サラー(礼拝)に関する法規定
⑦サラー(礼拝)に関する法規定
● サラーにおいてアル=ファーティハ章(クルアーン第1章)を読むことに関する法規定:
イマームであれ、イマームに従う者であれ、あるいは単独でサラーを行う者であれ、サ
ラーにおいてアル=ファーティハ章を読むことは義務です。それはそのサラーが義務のも
のかあるいは任意のものか、また声を出して行うものかあるいは潜めてするものかを問い
ません。アル=ファーティハ章は各ラクアで必ず読まなければなりませんが、サラーに遅
れて来てイマームと共にルクーゥ(お辞儀の形の礼拝動作)するのには間に合ったものの、
アル=ファーティハ章を読むことが出来なかったというような場合はその限りではありま
せん。また声を出すべきサラーにおいてイマームに従う者も同様です。
● もしアル=ファーティハ章を知らない場合は、どこからでもよいのでクルアーンの知っ
ている箇所を読みます。もしクルアーンを全く知らない場合には、こう唱えるようにし
ます:「スブハーナッラー、ワルハムド・リッラー、ワ・ラー・イラーハ・イッラッラ
ーフ、ワッラーフ・アクバル、ワ・ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビ
ッラー(いかなる欠陥や不完全性からも無縁のアッラーの崇高さよ。アッラーにこそ全
ての賞賛あれ。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。アッラーは偉
大です。アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もありません)」(ア
ブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承1)
● 集団礼拝に遅れてやって来てサラーに途中参加した者は、その参加した時点でのラクア
がその者にとっての最初のラクアと見なされます。そしてイマームがタスリームした後、
途中参加する前に過ぎてしまった分のラクアを完遂します。
● サラーの最中、体の清浄さが失われてしまった場合2にどうするか?
サラーの最中に体の清浄さが失われてしまったり、あるいは体が清浄な状態にはなかっ
たことを思い出したりしたら、その時点でサラーを中断します。
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝
福と平安あれ)は言いました:「サラーをしている最中に(放屁して)体が清浄ではなくな
ってしまったら、鼻をつまんでそこを立ち去るのだ。」(アブー・ダーウードとイブン・マ
ージャの伝承3)
1 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(832)、スナン・アン=ナサーイー(924)。
2 訳者注:排便、放屁、熟睡や失神や酩酊などによる一時的な分別の喪失、あるいは精液の放出、女性の
月経や産後の出血などの、イスラーム法上における身体的に汚れた状態のことを指します。この状態から
再び清浄な状態に戻るには、ウドゥーやグスルをしなければなりません。
3 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1114)、スナン・イブン・マージャ(1222)。文章はイブン・
マージャのもの。
2
● サラーで何を読むべきか?
1-各ラクアでいずれのスーラ(クルアーンの章)を読むにしろ、そのスーラを最後まで
読み切ること、またクルアーンに編纂されている順番通りにスーラを読むことはスンナで
す。また1つのスーラを2つのラクアに分割して読むことも可能ですし、1つのラクアに複
数のスーラを読むことも、あるいは2つのラクアで同じスーラを繰り返し読むことも出来
ます。クルアーンに編纂されている順番に逆行してスーラを読むことも出来ますが、それ
を常習的に行うべきではなく、時々行うのなら害はありません。
2-義務のサラーであれ任意のサラーであれ、スーラの最初から始めて読んでも、真ん中
から始めて読んでも、後ろの方から始めて読んでも問題はありません。
● サラーで沈黙すべき場所:
イマームであれ、イマームに従う者であれ、あるいは単独でサラーを行う者であれ、サラ
ーには2箇所沈黙すべき箇所があります:
1箇所目は:タクビーラトゥ・アル=イフラーム4後で、サラー開始のドゥアー(祈願)
を声に出さずに読むためです。
2箇所目は:クルアーンを読み終わった後からルクーゥの前までです。
そしてこの2箇所以外の沈黙‐例えばイマームがアル=ファーティハ章を読み終わった
後に、他の者がそれを読むための時間を与えるために沈黙することなど‐には、法的根拠
はありません。
● サラー開始の際のドゥアー(祈願)には3種類あります:
最善のものは「(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ…」5のよ
うにアッラーの讃美からなるもので、その次は「私は天地の創造主に、シルク6を犯す者で
はなく純正な信徒7として顔を向けました…」8のように、しもべがアッラーのイバーダ(崇
4 訳者注:サラーを開始する際に行うタクビールのことです。アッラーが何よりも偉大であり、それ以外
の存在はかれなしでは存在することが出来ない小さな存在であることを実感することで、サラー中の畏怖
の念を呼び起こし、またかれ以外の何かに心を囚われることがないようにします。
5 訳者注:これらのドゥアーに関しての詳細は「⑤サラーの形」の項を参照のこと。
6 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルク」の項を参照のこと。。
7 訳者注:ヌーフからイブラーヒーム、ムーサー、イーサーらから最後の預言者ムハンマド(彼らにアッ
ラーからの祝福と平安あれ)に至るまで、全ての預言者が人々をそれに誘ってきたところの、アッラーの
みに崇拝行為を向けるという純正な一神教のことです。
8 訳者注:このドゥアーは「⑤サラーの形」において言及されていません。その全体訳は以下の通りです:
「私は天地の創造主に、シルクを犯す者ではなく純正な信徒として顔を向けました。私の礼拝、献身行為、
3
拝行為)について語るもので、その次に来るのが「アッラーよ、あなたが東西の間を遠く
隔てられたように…」のようにしもべのドゥアーからなるものです。
● サラーを遅らせることに関する法的見解:
サラーを定刻から遅らせるのは禁じられていますが、正当な理由のもとにジャムゥ・タ
アヒール9を行おうとする者、または何らかの大きな危険や病に直面している者などはその
限りではありません。またサラーの最中に空を眺めることは禁じられています。
● サラーにおいて忌避される行い:
以下に挙げることは、サラーの最中に忌避される行いです:
危険などの必要に襲われた場合を除き、振り向いたりすること。
目を閉じること。
顔を覆うこと。
(座位姿勢の時)犬のようにしゃがむこと。
無駄な動作。
腰に手を置くこと。
よそ見。
サジダ(伏礼)で両腕を地面につけること。
尿や放屁を我慢すること。
食欲をそそる食べ物が目の前にあり、しかもそれを食べることの出来る状態にあるこ
と。
両腕を組まずに垂らすこと。
口と鼻を覆うこと。
衣服をまくったり、髪を縛ったりすること。
あくび。
モスクで唾を吐くこと(それは罪であり、その償いは吐いた唾を取り除くことです。
またそもそもキブラの方角に向かって唾を吐くことは、サラーの最中かどうかを問わ
ず禁止されています)。
生、そして死は並ぶ者なきお方である全世界の主アッラーにこそ捧げられます。私は実にそのように命じ
られ、そして服従した者たちの1人です。アッラーよ、あなたはあなた以外に真に崇拝すべきものがない
ところの王です。あなたは私の主で私はあなたのしもべです。私は自分自身に不正を働きました。そして
自分の罪を認めました。ですから私の罪全てをお赦し下さい。罪を赦されるお方はあなた以外にいないの
です。私を最も良い人格へと導いて下さい。そこへ導くのはあなた以外にいません。私から悪い人格を取
り除いて下さい。悪い人格を取り除くお方はあなた以外にいません。私はあなたに常に仕え、あなたの御
許に馳せ参じます。全ての善はあなたの御手の内にあります。悪い事があなたに帰せられることはありま
せん。私はあなたによって存在するもので、あなたの御許へと帰ります。あなたは祝福に溢れ、いと高く
おわしますお方。私はあなたに罪の赦しを乞い、あなたに悔悟します。」
9 訳者注:時間帯が互いに隣接した2つの礼拝を、順番が遅い方の礼拝の時間帯にまとめて行うこと。
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● もし尿や放屁が我慢できそうになければ、それを解消してからウドゥー10し、サラーし
直します。もしその時水がなければ、タヤンムム11をしてサラーします。
● サラー中のよそ見に関する法的見解:
サラーの最中のよそ見は、シャイターン(悪魔)の仕業です。よそ見には①身体に関す
る感覚的なもの、と②心に関する精神的なもの、の2つがありますが、後者の対処策とし
ては自らの左側に唾を3回吐き、かつ「アウーズ・ビッラーヒ・ミナッシャイターニッラ
ジーム(私はアッラーに、呪われしシャイターン(悪魔)からのご加護を乞います)」と唱
えることが挙げられます。また前者の対処策に関しては、気づいた時点ですぐさまキブラ
に向き直ることが挙げられます。
● サラーにおいてストゥラ12を用いること:
イマームであれ単独でサラーを行う者であれ、壁や柱、岩や棒、あるいは槍などをスト
ゥラとして、そこに向かってサラーするのがスンナです。このことに関しては男か女か、
旅行中かそうでないか、義務のサラーか任意かなどは問われることがありません。一方イ
マームに従ってサラーする者にとっては、イマームがストゥラの役割を果たすことになり
ます。
● サラーしている者の目の前を通過することに関する法的見解:
1-サラーをしている者とストゥラの間を通過することは、禁じられています。そのよう
な場合、サラー中の者は通過しようとする者を押し返さなければなりません。もしそうし
ても通過されてしまったら、その時は罪はその者にあり、サラー自体の報奨は‐アッラー
の思し召しと共に‐減ることはないでしょう。
2-イマームであれ単独でサラーを行う者であれ、ストゥラを用いていない時にその前を
女性やロバや犬が通過した場合、そのサラーは無効となります。もしイマームと彼に従う
者の間をそれらが通過しただけの場合は、イマームのサラーも彼に従う者のサラーも無効
にはなりません。またストゥラに向かってサラーする者はその間を何者かに通過されない
よう、出来るだけその間隔を狭めるべきです。
● サラーにおいて両手を上げる箇所:
10 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部
位の洗浄のこと。
11 訳者注:「タヤンムム」とは、水が存在しなかったり、あるいはそれが正当な理由で使えない状態にあ
る時、砂や埃を水の代用物として体を清浄な状態にすることです。クルアーンの4章43節参照のこと。
12 訳者注:サラーしている最中にすぐ前方を通過されないように置く、何らかの目印のこと。預言者(彼
にアッラーからの平安と祝福あれ)のスンナで、サラーの際に誰かに前方を通過されることでその報奨が
減ったり、注意がそがれたり、かつ通過した者がそうすることにより罪を犯したりことを未然に防ぐため
のものです。
5
1-アブドッラー・ブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、
預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がタクビールによってサラーを開始し、そ
の際に両手を肩の高さまで上げるのを見ました。そしてルクーゥに移る時のタクビールの
際も、同様にしました。また“サミアッラーフ・リマン・ハミダフ(アッラーはかれを讃
える者をお聞き入れになられよう)”と唱え(てルクーゥから起立姿勢に戻)る時にも同様
にしました。そして(その時彼は)こう言いました:“ラッバナー・ワ・ラカ・アル=ハム
ドゥ(私たちの主よ、そしてあなたにこそ全ての称賛があります)”」(アル=ブハーリーと
ムスリムの伝承13)
2-ナーフィゥによれば、イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)はサラーを開
始する際にはタクビールし、両手を上げました。またルクーゥに入る時にも両手を上げ、「サ
ミアッラーフ・リマン・ハミダフ(アッラーはかれを讃える者をお聞き入れになられよう)」
と言う時にも両手を上げました。また2ラクア目から立ち上がる時にも両手を上げました。
そしてイブン・ウマルはこの行いを、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から
引き継いだものであるとしました。(アル=ブハーリーの伝承14)
● サラー中に許されること:
1-以下のことはサラー中に許されます:
もし必要に迫られたら、ターバンや頭巾をかぶること。
衣服を体に巻きつけること。
上衣や頭巾の端を手で押さえること。
前後に動くこと。
説教台への昇降。
モスク以外の場所で、左側に唾を吐くこと。あるいはモスクでも手巾や衣服などに唾
を出すこと。
蛇やサソリなど危険な生き物を殺すこと。
子供を抱きかかえること。
酷寒などの理由で、衣服やターバン、頭巾などの上でサラーすること。
● サラーしている最中に何かの許しを請われたら、「スブハーナッラー(あらゆる欠陥や
不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ」と唱えることが許可の代わりとなりま
す。これは男性の場合で、女性の場合は両手を叩いて許可の代わりとします。
13 サヒーフ・アル=ブハーリー(738)、サヒーフ・ムスリム(390)。文章はアル=ブハーリーのもの。
14 サヒーフ・アル=ブハーリー(739)。
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● サラー中でもくしゃみが出たら、アッラーを讃える15のがよいでしょう。またサラーし
ている最中に何か新しい恩恵がもたらされたら、両手を上げてアッラーを讃えても構い
ません。
● 単独で声を出すサラーをしている者は、タアミーン16の際にも声を出します。また単独
で声を出さないサラーをしている者は、タアミーンも声を潜めるようにします。
● 単独でサラーする者が声を出すことに関しての法的見解:
男女の別なく単独でサラーする者は、声を出すべきサラーをする際に声を出して行うか、
あるいは声を潜めて行うかを選択することが出来ます。但し睡眠中にある者や病人など、
そうすることで誰か傍にいる者に迷惑がかかりそうな時、またマハラム17ではない男性が傍
にいる時の女性などは、声を出さずに行うべきです。
15 訳者注:詳しくは「クルアーンとスンナのフィクフ」の章の「3礼儀作法‐⑧くしゃみの礼儀作法」
の項を参照のこと。
16 訳者注:アル=ファーティハ章を読み終えたときに唱える「アーミーン」という言葉で、「アッラーよ、
(祈りに)お応え下さい。」という意味があります。
17 訳者注:マハラムとは夫や、またいかなる状態においても婚姻が許されない関係にある父親や兄弟や
息子などのことです。