神の力によるもの、そしてかれの芸術であることを理解し、また“自然界とは芸術による結果であり、芸術家そのものではない”ことが分かるのです。あらゆる芸術作品は、その作者の卓越した技量を表し、そのメッセージを伝えているのです。





クルアーンは人類全体に、神の存在、独自性、そしてかれの性質を明確に証言する数々の出来事や問題についての熟考を促します。証言をするそれら全ての存在は“しるし”つまり“試された証拠、絶対的知識、真実の表象”としてクルアーンで示されています。それゆえ、全宇宙の物質は神の存在と性質をあらわにして伝達する、神のしるしであると言えるでしょう。観察し想起する人は、全宇宙の全てが神のしるしによって構成されていることを知るのです。





そしてこれこそが、人類の責任なのです。つまり、神のしるしを感じ取ることです。そうすることが出来るのであれば、自分を含むあらゆるものの創造主を知ることができ、かれに近づき、自らの存在と人生の意義を発見し、成功を収めることができるのです。





人の呼吸、政治・社会の発展、宇宙の調和、そして原子という物質の最小単位に至るまで、ありとあらゆるものは神のしるしであり、それら全てはかれの制御と知識のもと、かれの法に従っているのです。神のしるしを認知することには各自の努力が求められます。人は自らの知恵と良識に基づき、神のしるしを認知するのです。





その過程において、特定の指標が役立つであろうことには疑いの余地がありません。最初のステップとしては、全宇宙が神により創造されたものの明確な表現であると感受するメンタリティを得るため、クルアーンの中で強調されるいくつかの箇所について調査することが出来ます。





自然界における神のしるしは、“蜜蜂章”と呼ばれる章で強調されています:





“かれこそは、汝らのため天から雨を降らす御方で、それによって汝らは飲み、それによって樹木は生長し、それによって牧畜する。かれはそれで汝らのために、穀類とオリーブとナツメヤシとブドウその他各種の果物を育てられる。本当にこの中には、反省する民への種々のしるしがある。かれは夜と昼、太陽と月を汝らのため運行させる。群星もかれの命令に服従している。本当にこの中には、理解ある者への種々のしるしがあり、またかれが汝らのため、地上に生育するすべての物を、多様の色彩(と性質)になされる。本当にその中には、(感謝して)訓戒を受け入れる者への一つのしるしがある。かれこそは、海洋を(人間に)使役させられる方で、それによって汝らは鮮魚を食べ、また服飾に用いられるものをそれから採り、またかれの恩恵を求めて、その中に波を切って進む船を見る。必ず汝らは感謝するであろう。またかれは、地上に山々を堅固に据えられた。(それは)大地が汝らを揺り動かさないためである。また川や道を創られた。汝らが導かれるためである。また色々な標識、星を頼りに彼ら(人びと)は導かれる。これでも創造なされた御方が、創造しない者と比べられようか。それでも汝らは、なお訓戒を受け入れないのか。”(クルアーン16:10−17)





神はクルアーンにおいて理解ある人々に対し、その他の人々が見過ごしてしまうような事柄、または“進化論”、“偶然論”、あるいは“自然による奇蹟”などという不毛な用語を利用して退けるような諸問題に関して考察をするよう呼びかけます。





天地の創造、そして昼夜の変化の中には、賢明な人々に向けられたしるしがあるのです。彼らは立つ時、座る時、さらには横たわる時でさえ神を念じ、宇宙や地球の創造に思いを馳せる人々なのです。





“または立ち、または座り、または横たわって(不断に)神を唱念し、天と地の創造について考える者は言う。「主よ、あなたはいたずらに、これを御創りになったのではないのです。あなたの栄光を讃えます。火の懲罰からわたしたちをお救い下さい。”(クルアーン3:191)





これらの節々から分かるように、神の知識は無制限であり、かれの創造は非の打ち所がないため、理解ある人々は神のしるしを見て取り、かれの永遠なるメッセージ、偉大な力とその芸術性を理解しようと熟考をもって試みるのです。





理解ある人々にとって、彼らの周囲はその全てが創造におけるしるしなのです。



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