イスラームにおける非ムスリムの権利
イスラームはムスリム・非ムスリムを問わず、すべての人々に慈悲をもたらす宗教です。預言者ムハンマドは彼のもたらした教えから、クルアーンにおいて「慈悲」であると表現されています。
“われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。”
(クルアーン21:107)
偏見なき清らかな心でイスラーム法について分析するのであれば、上の節によって述べられた慈悲の意味が明。こうした典型的な慈悲を構成する要素の一つとしては、イスラーム法が他信仰の人々をどう扱うかについてであり、彼らの居住地が自国であるかムスリム国であるかを問わず、非ムスリムに対する寛容的姿勢は歴史の研究からも明白にうかがい知ることが出来ます。この事実はムスリムたちのみによって主張されていることではなく、多くの非ムスリムの歴史家たちによっても容認されていることなのです。ガイト総主教は述べています。
「主によって世界の統制を許されたアラブ人たちによる、我々への処遇はご存知のとおりです。彼らはキリスト教徒の敵ではありません。事実、彼らは我々の共同体を讃え、我々の聖職者・聖人たちに敬意を示し、教会・修道院の救援を申し入れたのである。」・デュラントは記しています。
「ウマイヤ朝時代、契約の民とされたキリスト教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒は、現在のキリスト教国家においても見出すことの出来ない水準の寛容性を享受していました。彼らは自由に宗教を実践でき、彼らの教会や寺院は保護されました。彼らは学者・裁判官による宗教法によって治められ、自治性を有していたのです。」教の人々の公正な関係は、単にムスリムの為政者による政治的手腕によるものではなく、他宗教の人々に信教の自由を許すイスラームの教えの直接的結果によるものなのです。神はクルアーンにおいて、こう述べています。
“宗教には強制があってはならない。”
(クルアーン2:256)
イスラームは彼らの信教の自由だけでなく、彼らが人類の兄弟として公正に扱われることも説きます。イスラーム的社会における非ムスリムへの虐待を警告して、預言者はこのように述べています。
“気をつけよ!誰であれ非ムスリムの少数派に対し厳酷にし、彼らの権利を侵害し、彼らが耐えうるよりも多くの負担を課し、彼らの意思に反して何かを奪う者があれば、私(預言者ムハンマド)は審判の日、そういった人物に対する不平を述べるであろう。”
(アブー・ダーウード)
こうした礼節は、現代においても異宗教だけに留まらず、外国人や異民族をも権利侵害・抑圧の対象とする大半の諸国家と比べ、いかにかけ離れたものでしょうか。多神教徒による支配期のマッカでムスリムたちが拷問の末に死に追いやられ、キリスト教ヨーロッパでユダヤ教徒たちが迫害され、様々な人々が特定の人種や階級を理由に隷属化させられていた頃、イスラームはその慈悲に基づいた教えから、人類に人間性という権利を与え、すべての人々と宗教に対する公正な処遇を呼びかけていたのです。
イスラームが他宗教の存在を許すことについては、様々な議論が繰り広げられてきました。イスラームが現実に説いていること、そして非ムスリムが実際にムスリム諸国に住んでいることを知らずに、ムスリムはすべての人々がイスラームを受け入れるまで戦い続けるのだという一部の意見は、イスラームに対する嫌悪感を作り出しています。
ムスリム社会に居住する非ムスリムは、三種類に分類されます。これらの分類を理解することは、イスラーム社会におけるムスリムと非ムスリムの関係についての理解を深めることに役立つはずです。
非ムスリムの分類
1.永住者
イスラーム法学者たちは非ムスリムの居住者たちを「契約の民」(アラビア語で「ズィンミー」、または「アハルッ=ズィンマ」)という用語で言及します。それは一部の人々が見なすような軽蔑的な用語ではありません。アラビア語の「ズィンマ」はムスリムの領土に住む非ムスリムのための保護条約を意味し、類似用語である「アハルッ=ズィンマ」は「契約の民」を意味し、それは預言者ムハンマドとムスリムたちによって差し伸べられた契約によって彼らが保護の対象となったことに基づいています。非ムスリムはムスリム社会において、人頭税を支払い、イスラーム法において述べられる特定の法令を遵守する限りは保護が保証されます。この保護契約は特定の期間に限定されるものではなく、その対象となる人々が条件を満たす限り有効であり続けます。「ズィンミー」という用語に潜む良き意図は、カリフ・アブー・バクル・アッ=スィッディークによるナジラーンの非ムスリムに宛てられた書簡から、うかがい知ることが出来ます。
‘慈悲あまねく慈愛深き神の御名において。本書は神の使徒、預言者ムハンマドの後継者、神の僕アブー・バクルによってしたためられたものである。彼(預言者)は保護を受ける隣人の権利をあなたがた自身、あなたがたの土地、あなたがたの宗教共同体、あなたがたの富、保有物、召使い、あなたがたの内の在住者、不在者、あなたがたの修道僧、聖職者、修道院を含むすべての所有物に対してその大小を問わず確約する。あなたはその中のいかなるものを奪われることも、また所有を制限されることもない・・・’4
もう一つの例としては、著名なイスラーム学者であるイマーム・アル=アウザーイーによる、アッバース朝の総督サーリフ・ブン・アリー・ブン・アブドッラーへ宛てられた、契約の民についての書簡があります。“彼らは奴隷ではない。したがって、自由民である彼らの身分を変更することについて注意しなさい。彼らは契約の民なのである。”6
その事実を認知して、ロン・ランドーはこう記しています。
‘被支配民にキリスト教への改宗を強制したキリスト教帝国とは対照的に、アラブ人たちは宗教的少数派を認知し、彼らの存在を受容しました。ユダヤ教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒は契約の民として知られるようになりました。言い換えるなら、諸国家は地位の保護を享受することが出来たのです。’7
2.寄留者
この分類には二種類があります。
1)非ムスリム国家の居住者で、ムスリム国家に出稼ぎ、留学、ビジネス、外交的任務などによって一時的に滞在する中、決められた和平条約、国際協定、その他の機構によってムスリム側と和睦している者たちのこと。イスラーム法学者たちは彼らのことをアラビア語で「協定を締結した者たち」を意味する「ムアーハドゥーン」として言及します。
2)非ムスリム国家の居住者で、ムスリム国家に出稼ぎ、留学、ビジネス、外交的任務などによって一時的に滞在するも、ムスリム側との和平条約が結ばれていない者たち、またはムスリム側と戦争状態にある者たちのこと。イスラーム法学者たちは彼らのことをアラビア語で「保護を求める者」を意味する「ムスタアミヌーン」として言及します。
各種には共通する一般的権利があり、各種限定の権利もあります。ここでは過剰な詳細に触れることを避け、最も一般的かつ共通の権利についてのみ言及します。
非ムスリムの一般的権利
「人権」という言葉は比較的新しい表現であり、第二次世界大戦が終った1945年の国連の創立後、1948年の国連総会の世界人権宣言によって日常的に使われ始めました。国際法における登場は比較的新しいものですが、人権という概念そのものは新しくはありません。1400年以上も前にイスラームによってもたらされた人権と、国連による世界人権宣言について調査・比較するのであれば、イスラームによって成し遂げられた極めて高い水準の倫理について明確に知ることが出来るでしょう。この倫理規範は人間の知的努力によってもたらされたのではありません。イスラーム的倫理の源泉は神そのものなのです。神による規範は、人類の必要性に対する真の普遍性と深みを与えます。それは人類を益するものすべてを提供し、いかなる害からも守ります。客観的な研究からは、このような結論が導き出されるはずです。「これらの権利に寛大な配慮をし、確証し、詳細を述べ、明確にし、表現し得る宗教、または倫理規範は、地球上にはイスラーム以外に存在しないのです。」10
イスラームの法的・倫理規定であるシャリーアは、ムスリムだけに権利を与えるに留まりません。その特筆すべき特徴の一つとして、非ムスリムがその権利の多くを共有することが挙げられます。事実、原則としては非ムスリムもムスリムと同じ権利と義務を有します的一面はイスラーム独自のものであり、おそらくいかなる世界宗教からも同様のことを見出すことは出来ないでしょう。例えばキリスト教を見てみると、トロント大学のジョセフ・ヒース教授はこのように述べています。「バイブルを徹底的に調査しても、「権利」という単語が一度たりとも言及されていないことなど言うまでもないでしょう。その後のキリスト教思想の1500年間を掻い摘んでみても、いかなる権利を見出すことも出来ないでしょう。なぜなら、権利といった概念そのものが完全に欠如しているからです。」12
非ムスリムはイスラームにおいて多くの権利を有します。ここではその中でも最も重要な物である、信仰の自由、働く権利、居住の権利、移動と教育の自由に絞って焦点を当てます。 Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Musta’minin,’ p. 20
神はムスリム・非ムスリムを問わず、人類を尊厳と共に創造し、彼らの地位を多くの創造物よりも高められました。神はクルアーンでこう述べられます。
“われはアーダムの子孫を重んじて海陸にかれらを運び、また種々の良い(暮らし向きのための)ものを支給し、またわれが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのである。”
(クルアーン17:70)
栄誉のしるしとして、またその地位を高めるため、神は天使たちに対し、人類の父であるアダムへ謙虚に跪拝するよう命じました。神はクルアーンの中でこう告げ知らせます。
“われが天使たちに対し、「アダムにサジダしなさい。」と言った時を思いなさい。サタンの他かれらはサジダした。だがかれは拒否した。”(クルアーン20:116)
神は人類に多くの恩寵を授けられ、その中には明瞭なもの、また不明瞭なものがあります。例えば、彼は天地を人類の栄誉のために創造しました。
“神こそは、天と地を創造され、天から雨を降らせ、これによって果実を実らせられ、あなたがたのために御恵みになられる方である。また船をあなたがたに操縦させ、かれの命令によって海上を航行させられる。また川をあなたがたの用に服させられる。またかれは、太陽と月をあなたがたに役立たせ、両者は飽きることなく(軌道)を廻り、また夜と昼をあなたがたの用に役立たせられる。またかれはあなたがたが求める、すべてのものを授けられる。たとえ神の恩恵を数えあげても、あなたがたはそれを数えられないであろう。人間は、本当に不義であり、忘恩の徒である。”
(クルアーン14:32−34)
神によって与えられた人類の地位は、イスラームにおける人の尊厳の原則を形成します。それは、その人がムスリムかそうでないかに関わりません。イスラームでは全人類の起源は同一であることを強調し、各人にはそれぞれ特定の権利が帰属されているのです。神はこう述べています。
“人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。神の御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当に神は、全知にしてあらゆることに通暁なされる。”(クルアーン49:13)
神の使徒は、当時のアラブ史上最大の合同集会だった最後の説教で、このように説いています。
“人々よ、あなたがたの主が御独りであること、あなたがたの父祖も一人であることを知るのだ。篤信を除いては、アラブ人が非アラブ人に、非アラブ人がアラブ人に、白人が黒人に、黒人が白人に優越性を持つわけではないことを知りなさい。”1
非ムスリムの尊厳を保つ一例としては、彼らの感情が尊重されることです。例えば彼らとの会話では礼節をもって接されます。
“また啓典の民と議論するさいには、立派な(態度で)臨め。かれらの中不義を行う者にたいしては別である。それで言ってやるがいい。「わたしたちは、自分たちに下されたものを信じ、あなたがたに下されたものを信じる。わたしたちの神とあなたがたの神は同じである。わたしたちはかれに服従、帰依するのである。」”
(クルアーン29:46)
非ムスリムは、彼らの宗教を嘲笑されてはならない権利を持ちます。他の信仰を持つ人々に対してここまで寛容なのは、いかなる宗教・宗派を見渡しても、イスラーム以外に存在しないと言っても過言ではないでしょう。次のクルアーンの一節を見てみましょう。
“言ってやるがいい。「天地からあなたがたに扶養を与えるのは誰なのか。」言ってやるがいい。「神であられる。要するにわたしたちか、またはあなたがたのどちらかが導きの上にあり、どちらかが迷っている。」”
この節は、アラビア語言語学者らによって修辞学的質問と呼ばれる方法によって締められており、その質問の答えは意図する対象にとっての一般的知識となります。この節は確実性に疑問性を融合します。導きに従うムスリムと、不信仰者の過ちが何らかの確証的でないものとして呈されることにより、神は読者が自らの答えを導きだすことによって真実を強調させるのです。神はこの節で誰が導きに従い、誰がそうでないかについて述べているのではありません。この節では議論を提示し、傍聴者に自ら判断させることによって「仮想敵」に公正な処遇を与えているのです。言語学者でありクルアーン解釈学者でもあるアッ=ザマフシャリーはこの点についての考えを詳述します。
「これは公平な言葉である。誰であってもこれを聞くのであれば、支持者であれ反対者であれ、その言葉が向けられた人物に対し、発言者が公正な対応をしたことを告げるであろう。それは議論の提示後、誰が導きに従い、誰が誤信を犯しているのか、聞き手を必然的な結論へと導くのである。もし問題が難解な場合は、事実の示唆をすることによって、真実の説得力ある証明を提供するだけでなく、激しい議論に陥ることなく相手の気持ちを和らげることも出来るのである。」2
クルアーンにおいて用いられているこうした形式の例としては、ある人物が議論において「神は誰が真実を述べ、誰が嘘をついているのかお見通しである。」と発言するようなものです3。
また神は、ムスリムが非ムスリムによって崇拝されている神々や偶像について中傷することを禁じられています。そうすることによって唯一・真実の神が中傷されないためです。同様の例はいかなる経典、または世界宗教においても見出すことは困難でしょう。もしムスリムたちが多神教の神々を中傷するのをその信者たちが聞いたのであれば、それは彼らがアッラー(唯一神の正式な名称)を中傷することへとつながるでしょう。また、もしムスリムたちがそれらの神々を中傷すると、多神教徒たちは彼らの傷心をムスリムの心を傷つけることによって癒そうとするでしょう。そういった筋書きは双方の尊厳に背いたものであり、相互の拒絶や憎悪に結びつきます。神はクルアーンにおいて述べています。
“あなたがたは、かれらが神を差し置いて祈っているものを謗ってはならない。無知のために、乱りに神を謗らせないためである。われはこのようにして、それぞれの民族に、自分の行うことを立派だと思わせて置いた。それからかれらは主に帰る。その時かれは、かれらにその行ったことを告げ知らされる。”
(クルアーン6:108)
イスラームが人間の尊厳に重きを置くことが分かる別の例として、初期イスラームのカリフが非ムスリムの尊厳を保護した、次の有名な逸話があります。アムル・ブン・アル=アースがエジプトの長官だったとき、彼の息子の一人が「我は貴人の息子である!」と豪語し、コプト教徒を鞭打ちました。そのコプト教徒ははるばるマディーナに住んでいたカリフのウマル・ブン・アル=ハッターブを訪れ、その件について苦情を述べました。以下は、預言者の生前に彼の身の回りの世話をしていたアナス・ブン・マーリクによる伝承です。
“我々がウマル・ブン・アル=ハッターブと座っていたとき、エジプト人が訪れてこう述べた。「信仰者の長よ、私は貴方のもとに避難を求めてやってきました。」それでウマルが彼の問題について尋ねると、彼はそれに答えてこう述べた。「アムルは所有していた馬をエジプトでは放し飼いにしていました。ある日、私が自分のラバに乗って人々の集まりを通りがかると、彼らは私の方を見ていましたが、アムルの息子ムハンマドが立ち上がって私に向かって来るなりこう言いました。『カアバの主に誓って、それは我のラバである!』私はこう答えました。『カアバの主に誓って、このラバは私のものです!』彼は私を鞭で打ち始め、こう言ったのです。『お前にそれをくれても良いが、それはなぜなら我が貴人の息子だからである!(つまり、自分がより寛大であることを示す意味)』この事件はアムルの知るところとなりましたが、貴方の耳に入ることを恐れた彼は、私を投獄しました。私は脱出して、貴方の元にこうしてやって来たのです。」”
アナスは続けます。
“神に誓って、ウマルによる唯一の反応は、そのエジプト人に座るよう告げたことだった。そしてウマルはアムルに次の手紙を書いた。「この手紙があなたに届いたら、そなたの息子ムハンマドを連れてくるのだ。」そして彼は例のエジプト人にアムルが来るまでマディーナに留まるよう告げた。アムルが手紙を受け取ると、彼は息子を呼びこう尋ねた。「お前は何か罪を犯したのか?」息子が否定したのでアムルは言った。「では何故ウマルはお前について手紙を書いたのだ?」彼らは二人でウマルの元へ行くことにした。”
アナスは更に続けます。
“神に誓って、我々がウマルと共に座っていると、一般人の衣服を身に付けたアムルが到着した。ウマルが彼の息子はどこかと見回すと、父親の背後に(目立たないよう)立っているのを見つけた。ウマルは尋ねた。「例のエジプト人はどこか?」 彼は答えた。 「ここです!」ウマルは彼に言った。「この鞭を取り、貴人の息子を打つのだ。」それで彼はそれを手に取り、ウマルが何度も「貴人の息子を打つのだ。」と繰り返す中、力強く打ち続けた。我々は彼がもう十分に打ったと満足するまで彼を止めなかった。するとウマルは言った。「では、これを取って私の禿頭を打つのだ。今回これが起きたのは指導を行き届かせていなかった私の責任にもある。」エジプト人は答えた。「私は気が済みました。私の怒りも静まりました。」ウマルは彼に言った。「もしお前が私を打ったとしても、お前がそう望むまで私はお前を止めなかっただろう。さてアムルよ、お前に関してはいつから人々を奴隷としたのだ? 彼らは自由民として生まれたのだぞ。」アムルは謝りながらこう言った。「私はそのことを知らなかったのです。」それでウマルはエジプト人に向かってこう告げた。「行くが良い。導きあれ。もしお前に何か起きたなら、私に手紙を書くが良い。」”1
これが、カリフとして選出されたときにまず「私が権利を帰属させることにより、弱者は強者となろう。そして私が不当な権利を剥奪することにより、強者は弱者となろう。」と言ったウマルの生き様だったのです。虐げられた人々の社会的地位にも関わらず、彼らに対する公正さ、そして抑圧者の階級にも関わらず、彼らに対する断固とした態度により、歴史は彼を公正な統治者として記録したのです。
「この逸話の真価とは、人々がイスラームの統治下において、いかに人間性と尊厳について熟知していたかということにある。不正な一打であれ非難され嫌悪されていたのだ。ビザンチン帝国の時代においては、この逸話のものと類似した多くの不正が報告されていたが、誰一人としてそれを正そうとはしなかったのである。しかし我々は、イスラーム国家による保護と苦情の聞き入れを確信して、自らの尊厳と権利を求めエジプトからマディーナへの長旅をも厭わなかった一人の被抑圧者の例から、当時の公正な様子を垣間見ることが出来るのである。」2
イスラームにおける非ムスリムの権利(5/13):信仰の自由という権利(上)
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イスラームは他宗教の人々に信仰の自由を認めます。「宗教に強制はない」とするイスラームの原則についての歴史的分析。
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イスラームは他宗教の人々に改宗を強制しません。イスラームでは他宗教の人々に対し、完全な信教の自由、そしてイスラームへの改宗を強制されない権利を与えています。こうした自由はクルアーンとスンナ(預言者の教え)の双方に記録されています。神はクルアーンの中で、預言者へこう語りかけます。
“もし主の御心なら、地上のすべての者はすべて信仰に入ったことであろう。あなたは人びとを、強いて信者にしようとするのか。”
(クルアーン10:99)
預言者(神の慈悲と祝福あれ)は人々に対し、イスラームへの入信、または宗教の保持といった二つの選択肢を与えていました。彼がイスラーム入信を求めたのは彼らがそれに合意してからのみ、つまり彼らがイスラーム国家の居住者となり、個人と財産の安全を確信してからだったのです。このことは神とその預言者との誓約の安全性について彼らを満足させたのです。こうした前提のもと、非ムスリム市民はズィンミー1として言及されます。預言者が軍隊の指揮官、または部隊を戦場に送り出したとき、預言者は彼らに対する振る舞いにおいて神を念頭に置くこと、そしてムスリム同胞に良い処遇を与えるよう命じました。慈悲深き預言者はこのように命じています。
“神のための戦いに出て、神を信仰しない者たちと戦うのだ。戦いに出るときは節度を守り、不誠実に振る舞ったり、死体を損傷したり、子供たちを殺めたりしてはならない。敵である不信仰者たちと対峙するときには、三つの選択肢を与えるのだ。それらの一つにでも彼らが合意するのなら、戦いを止めるのだ。
1.彼らをイスラームへといざなうこと。彼らが合意したのなら、それを認めて戦いを止めるのだ。そして彼らを移住者の地(マディーナ)へと移住することを勧め、彼らがそれに従うのなら、彼らには他の移住者たちと同様の特権と義務が与えられるだろう。彼らが移住を拒否するなら、彼らにはムスリムの遊牧民と同様の地位が与えられることを告げるのだ。つまり彼らにはムスリム全体に適用される神の法に従い、ムスリムたちと共にジハードに参加しない限り、遠征によって得られた戦利品の分け前がないことである。
2.彼らが拒否するのなら、ジズヤ2の支払いを求めるのだ。もし彼らが合意するなら、それを受け入れて戦いを止めるのだ。
3.彼らがこれらを拒否するなら、神のご加護を求め、彼らと戦うのだ。”3
預言者によるこれらの指示は、神がクルアーンで述べていることに忠実です。
“宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けて神を信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。神は全聴にして全知であられる。”(クルアーン2:256)
米国人の学者エドウィン・カルガリーはこの節について次のように記しています。「クルアーンの中には真実・英知に満ちた節があり、それはすべてのムスリムがよく知るものです。ムスリム以外の人々もそれを知るべきでしょう。そこには、宗教に強制はない、と述べられているのです。」4
この節はマディーナの住人の一部に関して下されたものです。マディーナの多神教徒の新生児は、幼年期を超えて生き延びることが少なかったため、母親たちはもし生き残ったのであれば自分の子供をユダヤ教徒、またはキリスト教徒にすると誓いを立てていました。マディーナにイスラームがもたらされると、ユダヤ教徒やキリスト教徒に成長した子供たちがいました。彼らの両親たちが強制的に新たな宗教に改宗させてしまったためで、それによりこの節はそうしないよう、両親たちに告げているのです。この節、そしてその啓示の経緯によって、誰かを強制的にムスリムにさせることも禁じられるということが明らかにされました。それは自分たちの子孫にとって最善のものを望む両親の子供たちが、別の宗教に改宗した場合においても同様です。クルアーンは誰かにイスラーム改宗を無理強いすることを否定するのです5。神はクルアーンの中でこう述べています。
“言ってやるがいい。「真理はあなたがたの主から来るのである。だから誰でも望みのままに信仰させ、また(望みのままに)拒否させなさい。」本当にわれは、火を不義者のために準備している。その(煙と炎の)覆いは、かれらを取り囲む。もしかれらが(苦痛の)軽減を求めて叫ベば、かれらの顔を焼く、溶けた黄銅のような水が与えられよう。何と悪い飲物、何と悪い臥所であることよ。”(クルアーン18:29)
イスラームは非ムスリムに対して信教の自由を与えるだけでなく、その寛容な法は、彼らの崇拝の場の保護もするのです6。神はクルアーンにおいてこのように述べています。
“(かれらは)ただ「わたしたちの主は神です。」と言っただけで正当な理由もなく、その家から追われた者たちである。神がもし、ある人びとを他の者により抑制されることがなかったならば、修道院も、キリスト教会も、ユダヤ教堂も、また神の御名が常に唱念されているマスジド(イスラームの礼拝堂)も、きっと打ち壊されたであろう。神は、かれに協力する者を助けられる。本当に神は、強大で偉力ならびなき方であられる。”
(クルアーン22:40)
カリフは遠征に出る軍の指導者に対し、このことが保証されるよう命じていました。第一の例は、アブー・バクルによるウサーマ・ブン・ザイドへの命令でした。
「私はあなたに次の10の事柄の履行を命じる。女性、子供、老人を殺めてはならない。果実のなる木を切り倒してはならない。家々を破壊してはならない。食べる必要性のない限りは羊やラクダを殺傷してはならない。ヤシの木を沈めたり、焼いたりしてはならない。不誠実な振る舞いをしてはならない。臆病であってはならない。またあなたがたは修道院で崇拝に耽る人々の元を通りがかるだろうが、彼らをそっとしておくのだ。」7
第二の例は、ウマル・ブン・アル=ハッターブがエルサレムのイリヤの人々と締結した条約です。
「これは信仰者の長、神の僕ウマルによって、イリヤの人々に与えれた安全保障である。彼らに関しては病気か健康かを問わず、すべての人々が、所有物、教会、十字架を含む、コミュニティ全体の安全が保証されるのだ。彼らの教会は占拠も破壊もされず、服飾品、十字架、金銭を含む、いかなる物であっても没収されない。彼らは自らの宗教を放棄することを求められず、それによって危害を加えられることもない。また彼らはイリヤのユダヤ教徒の入植者らによって占拠されることもない。」8
こうした結果、正統四代カリフの時代以降、ユダヤ教徒・キリスト教徒たちは自由と安全の中、信教の自由を謳歌することが出来たのです9。